「かっこいいを探る」しっくりくる自分色のかっこよさとは

 「かっこいい」という言葉はとても幅広い、そして奥深いとも思う。かっこいい異性、かっこいい先輩、かっこいいアーティスト、かっこいいヒーロー…。誰をどうかっこいいと思うかは一人一人違う、それがいい。
 かっこいい人を見た時にどう感じるかも人それぞれだろう。例えば私は名探偵コナンが好きだ。最近だと、世の中的には安室さんや赤井さんがかっこいいと言われている。確かに二人ともイケメンだし超人並みに強い。だけど私は、例えば「ぼくの恋人はこの国差」とドヤ顔で言われても、「落ちろ」と言って敵とはいえ人が乗っているヘリコプターに淡々と銃を打ち放つ姿を見てもキュンとはこない。それよりも、全力で和葉を守ろうとする服部平次や、頭脳で勝負する羽田秀吉の方がかっこいいし憧れる。コナンのキャラクターの中では、ミステリアスでクールビューティーなベルモットや波瀾万丈の過去を抱えながらもなお黒の組織に潜入するキールがかっこよくて好きだが、だからと言って自分があんな風になれるとも思わない。
 要は、かっこいいというのは大変主観的で、自分の理想とするものが色濃く反映されているのだ。恋愛対象として見るのか、尊敬のまなざしを向けるのか、憧れてついていきたくなるのか、はたまた嫉妬に狂うのか、かっこいい人に対するリアクションも十人十色。だから「かっこいい」を客観的に定義することは私にはできない。その代わり、自分が目指しているかっこよさとは何かということは少し説明できそうな気がする。私にとって、しっくりくる自分色のかっこよさとは。
 何か一つのことを極めている人。昔からアスリートやアーティストはかっこいいと思っている。私はスポーツにも芸術にも打ち込めるタイプではない。でも、カナダでソーシャルワークの知識を吸収している時間はとても好きだし、学びを極めるのが自分には合っているのだと思う。
 グレーゾーンを大切にできる人。もともと白か黒かという考え方がすきではないので、いろいろな可能性も含めて物事を大きく捉えられる人、年齢とか性別とか経歴とか、表面的な情報で人を定義したり判断したりせず、変な気を遣わせずにあるがままのその人と接することができる人はかっこいいと思う。
 人の痛みに寄り添える人。特に、弱っている人に対してどう振る舞うかで人のかっこよさは決まると思っている。「つらい」と言っている人がいた時に「私はもっとつらかった」とか「それはしょうがない」とか「それはあなたがもっと頑張らないと」というような言葉をぶつけるのは全然かっこよくない。でも悲しいことに、世の中にはそういう人たちが結構いる。ただでさえつらくて弱っている人に、自分のスタンスを押しつけて傷に塩を塗るようなことはするべきではないと私は思う。私が今までかっこいいと思ってきたロールモデルの人たちは、弱っている人の話を真剣に聞いていた。聴くというのもただ「うんうんそうだね」とうなずくだけではなく、寄り添って共感してもらえていることがわかるフィードバックをくれた。ちゃんと聞いてもらえている事がわかるだけでも、だいぶ気持ちの負担が軽くなることがある。だから私もそんな人になりたい。
 自分の人生を楽しんでいる人。いつもは無理かもしれないが、ドヨンとしている人よりもキラキラしている人でありたい。ここまで書いてふと思う。このエッセー、心に余裕がなくなって闇落ちしそうな時に見返すチェックリストにしなければ。
 26歳の今、可愛いと言われるよりかっこいいと言われたい。秀でた才能があるとか、注目を浴びるヒーローになるとか、皆が驚くような功績を上げるとかではなくてもいい。もがきながらでも自分が理想とする生き方を追い求め、柔らかく伸びやかな気持ちで人生を送りたい。
 最後に、私がインスピレーションを受けたかっこいいシリーズを紹介する。もし興味があるものがあればぜひチェックしてみてほしい。
小説部門: 島本理生『週末は彼女たちのもの』。染められるんじゃなく、これから始める全て、私の色に染まれ(作中本文より)。
ドラマ部門: Followers(Netflix)。それぞれのヒロインが見つけるそれぞれの生き方。
ドキュメンタリー部門: Queer Eye(Netflix)。外から内から人を元気にしていく5人のプロフェッショナルが織りなす奇跡。
映画部門: Miss Potter.ピーターラビットを書いた作者の人生の物語。
音楽部門: 岩井のぞみ『ケ・セ・ラ・セ・ラ』。どうせ同じ道進むなら、そこら中に隠れてる幸せ集めの旅にしようよ(曲中の歌詞より)。
 私が見つけたかっこいいが、誰かの心に寄り添って、また歩き出せるビタミンを注いでくれることを願って。

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