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第84話 『笑える都市伝説』(BJ・お題『笑える怪談』)


BJは、18禁のネタをお伝えしましょう。

SMの歴史

“サディズム”、“マゾヒズム”という言葉は、ドイツの精神科医リヒャルト・フォン・クラフト=エビング男爵が、1886年に出版された “Psychopathia Sexualis”という本の第6版でその概念をまとめました。この“Psychopathia Sexualis”という本には他にも「フエチシステン」つまりフェティシズムを意味する言葉が第4版で登場しています。

ただ、本来の目的ではなくこの本を買う人があまりにも多かったため、一部をラテン語にする、という改定が行われたこともあります。
そんな“Psychopathia Sexualis”ですが、なんとあの森鴎外先生も、出版されてから早々に読んだということが知られています。(『ヰタ・セクスアリス』もこの本の影響を受けているとBJは思っています)

さらに1891年には日本語への翻訳が始まり『裁判医学会雑誌』(のちの『法医学雑誌』に掲載されました。そもそも“Psychopathia Sexualis”というのは「性の精神病理」という意味なのですが、このとき付けられた邦題は『色情狂篇』。これが本として出版された途端、発禁になってしまったと言われています。(注1)

(注1)ただ、Wikipediaにはそうありますが、科学史の研究者である斎藤光先生というかたが 「発禁の確たる証拠はまだない」と言っています。


大正2年には、この本が新たなタイトルで出版されました。『色情狂篇』からやっと『性的精神病理』に改められたのかと思いきや、『変態性慾心理』というますます変態っぽさを増した題に変わりました。その後日本初の「変態性欲ブーム」が起こります。この大正の「変態性欲ブーム」を起こしたのは、この本が原因だと思われます。

今や日本ではSMだのフェチだのという各種変態の分類がすっかり浸透していますが、こういった言葉を使えるのも、クラフト=エビング男爵と、その翻訳のおかげだと言えるでしょう。


SMと言えば・・・大正時代にサドマゾ事件と呼ばれた事件がある

大正6年3月2日、東京の下谷区(現台東区)で小口末吉という男が内縁の妻・矢作ヨネの体調が悪いということで医者を呼びました。ヨネはいくつかの指が切り落とされ火傷をしており、硫酸も使われた跡がありました。背中には『小口末吉妻』と烙印がありました。なかなか気持ち悪いですね。2日後にヨネは亡くなりました。


読売新聞の記事には

残忍極まる凶行に出で、ヨネは今日まで生き地獄にも等しき苛責のもとにありたる…

とあります。このようにマスコミは当初、末吉がヨネを死に至るまで虐待、今で言えばDVをしたものと決めつけていたようです。


ところが話は単純ではありませんでした。

解剖をした医師が左右対称の傷があるなど、傷の配置が妙であると気づいたのです。そういう傷をつけるには、傷つけられる本人が協力する必要がありますから。また近所の人も、虐待をされているような音を聞いたことがありませんでした。そのためこれは、ヨネが希望して傷をつけてもらったのではないか、という疑いが生まれます。

また末吉も、傷をつけるようにせがまれ、「やらないと別れる」と言われたため仕方なく傷つけた、と言いました。辻褄は合います。


さらにその後の供述により、ヨネが隣人と浮気したのが、ヨネの体を傷つけた始まりだと判りました。隣の男はサディストであり、彼によってヨネはマゾヒズムに目覚めたというのです。


以来ヨネは内縁の夫末吉に、自身の体を傷つけるように命じるようになりました。浮気をしてしまったので、その罰として責めを受ける、というのがヨネの言い分口実でした。それが高じ、やがて指まで切るようになります。

他にも、ヨネの背中に『マオトコシタ』と書いて往来を歩く、ということもありました。羞恥プレイです。



とにかく末吉は残忍な男ではありませんでした。裁判となり、精神鑑定がなされます。彼は大工なのですが、「大工がやれるのが不思議なくらい能力が低い」と評価されます。精神鑑定の医者の判定により、末吉は「愚鈍」であると言い渡されます。

ということで、殺しはさせられるわ、人前で「愚鈍」と言われるわでさんざんな目にあった末吉ですが、なんと最後は判決が出る直前に、脳卒中で死んでしまいました。


なんとも不幸な男があった、というお話でした。

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