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【自己紹介】高校留学で人生変わった私のストーリー


今年で33歳を迎えるわたしは、これまでの留学生活や海外経験をあらためて振り返ってみることにした。ずっとレールをはずれた人生を歩んできたけれど、後悔していることは何もない。つらいことや苦しいことはたくさんあったけど、それは後悔ではなく経験だから。

16歳で単身海外留学へ行き、留学生活の現実に直面し、苦労と共に大きく成長した10代。海外で挑戦する一方で、生きづらさに悩んだ20代。自分と向き合い、人生について真剣に考えるようになった30代(←いまココ)。

今回はこれまでの人生を4つの章にわけてまとめてみた。

【第一章】日本の高校を退学。海外留学へ行く

photo by unsplash

高校1年の夏休み、3週間におよぶアメリカでのホームスティをきっかけに海外生活や英語に興味を持ったわたしは、通っていた日本の高校をやめて海外留学を決意。

1年生が修了したタイミングでひとりでカナダへ飛んだ。最初は数ヶ月語学学校に通い、その後現地の高校へ編入。学校初日、わたしは日本の英語教育を恨んだ(笑)

口癖が「I don't know English」の日々

中学校から4年間も英語を勉強してきたはずなのに、カナダ人の先生が話す内容は「I」と「You」みたいな主語しか聞き取れない…

高校のクラスでもホストファミリーの家でも話の内容にまったくついていけず、いつも涙をこらえながら過ごしていた。みんなゲラゲラ笑っているのに英語が理解できないから自分は孤独モード。「日本の英語教育とは?」と、思った。

留学生だから優遇されることはなく、卒業試験では電子辞書をつかうことは禁止され、テストで質問の意味さえもわからないのは日常茶飯事のこと。卒業試験に受からなければ「留年コース」という恐怖におびえ、楽しい留学生活なんて幻だと思った。

留学生活で学んだあたらしい価値観

現地の高校に通いはじめて数ヶ月がたち、ようやく耳が英語に慣れてきた。「海外では自分から積極的にいかないと生きていけない」という話をよく聞くが、これは本当にそうだった…!

移民国のカナダでは「自分は日本人」と言わないかぎり、カナダ人(アジア人)と思われるし、日本人のように気遣いして声をかけてくれる人もあまりいない。

恥ずかしがらずに何か困ったことがあれば自分から助けを求めることが普通だった。卒業に必死だったわたしはとにかく、留学生という立場を武器にして、
「わたし留学生で英語がわからないから助けてください」
「お昼か放課後に教科書で理解できなかったところを教えてください」
「宿題はどのページでいつが期限ですか?」

など、レベルの低い英語をつかって先生やクラスメイトに助けを求め続けた。

生物・数学・科学・社会・美術など、すべての教科を英語で学び、宿題やテストも膨大な時間をかけながら取り組んだ2年間。高校留学を通して学んだのは英語だけではない。積極性、ポジティブ思考、柔軟性、忍耐、コニュニケーション力を得て、英語はあとから付いてきた感じ。

努力でつかんだ高校卒業inカナダ!

卒業式はこれまでの努力が実って涙が止まらなかった。留学を軽視していた自分はほんとうにバカだったなと感じる…(苦笑)

この濃すぎる経験が自分の人生のターニングポイントになるなんて思ってもみなかった10代だった。

第二章へつづく…

【第二章】大学3年生、就活をやめる。卒業後の進路はワーホリ?

photo by pixabay

「海外の高校を卒業するのがこんなに大変なら現地の大学なんて絶対にムリ!」と思ったわたしは日本の大学へ進学。

しかし日本での大学生活はつまらなかった。カナダの高校にくらべて刺激がないし、アルバイト先ですぐに怒る日本人のお客さんが嫌いだった。「不満があるならこのお店に来なくていいですよ。」なんて口が裂けてもお客さんに言ってはいけない日本の文化にモヤモヤしていた。

就活中止して、別の進路へ

「やっぱりもう海外で暮らしたいな」と思いながら就活を進めていたけど、さすがに新卒で海外転勤のチャンスがもらえる会社もなく(それ以前にきびしい就活マナーや効率の悪いエントリーシートの進め方が理解できなくて)、最終的に就活をやめてオーストラリアにワーホリへ行くことを決意。

