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「犬について」伝えたい、大好きをずっと

 6歳から18歳まで犬を飼っていた。コナンという名前のミニチュアダックスフンド。人なつっこくて穏やかな性格、ちょっといたずら好きで、でもとっても優しい、フランスパンみたいな形の宝物。

 私の過度な動物恐怖症の克服、それがコナンを迎える決め手の一つになった、というのはずいぶん後になって知った話。確かに当時の私は動物を極度に恐れていた。母曰く、きっかけは2歳の時、保育園の遠足で動物園に行き、のんきにシマウマを見ていたら、突然そのうちの一頭が私たち目がけて全力疾走してきた。それはもう檻を突き破らんばかりの勢いで、ガラスの窓に目をくっつけて見ていた2歳の私には、スリル満点を通り越してトラウマ級の体験になった。それからというもの、動物を見ると冷や汗が止まらなくなり、次の年からの動物園遠足では道のど真ん中をただまっすぐ前を見据えて競歩で一週し「よし帰ろう」と言うようになり、みんながかわいがっていた保育園のウサギにも怖くて近づくことができなかった。

 母は思った、これはまずいと。このままでは娘は一生動物におびえながら生きていくことになりかねないと。そしてその打開策を考えた結果、かねてからいぬがほしいと熱望していた3歳上野兄のプッシュもあって、私が6歳の時、我が家に犬を迎えることになったのである。

 今考えると、これは結構なショック療法だ。コナンが家にやってきた当初は、毎日が気が気ではなかった。というのも、当時の私はえらく兄に憧れを抱いており、何でもお兄ちゃんのまねをしたい年頃で、ものすごく楽しそうにコナンと遊ぶ彼を見て「犬が怖いなんてかっこ悪い」と思っていた。でも怖い。だから日々コナンをさりげなく避けて暮らしていた。コナンが少しでも自分の蕎麦に来ようとする気配を感じたら「今私はパズルで遊んでいるでしょ?だから邪魔しないでねぇ」とか「今私はおままごとで忙しいからニーニと遊んでねぇ」とか、あたかも遊んでほしい子供を諭す親のように振る舞い、「本当はお兄ちゃんのようにあなたと遊んであげたいんだけど忙しくて」みたいな、よくわからない余裕なふりをするのに必死だった。だけどいざ、すばしっこいコナンの走ってくるスピードに勝てないと直感でわかった瞬間にそんな余裕は吹っ飛び、彼のサークルに駆け込んで自ら鍵を閉め、身の安全を確保していた。それでもなお、サークルのなかから余裕を繕って「コナンおいでー」とか言っていたのだから、幼き日の自分のかっこ付け方というか、どう見てもから回っている感じに苦笑するしかない。そしてそんな光景を、両親はホームビデオに収めながら爆笑していた。いささかS過ぎやしませんか。

 でも、このショック療法は、私の場合、とても華々しい成功を遂げた。コナンと同じ屋根の下暮らしているうちに、「このわんちゃんはかみついたりひっかいたり怖いことをしたりしない」と学んだ。そしてある日、いつものごとく「ごめんねぇ今キティーちゃんのパズルしてるから遊べないの」と言い訳する私の膝の上に、「コナンはかほと遊びたいんだって」と言って父がコナンをそっと乗せた。初めてちゃんとコナンをなでた瞬間だった。暖かかった、という感覚を今でも覚えている。

 コナンと私の距離は、それからグングン近くなった。すぐに兄のように追いかけっこをして遊べるようになったし、気づけば家族の中でコナンといちばん仲良しになった。大人になった今でも犬が大好きだし、犬以外の動物とも最低限のふれあいはできる。これも全部コナンのおかげ。そして、犬を飼うことを決めてくれた両親のおかげだ。

