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テイキング・ターンズと休む

 本作品は、クラウドファウンディングを通じて世界の書籍を翻訳しているサウザンブックスが出版した作品だ。サウザンブックスと海外漫画の翻訳プロジェクトは第1弾としてレベティコという作品が出版されている。本作品テイキング・ターンズは、この海外漫画翻訳プロジェクトの第2弾にあたる。ちなみに、第3弾、第4弾も既に出版が決まっている。こうして様々な漫画に触れられる機会は本当にありがたい。

 本作品の副題は「HIV /エイズケア371病棟の物語」だ。 その名の通り、まだHIVという病気自体が偏見に満ちており、また、これといった治療法がない時代にHIV患者をケアする専門病棟が用意されていた。それが371病棟だ。

 本作品を読むまでは、なんというか良くも悪くも淡々と当時のHIV治療の現場が紹介されていくだけの作品かと思っていた(クラウドファウンディングの時に説明があったかもしれないが注意深く聞いていなかっただけかもしれない)。しかし、作品を読み進めていくと興味深い点がいくつもあった。

 まず1つ目に、HIVという病気が世間から偏見の目で見られていたがゆえに、HIVという病気を超えて、同性愛に対する社会的な認識・理解が進んだという点だ。当時、米国では同性愛の方がHIVに感染することがあったようで、同性愛の社会的な理解が及んでいなかったがゆえに、HIV患者は身体的な絶望(病気の進行)と社会的な絶望(同性愛が発覚することで家族から絶縁される)という2つの絶望を抱えることになっていたという。このようなことを背景に、HIVの問題と合わせて又は離れて社会の理解が少しずつ進んでいったように感じた。それを表現しているのは物語終盤の下記の1コマだろう。とても印象深い1コマだった。

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 2つ目に、表現による自己セラピーの可能性だ。本作品でも371病棟で病状が悪化する患者と接する中で頂いた気持ちやモヤモヤ感を絵を描いたりすることで解消しようとする。本作品もそういう意味では思考整理等の意味があり、遠い意味での作者の自己セラピー感があるように思った。最近、メビウスの晩年の作品であるインサイドメビウスでもメビウスは自己のモヤモヤをB砂漠で表現し続けていた。それはまさに表現による自己セラピーだったのではないだろうか。漫画を描いたり、小説を書いたりすることはきっと気持ちの昇華にすごく有用なのだろう。本作品において371病棟の患者もアート作品を作ることが推奨されていたという記述があった。おそらく患者にとってもアート作品の制作をすることは自己セラピーだったのだろう。下記のページに出てくる作品も自己セラピーなのだろうか。

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 3つ目は、病の辛さには耐えることができても、死の際の孤独には誰しも耐えがたいのだろうと感じた。下記の1コマはものすごくしみいるものがあった。

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 さて、本作品は上記のコマで見たように超絶技巧的な海外漫画ではない。しかし、本作品を読んでよかった。それは、こういうテーマの作品はドキュメンタリー等の映像作品で見るには重々しいし、活字で読むには体力が必要だ。そういう意味で漫画というのが、実は映画や音楽や小説などの芸術とは全く違う、それでいて最先端のことをやっているような気がしてならない。映画や小説より漫画は、より個性が発揮できる気がする。最初本作品を見たときはなんか4コマ漫画で描かれそうな緩い線だし緩慢な印象しかなかったが、内容と合わせると、本当にちょうどよい塩梅に感じた。

 つらつらと書き連ねてしまったが、医療に携わる人、孤独に悩む人、LGBTQに関心がある人、そしてもちろん海外漫画を好きな人に読んでもらいたい作品だ。

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