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私がなりたいのはあっちゃんだった

「皆さんの幸せは、AKBのあっちゃんになることじゃないわよね?会社の同僚と、ささやかだけど幸せなランチの時間を過ごすことよね?」

ううん、私がなりたいのはあっちゃんの方だ。
はっきりと決断できた瞬間だった。


19歳、女子短期大学の1年生だった。冬休みに、「女子短大生のための就活講座」みたいなものが5日間ほど行われた。
外部の、就活コンサルタント的な講師のマダムが、女子が就活するアレコレを教えてくれる会だった。
「皆さんが持っている化粧品を持ってきてください」「面接の時の前髪はこのように」「その話し方は、この職種のイメージに合わないですね」
といったように、身なりから喋り方まで、あれやこれや指導された。ちなみに、今では誰しもが知っている「ブルベとイエベ」の存在も、この時初めて教えてもらった。

高卒で働くのはなんか嫌で、かといって大学で学びたいこともなく、良い大学に入るために猛勉強をするというポテンシャルもなかった私は、のらりくらりと倍率低めの短大に推薦で入り、「大学のうちにやりたいこと決めればいっか」と、これまた呑気なことを考えていた。

1年生の初めのうちから「大手銀行に就職が決まった先輩の講演会」とか、就活に関する会、みたいなものにはちょくちょく顔を出していた。

しかし、まっっっったく、これっぽっちも、小指の先ほどの興味も湧かなかったのだ。

大手銀行、大手ガラスメーカー、スマホの液晶を作っている会社、、、色んな先輩の話を聞いたが、どれも「大手ですごい」ということだけ分かり、ワクワクもなければ、自分がそういった仕事をしているイメージもまったく浮かばなかった。
だが、隣に座っていた友達は、「福利厚生が厚い!」「土日祝休みで9時17時の事務ならどんな仕事でもいいや」と、口を揃えて、先輩の話を熱心に聞いていた。のを、私はしらけた目でみていた。

やりたいことなんてない、と冒頭で言っていたが、心の奥底では本当はやりたいことがあった。それが芸能の仕事だった。てか、それしかなかった。

芸能の仕事をしたい、と思ったきっかけが何個かある。

中学生の頃から、ファッション雑誌を読むのが好きだった。お気に入りのページを何回も何回も読んだ。そして同世代のモデルの子たちを見て、羨ましいと思った。
「人に元気を与えられるようなモデルになりたい!」
そんな、ありきたりなことを思ったのが芸能の仕事をしたいと思うようになった気持ちの種だったような気がする。
ちなみに「人に元気を与えたい」というのは、小学生くらいまでしか使えない芸能志望動機あるあるだ。人の元気を損なわさせるモデルなんて、どこに需要があるというのだ。

そしてその後も、心に夢の種が撒かれていることに気づきつつも、何も行動しないまま高校生になった。
そんなある日、激人見知りの友達に、「かほと色々話してたら、人と話すことが楽しくなったの!ありがとう!」と言われたのだ。個人的には特に何もしてなかったのだが、大人数で話している時なんかに、その子に積極的に話を振りまくっていたことがよかったらしい。今思えばとんだ荒療治である。

この時の友達の言葉で、種が芽くらいに育ったのだと思う。
やっぱり、「かほがいると楽しい!かほと話してると楽しい!元気になる!」と思って欲しい、という気持ちが、根底にあったのだろう。
なぜそれが、=芸能の仕事に結びついたのかは自分でもよくわからないが、事務員のOLではその夢は叶えられそうにないな、と感じた。

そして短大生となり、冒頭の就活講座を受講した。

なんだか分からないが、ここで芸能の道に行かなかったら、一生やらないような気がして、胸はずっとザワザワしていた。就活の話を聞けば聞くほど、芸能への気持ちが大きくなっていった。

そんな時に、試しに受けに行った芸能のスクールに合格した。今思えば、誰でも受かるようなところだったけど。
私はその合格を免罪符に、お母さんに就職はしない。と伝えた。泣かれた。そりゃそうだよな。
頑張って学費を出してくれたのに本当に申し訳ないと思ったけれど、例えどんな立派な企業でも、福利厚生がまい泉のカツサンドくらい厚くても、素敵なアフター5を過ごせたとしても、私は芸能の仕事を選択したいと思ったのだ。


「皆さんの幸せは、AKBのあっちゃんになることじゃないわよね?」

私は、あっちゃんの方を選んだ。あの教室で、一人だけあっちゃんの道を選んで、茨の道を行くこととなった。そして今も茨の道の途中である。
ブランド物の鞄なんて買えなければ、今月の家賃すら不安な時もある。
けど、どうにか芸能人をやらせてもらっている。ファンの人もいてくれる。私に会うと喜んでくれる。こんなに幸せなことってない。
今でも芸能の世界の厳しさにダイレクトアタックされているけど、それ以上に、色々な人と出会って、たくさんの優しさにも触れた。

茨の道の途中、あの日に帰ってやり直せる道があったとしても、私はもう一度、迷いなくあっちゃんの道を選択するだろう。


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