 コナンはリンゴとキュウリとヨーグルトと氷が好きで、キッチンでキュウリを切る音がするとクンクン鳴いてねだり、朝食でヨーグルトを食べていると、私の足下で尻尾を振りながら終わるのを待ち、ほぼ空になったカップに顔を突っ込んでカップが綺麗になるまでなめていた。なかなか繊細な部分も持ち合わせた犬で、しばしば食欲不振に陥ってご飯を食べなくなり、そのたびに本気で心配して、なでたりおだてたり、時にはご飯中のテレビみたいにエンタメがあればいいかもしれないと思ってフラフープを回して見せたりなんかしながら、なんとか食べてくれないかと幼いながらに必死で知恵を絞った。誤って除草剤を食べて数日寝込んだ時は、不安で夜も眠れなかった。

 パズルで遊んでいれば幸せだった保育園の時とはいっぺんし、弱視の小学生の私の人生は結構ハードボイルドだった。いつまた学校で物を投げられるか、ひどいことを言われるかと怯え、上手に目が見えるふりをしなくちゃとピリピリした緊張感を常に持ち続け、ストレスマックスで家に帰って家族と衝突し、いつも一人で泣いてるか怒ってるかしていた。誰を信じていいのかわからなくて、誰もが敵に思えた。物にもだいぶあたった。でも、コナンにだけは優しくしなきゃ、というか、しゃべれない動物に自分の怒りをぶつけてはいけない、という気持ちが由来だことはなかった。小学生時代というのはしんどすぎてもう二度と戻りたくないけれど、そんな憂鬱な日々の中でも、ヨーグルトのカップに顔を突っ込むコナンは可愛かったし、私の膝の上でおなかを見せて気持ちよさそうにしているコナンをなでている時間は癒やしだったし、私の手や足をペロペロなめるコナンの存在は、いつもいつも愛おしかった。あのサバイバルみたいな子供時代の中で、基本的な優しさとか、愛情とか、思いやるとか、無条件に愛おしいとか、そういう気持ちを忘れずにいられたのは、間違いなくコナンの存在が大きい。

 中学1年生で単身上京した私は、帰省する度にコナンの写真を撮ってそれをデコってケータイの待ち受けにし、まるで自慢の孫を見せびらかすおばあちゃんみたいに、「可愛いでしょー」と言っていろんな人に見せて回った。「コナン元気?」と聞いてもらえることが嬉しかった。実際にコナンを寮で飼うことはできないから、ミニチュアダックスのぬいぐるみのキッドを買ってチクチク裁縫をしたりして、コナンの存在をできるだけ身近に感じようともした。先日久しぶりに高校の時の同級生と話したら「担任の先生の名前より先に、かほが飼ってた犬の名前が出てくる」と言われた。そのぐらい、主張が激しめだったのだろう、恐縮です。

 コナンは12歳まで生きた。9歳の時にヘルニアを発症して、それからは介護とリハビリの生活が続いた。当時私は東京にいたから、コナンの介護やリハビリにつくしてくれていた家族には頭が下がる。胴が長くて足が短い、ミニチュアダックスにはヘルニアのリスクが付きものだということを痛感した。本当に人と一緒で、手術も介護もリハビリも、そして最後を看取るということも含めて、家族の一員だった。お金もかかるし、介護する側もされる側も負担は大きい。コナンが亡くなったあと、母はペットシックになり、最後を一人で看取った父はもう犬は飼わないと言った。それぐらい、コナンは家族の一員だった。大切な大切な我が家の一員だった。この段落を書いている今、私はちょっと泣きそうになっている。そのぐらい、コナンのことが無条件に好きだった。出会えたことが、本当に幸せだ。

 昨年のクリスマス、ちーちゃんがミニチュアダックスのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。はるばる日本からカナダまでやってきてくれたぬいぐるみ、フランスパンみたいな長くてプックリした動に、ホットドッグからソーセージがちょっとはみ出ちゃってますみたいな短くてちいちゃな足、そして大きな垂れた耳と一緒に顔がドーンと前に出てきているこの感じ、まさしくコナンである。このぬいぐるみを傍らに置いて、時々なでたりしながら、コナンとの思い出を振り返りつつ、今回この記事を書いた。愛しのコナン君、虹の橋の向こうで元気にしていますか?知ってると思うけど、私は君のことが大好きでした、そして今も大好きです。愛が重めだったらごめん。我が家に来てくれて、出会ってくれて、ありがとう。本当にありがとう。

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