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アメリカ:映画『オッペンハイマー』が科学と宗教の関係についての議論を促す

USA: "Oppenheimer" film prompts discussion of the relationship between science and religion

クリストファー・ノーラン監督(Christopher Nolan)の映画『オッペンハイマー/Oppenheimer』は、今年の第96回アカデミー賞(オスカー)のいくつかの部門にノミネートされ(2024年1月23日にノミネート、3月10日に7部門を受賞)、科学と宗教の関係についての議論を新たにした。これは、ニュージャージー州プリンストン(Princeton, New Jersey)にあるオプス・デイ個人管区のジョセフ・トーマス神父(Fr. Joseph Thomas of the Opus Dei)が、ナショナル・カトリック・レジスター(National Catholic Register)のウェブサイトで指摘したものである。この映画は『アメリカ原爆の父の勝利と悲劇』、そして彼が生きた道徳的ジレンマ、良心の呵責を描いている。

J.ロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer 1904-67)は、1942年からニューメキシコ州にあるロスアラモス研究所(Los Alamos Laboratory)の初代所長を務めていた。この研究所で1945年3月16日、史上初の原子爆弾の爆発実験が行われた。最後のカウントダウンの後、爆発に伴う恐ろしい光線を見たとき、彼は、当時興味を持っていたヒンズー教の経典の言葉を引用して、「今、私は世界の破壊者である死となった」とコメントした。しかし、その少し前には、イギリスのキリスト教詩人であり神秘主義者であるジョン・ダン(John Donne 1572-1631)の文章を引用したとも伝えられている。「三位一体の神よ、私の心を打ってください。三位一体の神よ、私の心を打ってください。これまであなたは丁寧にノックし、優しく息を吹きかけ、光を照らし、私を直そうとしただけでした。私が自分の足で立つことができる唯一の方法は、あなたが私を倒してくださることです」。彼の作品を研究する学者によれば、『聖なるソネット14/ Holy Sonnet 14』のこの一節は、ダンの信仰の危機の最中に書かれたもので、神への探求と生と死について考えることから生まれたという。

この言葉について、ジョセフ・トーマスは、「このような宗教的な言葉は、この有名な物理学者が新しいテクノロジーが世界にもたらした恐ろしい力を理解しようとする重要な方法だった。彼は、自分がもたらした新しい現実を理解するには科学が十分ではないことを認識している」という見解を示した。したがって、他の側面や価値観に関係なく、「この映画は科学、宗教、倫理の関係について考えさせる。実際、この映画は現代に生きる私たちすべてに、この重要な道徳的ジレンマを突きつけている」と述べた。 

この映画の原作は、2006年にピューリッツァー賞(Pulitzer Prize)を受賞したカイ・バードとマーティン・J・シャーウィンの著書『オッペンハイマー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇/ The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer(カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン著/Kai Bird, Martin J. Sherwin)』である。カイ・バードは最近、「この映画のおかげで、宗教的・道徳的問題に敏感な科学者、いわゆる公共知識人という新しいタイプの科学者について、より大きな議論が生まれるだろう」と期待を表明した。彼はまた、オッペンハイマーとアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)との有名な会話を回想した。その中で両者は「連鎖反応を起こして、全世界を破壊することになりかねない」と危惧していた。そして映画の最後では、すでに実験を行ったロスアラモス研究所の所長が、「こうした懸念が現実のものとなった」と認めている。映画の中で示された主人公の自責の念は、『科学の無分別な進歩』に伴う恐ろしい結末についてのものだった。

「この良心の声には、科学、政治、実用的な考察の限界を超えた挑戦がある。映画で描かれた軌跡のように、道徳的真理は、そのような真理の重要な貯蔵庫として機能してきた宗教的知恵とともに、客観的な知識の源として無視されることがあまりにも多い。科学と技術が真の人間的成長を念頭に置いて創造されたならば、その真理と道徳を示すことができる」とジョセフ・トーマスは締めくくった。

Fr. jj/New York


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