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人生とは初めから限られた可能性をさらに限定していく不断のプロセスである。

 積読(つんどく)とは日本固有の概念らしいが、当然、本を積みまくっている人は世界中にいることだろう。

 ある程度、読書をする人間はどうしても積読することになってしまう。欲しい本はとりあえず確保しておかないと市場からなくなってしまうのに対し、本を読むのにかかる時間は一定だからである。

 読書人はいつも一様に「あの本を読めば、この本は読めない」という鉄の摂理に縛られているのだが、じっさい、積読の山を眺めていると、「ああ、オレは一生読みたい本を読みつくすことはできないのだなあ」としみじみ思い知らされる。

 積みゲーの場合はもっと深刻だ。本は一冊数時間もあれば読み終わることがふつうだが、ゲームはおよそその十倍から二十倍という時間がかかる。

 最近ではクリアまで100時間とか200時間かかるゲームもざらで、へたすると「一生遊べる」と歌っている作品すらある。ハマってしまったときにかかる時間が桁違いなのだ。

 しかし、きょうもあすもいかにも面白そうなゲームは発売されつづけている。そして、ひたすら誕生日やクリスマスを待つしかなかった子供の頃と違って、買おうと思えば買える。

 そういうわけで、罪ゲー、じゃなかった積みゲーは増えていくばかりなのだ。

 最近、そこに新たに加わった事情がゲームサブスクリプションサービスだ。SONYやMicrosoftが有名だが、月々いくらか払うと膨大なゲームがやり放題になるというとんでもないサービスである。

 もちろん、いくらやり放題であろうと一日は24時間しかなく、一年は365日しかないのだが、それでも「やり放題」と聞くと脳内物質があふれて冷静な判断ができなくなってしまう。

 そこで、ぼくはSONYのサブスクにもMicrosoftのサブスクにも入っている。これは厳密には積みゲーではないかもしれないが、「いつかプレイすると心に決めたゲームリスト」が果てしなく長くなっていくことに変わりはない。

 ぼくのそのリストは、もう、どうしようもないほどに長大化している。いつか必ずプレイすると思っているゲームだけでもいったいどれくらいになるのか、数えるのも億劫なほど。

 現実にはぼくはそのうちの10%も遊ばないまま死んでいくのではないかと思う。ほんとうにこの世界には味わい切れないほど面白いことがあふれていて、そのなかからほんとうに体験するに値するものを選び出すことはとても困難なのである。

 だれだ、人生には無限の可能性があるなんてほざいた奴は。じっさいには人生とは限られた可能性のなかからさらに選択をくり返していくプロセスに他ならない。

 「あの本を読めば、この本は読めない」、「あのゲームをプレイすれば、このゲームはプレイできない」、まさに人生そのものがひとつの不可逆的に進行しつづける物語であり、延々と選択しつづけることによってしか前へ進むことはできない。

 パトラッシュ、ぼくは疲れたんだなどと寝言をいってもだれも聞いてくれない。

 なるべく面白いものを味わって死ぬために、効率よくそれらを消化したいと思う一方で、そもそも「効率」とか「消化」みたいないわゆるコスパ的な考え方が堕落そのものであるような気もして、なかなか複雑だ。

 音楽にしてもサブスクには未聴の曲が一億曲も並んでいるわけだからなあ。

 むしろ効率よく人生を味わおうなんてつまらない考えかたそのものを断念して、冒険のようにひとつひとつの作品を取捨選択していくべきなのかもしれない。

 とりあえず『ペルソナ3リロード』は何としてもやるつもりである。『パルワールド』は……まあ良いかな。

 選択と体験の日々は続く。


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