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ジミー・コーリガン〜世界一賢いこども第3巻と休む

 ジミー・コーリガンの紹介もようやっと最後の3巻まで辿り着いた。第1巻、第2巻の紹介は以下をご確認いただきたい。 

 少しおさらいだが、本作品は、ジミー・コーリガンとその父親および祖父(祖父については南北戦争の後の祖父が子供時代)の3代続く、父と子供の葛藤の話だ。ジミー・コーリガンは大人になったある日、小さい時にあったきり姿を見せなかった父親に会いにいく。そこで父親と話をしたり、自分に異母妹がいることを知る。

 時は万国博覧会のとき。本作品は祖父の子供時代の話から始まる。祖父は子供のころ、母親に先立たれていて、父親と暮らしている。父親は息子(=ジミー・コーリガンの祖父)に対して冷たくしている。祖父も小さい頃、妄想をしがちだったようで、現代のジミー・コーリガンと同様に突然妄想シーンが入る。さすがに作者のクリス・ウェアの作品のリズムに慣れてきたのか第3巻では読みにくさを感じた突然の妄想シーンに違和感がなくなる。

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本作の中でもコマを規則的に分割して、全体象を見せつつ時間の流れを見せるという以前、シュガーという別の作者の別の漫画(下記参照。猫を題材とした漫画だが、松本大洋が書きそうな雰囲気で個人的には結構名作だと思う)でもみた手法がみられる。これは、わりとポピュラーな手法なのだろうか。日本の漫画ではあまりみない。


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本作品の特徴として、コマを細かく分割することで、コマが1コマ1コマ躍動している。ちなみに、上記コマに出てくる女性がジミー・コーリガンの異母妹だ。父親は、再婚相手とともに養子をとっていたのだ。

本作品は、ストリーは親と子の関係を描きつつ、親から子に受け継がれるもの(容姿だけでなく、不運であるところなども)を残酷に描いている。そういう意味では、本作品のストリーは完全に文学だ。他方で、簡略化された線、執拗に分割されたコマはまさに漫画がもつ特徴の重要な部分を備えている。その意味では、現代文学の金字塔であり、現代漫画の金字塔だと思われる。

本作品は21世紀の文学が活字だけの小説ではなくなることを示した貴重な1冊になるのではないかと感じた。文学が好きな方には、活字で語らない文学も是非堪能して頂きたい。

さらに、最近海外漫画を読んでいく中でとても気になっている「製作することによる自己セラピー」は本作品にも妥当しそうだ。あとがきには、クリス・ウェア自身が父親との関係に問題を抱えており、ジミー・コーリガンの連載が成功しだすと、何年もずっと連絡がなかった父親から突然「共同著作」にしようと電話でもちかけられたということだった。こういう背景を抱えながら、親と子の問題に切り込んだ本作品はある意味作者であるクリス・ウェアの自己セラピーだったのかもしれない。

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