私がnoteを書く理由
私がnoteを書くことにした経緯を記しておこうと思う。
何故書くのか
1言で言うと「自分探しの為」
ポジティブな気持ちをすぐに忘れる。
逆にネガティブなことをずーっと考えてしまう。
そんなちょー厄介な性格なので、文章にして客観的にその時の気持ちや考えを残しておくことは大切かなと。
なので、ふらっと見た誰かが、私のその時の気持ちに共感してくれたり、何か救われた気持ちになったら嬉しいな、みたいなことはあるけども、基本的には自分のため。
自分の感じる素直な感覚を丁寧に文字にしていたい。そんな思いで書き始めることにした。
それに至った経緯
突然だが、「色々辞めることにしました」。
私のことを知っている人からすれば、何事?と言う感じだろう。
NPO、支援団体、そんな風に呼ばれる団体の活動(詳しくは前の投稿を見てね)にジョインしてきた3年間。
先月末保育士試験の筆記を受けて(おそらく)通過。9月頃には保育士免許を取得できるはず。
しかも今年度から日本福祉教育専門学校にも通信で通って来年度末には社会福祉士を取得予定。
私自身でさえも、当然福祉施設またはどこかのNPOで対人援助に関わるのだろうと思っていた。
ただ、先日1週間東京に行って、少し気持ちに変化があった。
何故、東京に引っ越すのか。
何故、福祉がいいのか。
何故、NPOがいいのか。
何故、生きているのか。
何度も何度もその問いに自分なりの答えを導き出し、納得して関東に引っ越すことを決めたはずなのに、全てが綺麗事に思えて、自分を満たす為の上辺だけの理由な気がして、私は迷子になった。
やりたくてやってきたこと。それは偽りのない事実。心が動く何かはある。やりたい、行動したい何かはある。なのに、なのに、。
本当に心から自分のためにやりたいか、と聞かれるとよく分からない。
どこかで
「誰かの為になることが自分が生きている理由」
そんな他者主体な理由があることに気づく。
そんな自分を見つめて、考えても考えても自分主体なしっくりくる理由が見つからない。
出てきたものは、
「何もしたくない」
「何も考えたくない」
「人の為に生きたくない」
「かほの命を生きていたい」
何より、深夜真っ暗なれもんハウスで1人。
「ここにずーっと居たい」と思った。
号泣で出てきた心からの叫び。
唯一それだけは今の私から出てくる心からの「願い」のように感じられて一旦それに従うことにした。(れもんハウスに対する思いや何故そう思ったのかについての解像度をあげるのはまた今度。)
そのために今できること、したいこと
それを実現する為に、今何をすべきか。
できる限り仕事の負担少なく、時間の融通のきく方法を模索した結果が今のバイト先、某大手飲食店の短時間社員になることだった。
今はそれを実現するための調整中。
どこかに所属し、日常的に福祉や対人援助と向き合うことが1番の近道だとすると、それは遠回りになるのかもしれない。
それに対する不安や恐れはもちろんある。
ただ、今は自分の決断に一定の納得感、しっくり感がある。
仕事ではない角度から、人と人との繋がりや誰かとともに過ごす営みを積み重ねる。
仕事ではないからこそ、自由に、余白の中で、心が動く瞬間に出会える気がする。
心に正直になれる気がする。
仕事や中心の活動としては一旦休んで、離れて、
かほでアルの状態で過ごしながら、湧いてくる感情や価値観を大切に、れもんハウスでの新たな出会いや刺激に身を任せて色んな場所に飛び出したい。そして本当に心が動くものを見つけたい。
ゆるーくね☺️
良い人や場所があれば沢山連れ回してください。
その過程をこのnoteと共に過ごしていこうかなっと。
では、今日はこの辺で。
読んでくださりありがとうございました。
2024.5.1
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