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美しいってなんだろ

「別に美しくなりたいと思わないし、美人じゃない自分のことが好きだ」

少し前に読んだ小説の主人公がそのようなことを言っていて、はっとした。
わたしはすごい思い込みをしていたのかもしれない。
みんな美しくなりたいものだと思っていた。

これは美しさの話だけでなく、大多数の思っていることこそが正しい、そうじゃない意見の人は置いてきぼり…
気づかぬうちにいろんなものごとの一面だけ切り取られ、それが世界の正解みたいになっていっていることがあるのかな…

そんなことを言いながら、わたしは美しくありたいと望む人だ。
わたしが思う美しいとは、自分が前向きにいられる状態のこと。
それは自分にとっての出来うる限りのベストな状態。家にこもるつもりだったけどちょっと外に出かけようかなと思っちゃうぐらいに、外方向に向かわせてくれるような、心に花をぱっと咲かせてくれるような感じ。

もう少し簡潔にまとめてみると、美しいとは、心が元気で自分の素材が活かされ、在りたい自分に少しずつ近づいていくことだと思っている。
そうは言っても、もっと目力があればなぁとか、美白で小顔であればいいのにとか、なんか顔がだいぶ左右非対称だぞ、足思ったより短くない!?…とか、コンプレックスといわれるものはいっぱいある。
それにあの人きれいだなとか素敵だなと羨ましく思うことも多々ある。その人の写真を眺めては、自分と比べてしまってがっかりすることも少なくない。
そう思ってしまうのは、メディアが伝える画一的な美も影響しているのだろう。
けれどもコンプレックスがあるからわたしは美しくいることに近づけるのかなと思っている。
だからコンプレックスは愛おしいのかもしれないと最近は少しずつ思えるようになってきた気がする。

美しいの定義や美しいということばから抱く感情も人それぞれだろう。
痩せていることが美しいとか、むしろ程よくふくよかなほうが美しいとか、年齢とは相反するぐらい若いみた目でいることが美しいとか、細かいことは気にせず自由に自分の意のままにいることが美しいとか。
それに美しいというのは何も外見的なことだけではない。所作や姿勢、表情、その人が持ついろんな要素から美しさを感じられる。

さきほどもいったように、自分の意見や社会の意見がすべて、と思わないこと。いろんな考えがあってしかるべきだ。
でもわたしは美しくいることをあきらめたくない。
わたしはそうありたいと自ら選ぶ。
これからも自分のための自分にとっての美しさを追求したいと思う。


これからわたしが美しくポジティブにいられるためにいろいろと探して出会ったことについても、時たまここに綴っていこうと思います。


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