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熱中するのは良い事。でも熱中するものが無い。



そんなつぶやきをして悩み崩れる人を多々見かける。

そんな人へ、私はこの記事を使ってたたみかける。




凡人に与えられた力


自称凡人が「私には才能がない。突出したものも持ってない。」と、自ら尊い心を掻き崩していく。


確かに、成功者や個性のある者と比較すれば見えてくるものが自分には無いものばっかりを持っている。

しかしNo.1になった人は、それだけ別の可能性を犠牲にしてきた人だと考えていい。


スケート選手が世界のNo.1になってるうちは、ボクシング世界チャンピオンにはなれないし、会社のトップを担っている社長がトップアイドルを目指すのも無謀な話である。

イチロー選手だって世界基準のサッカー選手にはなれなかったし、

世界一の投資家、ウォーレン・バフェットも、世界一の消費家にはなれなかったのである。


そう。そこのトップになった者は、ほかのトップになれる可能性がほとんど残されないということ。


神様が平等に与えた「時間」をさらに逆手にとった、いわば『成功者に与えた唯一の代償』と言ってもいい。


これは子供の成長と同じ。



成長とは、可能性が狭くなること。





じゃあ、成功とは程遠い凡人である私に何が残っているのか?


結論から言う。


 

 



 可能性だ。それ以外ない。






 



人は何も出来ない時にこそ、何にでもNo.1になれる可能性を秘めている。

伸び代しかないから歌手でNo.1もとれるしスポーツ選手でNo.1にだってなれる可能性がある。会社のNo.1なんて1番イージーだ。

可能性しかないのである




失うものは何か?お金か?人脈か?
それとも名誉か?



 そんなモノ、失った時には案外価値が無いなと気づくようになる。



挑戦するために必要な材料は残してた方がいいとしても、材料にも実績にもなんないモノはさっさと捨てた方が体も心も軽くなる。





まずは、凡人には可能性の塊であることを理解しよう。











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