わたしはすぐに行動をはじめた。会社説明会と面接はすべてキャンセルして、ワーホリ資金を稼ぐためアルバイトに応募。無事にバイトをゲットし、残りの大学生活はほぼアルバイトに時間を費やした。

日本の就活への疑問

わたしが大学生だった10年前は、就活して大学卒業後は会社ではたらくのが普通だった。でも、自分の中では「まだ大学卒業していないのに(卒業できるかもわからないのに)なぜ就職先を探すのだろう?」という疑問があった。

大学を無事に修了してから仕事を探したり、インターンや旅をしてみるのもいいのでは?と思ったりもした。

自分の場合は海外で暮らすことが目標だったからワーホリの道に進んだが、その道は正しかったと声を大にして言える。「嘘まみれのエントリーシートや偽り発言ばかりの面接なんてやめて正解だったよ!」と当時のわたしに伝えたいくらい、ワーホリは大きな収穫だった。

第三章へつづく…

【第三章】会社員になれない?!フリーランスの道へ

photo by unsplash

大学卒業後、1年間のワーホリ滞在の予定が居心地がよすぎて気づけば3年半もオーストラリアにいた(苦笑)

10代という成長期をカナダで過ごし、大学を卒業してからは海外で暮らしながら働いていたわたしは、日本で会社員ができない体質になっていた(正しくは会社員をやったことがない)

↓なぜなら、わたしの頭の中はこんな思考だから…

先輩や上司が帰らないと帰れない
→仕事終わっていないのは本人たちの責任。自分の業務が終われば即帰宅する。

目上の人がいるときはビールを注がないといけない
→子供じゃないんだからお酒くらい自分で注げよ。各自好きな飲み物飲んでればOK!

飲み会に参加しないといけない雰囲気
→お酒飲まないし、飲み会というイベントに興味ないから不参加でOK!

遅刻や寝坊にきびしい
→少しくらい遅れてもOK!そもそも始業時間にきびしいのに残業はゆるいのなぜ?

残業がデフォルト
→定時帰宅がデフォルト

フリーランスになるためにがんばる日々

そもそも協調性がないので組織に属したり、人に指示されて働くことが苦手なわたしはフリーランスの道へ進んだ。スキルを学ぶために我慢してオフィス出勤して、土日は副業して、とにかくフリーランスになりたくてたくさん行動した。

そしてコロナ真っ只中の2020年、わたしは開業届を出してフリーになり、自由な働き方を手に入れた。パソコン一台で好きな時間に場所問わず働ける環境は最高だ!

第四章へつづく…

【第四章】4年越しの願いが叶った海外ノマド生活スタート!

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フリーランスになりたいと思ったのは海外に滞在するためでもあった。Web系のフリーランスは、たいていパソコンがあればどこでも働ける。

欧米人やヨーロッパ人が東南アジアなどを拠点にノマド生活している様子をYou Tubeでみたことがあって、自分の周りにもそんな生活をしている人がいた。

夢が現実に。海外ノマドになる

コロナで海外に何年間もいけなかったが、ついに去年わたしは海外ノマドデビューを果たした。行き先はインドネシア・バリ島とタイ・チェンマイ。

約2ヶ月間、いろんな経験や出会いがあり、とても新鮮で刺激的だった。はじめて訪れたバリ島にどハマりしたのは、自分でも意外だった。あのリラックスした雰囲気と人々のやさしさやフレンドリーさが気に入った。

今年もまた海外ノマド生活の計画をたてていて、前回学んだことをどんどん活かしていきたい。

【まとめ】海外体験は人生を変える!自分の選択と経験で得たもの

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高校留学でハードな学校生活を送りながらも英語を習得したおかげで、海外に行くことに抵抗感や不安がないのはありがたい。そしてこれまで海外の友人がたくさんできたことも留学のおかげ。

今おもえば、「海外」というテーマが、自分の人生を表している気がする。レールから外れた人生を送ってきたけど、普通に生きていれば経験できないことができて、出会えない人たちにも会えた。

自分で選んだ選択、そしてそこで得た経験はわたしにとって大きな財産。

ぜひこの記事を読んで留学や海外生活に興味をもってくれる人がいればうれしいです😊



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