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アメリカ:人工知能AIが『魂のない』宗教的イメージを描く

US: artificial intelligence paints "soulless" religious images

今年1月24日の第58回世界ソーシャル・コミュニケーション・デー(the 58th World Day of Social Communications)における教皇フランシスコのメッセージ『人工知能と心の知恵(Artificial Intelligence and the Wisdom of the Heart)』に続き、カトリックのメディアでは宗教芸術に関する議論が続いている。人工知能(AI)は数秒でも『宗教的なイメージ』を作り出すことができるが、それは本当に宗教芸術なのかとアメリカの週刊誌ナショナル・カトリック・レジスター(National Catholic Register)の編集者、ジョセフ・プロネチェン(Joseph Pronechen)は問いかけた。また、シカゴのカトリック美術研究所(the Catholic Art institute)の創設者で所長のキャスリーン・カー(Kathleen Car)は、「信仰において人間の精神と心を高め、神の創造的な業に参加することによってのみ、美は創造される。単なる美術とは異なり、アーティストが神の栄光をたたえ、神聖なその美しさを通して魂を魅了するとき、魂は照らされて、回心へと導かれる」と指摘した。

週刊誌には、例えばAIによって制作された聖ジャンヌ・ダルク(St. Joan d`Arc)や苦悩するキリストなどの作品が掲載された。特に注目すべきは、人工知能が描いたマリア像と、『生きている(living)』画家グウィネス・トンプソン・ブリッグス(Gwyneth Thomson-Briggs)が描いたマリア像の比較である。そこでは、顔の表情だけでなく、2人の人物の手の配置にも違いがあることがはっきりとわかる。最初のケースでは、聖母の手はまるで自分自身に集中しているかのようであり、2番目のケースでは、聖母の人生に現存する神の神秘に向かって祈るような仕草をしている。

著者はこのように説明する。『聖なる芸術とは、ある主題に関する100万点もの一般的なイメージのコレクションではない。それは、この分野で何らかの訓練を受け、神の恩寵に応えようとする芸術家の作品である。そして、超自然的な現実を目に見える形で描写するよう、芸術家を鼓舞するのは神の恩寵である。機械は、その性質上、『物質的』なものでしかなく、目に見える比喩を通して超自然的な現実を伝えるという挑戦には適していない」。

前述のK.カーは、「SI(システムインテグレーション)によって作られたイメージは、しばしば適切な神学的象徴性を欠いており、それが大きな、明白な問題である。SIはさまざまなスタイルを重ね合わせたもので、そのなかにはこの種の芸術にはまったく適さないものもある。特にフォトリアリズムや、いわゆる感傷的で過剰な描写がそうである」と指摘した。

AIと聖なる芸術の関係について、非常に否定的な立場をとっているのは、最近バチカンからローマ教皇庁の『ミサ典礼書(a liturgical book containing rites and ceremonies)』(儀式や儀式を記した典礼書)の最新版の挿絵の制作を依頼されたダニエル・ミツイである。「私たちが実際に扱っているのは『知能』でも『芸術』でもないので、『人工知能の芸術』という言葉そのものが誤用である。知性の仕事は、個人と神の理解との間に橋を架けることであり、私たちが身体感覚を通して知覚する目に見える世界と、神が見ている世界との間に橋を架けることである。(中略)AIには、神が人間に与えた知性も自由意志もない。AIは可能性を比較するという原理によってのみ作動する。AIは架け橋としても機能するが、それは仮想世界と人間の感覚との橋渡しである』とミツイは述べた。

東京のカトリックセンターでキリスト教の霊性を教えているパウロ・ヤノチンスキー神父(Fr. Paul Janocinski OP)は、「真の聖なる芸術、できれば聖人によって作られる芸術は、誰かを神との出会いに導くことができる」と強調する。「私がラニエロ・カンタラメッサ枢機卿(Cardinal R. Cantalamessa)の著作『イエス・キリストを思い起こしてください(Remember Jesus Christ)』の日本語訳を手伝ったとき、その著作のなかで、ボローニャに留学していた若い日本人女性が、救い主が苦しみを受けているある十字架を観想した結果、カトリックに改宗したという例を挙げている」と回想した。

現在進行中のディスカッションの一環として、私と生徒たちは地元のAI - ATGチャットルームに質問することにした。数秒後、次のような答えが返ってきた:「人工知能は、宗教的なテーマを含むアートを生成するようにプログラムすることができる。しかし、宗教芸術を創作するには、宗教や信仰体系の文化的、象徴的、精神的側面を深く理解する必要がある。人工知能は視覚的な表現を生成することはできるが、人間の芸術家が宗教芸術にしばしばもたらす個人的なつながり、文化的な洞察力、精神的な理解には欠けるかもしれない」。

人工知能によって生み出される芸術は通常、実践されたパターンやスタイル、データに基づいている。人工知能には、宗教芸術のインスピレーションとなるような、形而上学的(現象的世界を超越した本質的なものや絶対的な存在に関すること)、あるいは精神的な次元に対する生まれつきの信念や理解はない。意味のある、文化的に共鳴する宗教芸術を創作するには、多くの場合、人工知能の能力を超える深さの洞察力が必要とされる。とはいえ、アーティストが新たな創造的可能性を模索し、宗教的なテーマに啓発されたものを含め、さまざまな視覚表現を生み出すツールにはなり得る。アーティストが彼らの芸術的ビジョンや文化的理解に沿うよう、AIシステムの出力を導き、洗練させる共同作業ツールとして使用することができる。

「このAIは、形而上学的な理解、適切なレベル、深さ、洞察力が欠けていることを自ら認識しており、その独特の謙虚さは喜ばしい」とポーランドのドミニコ会士は述べた。。

Tokyo / Fr. jj

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