「春夏秋冬の秋」ほろ苦くて、でも愛しい

秋というのは、暑くもなく寒くもなく、集中して何かに取り組むのに適している季節だというのは確かにそうだと思う。だから、読書の秋とかスポーツの秋とか芸術の秋というフレーズが定着したのだろう。

 私にも、全力で打ち込んだ秋というのがある。

 中学3年生の11月下旬、ピアノのコンクールに出た。受験生ということもあり、「ちゃんと9月と11月の模試で、高校の内部推薦に必要な点数を取るならコンクール出ていいよ」という契約を大人と結んだので、一日中結構忙しくしていた。

 朝は苦手だったので起床はギリギリ。早めに登校して、ホームルームが始まるまで学校のピアノを弾いて、授業を受けて、部活や補修がない日は下校時刻までまたピアノを弾いて、寮に帰ってご飯を食べて、お風呂に入って、自習時間までピアノを弾いて、そこから勉強して、寝るのはだいたい夜中、しばらくこんな感じの生活が続いた。基本マルチタスクが苦手な私がピアノと勉強を同時進行でやれたのは、我ながらすごいエネルギー量だったと思う。

 頭の中にあるのはいつもピアノのことだった。レッスンで指摘された部分を早く修正したくて、もっとスムーズに弾けるようになりたくて、授業中も常に机の上を指で弾いていた。内部推薦の面接で「今頑張っていることは何ですか」と聞かれ「ピアノのコンクールに向けて頑張って練習しています」と答えた私に「じゃぁ、もう早くこの面接終わって練習に行きたいぐらいかな」と冗談で言った面接官に対し、それまで萎縮していた私が急に生気を取り戻し「はい、そうなんです。では失礼します」と真顔で立ち上がったものだから「いや、まだ終わってないから」と苦笑されたぐらいには、私の生活の中心はピアノだった。

 そんな、全力を注いで取り組んできたピアノのコンクール。結果からいうと、もう本当にボロボロだった。

 張り詰めた雰囲気のステージ裏に、明るすぎる舞台上のライトに、痛いほど注がれる大勢の視線に足がすくんだ。この空気感は以前にも経験しているはずなのに、私の緊張は一瞬にして自分のキャパシティーを優に超え、冷たく汗ばむ手でピアノに触れた時にはただ「やばい」という焦りしかなかった。初めての感覚だった。なんとか椅子を調節して弾き始めたが、その瞬間からものすごい勢いで両手が震えだし、警戒な流れが特徴の曲はあっという間に止まってしまった。「終わった」と思った。皮肉なことに、曲が止まったその時に手の震えは収まった。最後まで弾き切らなければという思考がギリギリ働き、その後は両手が勝手に動いた。それぐらい、この曲は私の体の中になじんでいたのだと、この絶望的な状況で初めて実感した。

 ステージから戻って来た私を、ピアノの先生と母は「緊張しちゃったねぇ」と言いながら優しく出迎えてくれた。その二人を見た瞬間、滝のように涙が出てきた。人目も憚らず泣いた。いわゆる、挫折をしたのだと思う。悔しくて悔しくて、ただただ悔しかった。「それだけ一生懸命頑張ったってことだよね」と先生に言われて、思っていた以上に自分がこの日のために打ち込んでいたことを知った。

 悔しいという気持ちだけであれほど泣いたことも他にない。午前の部が終わるまでほぼ泣き続け、昼食は喉を通らず、実家に帰る途中によったロッテリアのエビバーガーを食べながら泣き、帰宅して布団に入ってまた泣いた。今思い返しても、あの日の記憶はほろ苦い。

 だけど、そのほろ苦い結果の背景には、忘れてはいけない努力の過程がある。そして、邪魔になるからとレッスン室の外から人知れず私の演奏を見守っていてくれた友人や先生の応援も、きんもくせいの香り漂う夕方の帰り道を練習がうまく行った高揚感の中歩いたことも、コンクールの後にみんなからもらったメールも、「そんなに苦しそうな顔しないで」と打ちひしがれる私を気にかけてくれた人がいたことも、あの悔しさと同じぐらい覚えている。学校の中でレッスンをしてもらえたこと、いつでもピアノが弾けたこと、応援してくれた人たちがいたこと、悔しいという感情を素直に表に出せる相手がいたこと、私は本当に恵まれた環境の下で音楽ができていた。

 先日、当時自分が弾いていた曲を久しぶりに聞いてみた。ピアノからすっかり離れた今、とてもじゃないがあんな風に手は動かない。「こんなに難しい曲、よくやってたなぁ」と、自分のことながら頑張る子どもを見守る親のような目線になってしまい、当時の記憶は今すごく愛しくもある。

 この夏、中高生時代にお世話になったピアノの先生と10年ぶりぐらいにお話できる機会があった。「あなたはいつも一生懸命練習していて、そしてすごく楽しんでいた。だから、私も教えていて楽しかった」と言ってもらってわかった。私は楽しかったのだ。それは、ハッピーでルンルンでニコニコするような楽しさではなくて、でも、とにかく極めたくて、理想を追及したくて、そして学期と一体になれるような魅力がピアノにはいつもあった。そんな経験ができたことが、とても幸せだ。

 あのコンクールから12年。それなりにいろいろな経験を経て、私はコンテストや大会で力を発揮できるタイプではないことを学んだ。どうしても、緊張やプレッシャーに押しつぶされてしまう。人前でパフォーマンスをするアスリートやアーティストはとてもかっこいいしあこがれたこともあったが、私にはできない、それでいいと今は思う。それよりかは、積み上げてきた知識やスキルを、外的プレッシャーにさらされない環境の中で文字としてアウトプットする方が、私は実力が出せることがわかった。だから、とにかく論文が多いカナダの大学生というのは、私にはすごく向いていると思う。

 12年前真剣にピアノに打ち込んでいた私は今、もう晩秋のカナダの地で過酷な実習と大量のペーパーに追われている。もがきながら、悔しい思いもしながら、でもなんだかんだいって楽しいし、納得する形でペーパーが書けるとやっぱり嬉しい。その時感じる高揚感はたぶん、あの秋の夕方、きんもくせいの帰り道に感じていたものと似ている。

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