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ナポリタンで「ととのえる」

新しい土地で生活をはじめるたびにナポリタンを作るようにしている。

ナポリタン。コロッケ・オムライスと並び「和製洋食」三傑のひとつとして扱われる炒めスパゲッティ。「ナポリ生まれでもないくせに」、「イタリア人大激怒」などなど不遇の扱いも受けがちなこの料理だが、これがどうして、新生活のスタートを切るにあたって心をととのえるのになかなかいい。

必要な材料は

・スパゲッティ
・ケチャップ
・玉ねぎ
・何らかの肉
・ピーマン
・塩こしょう

くらい。「何らかの肉」というのは別に不穏な空気を醸し出したかったからではなく、本当に何でもいいから。基本はウインナーソーセージだろうけれど、ベーコンでもいいし、何なら加工製品でなくて普通に鶏ももや豚バラなどでもいい。牛は微妙かもしれない(なんとなく)。

これまでロシアに住んだりアメリカで暮らしたりと地球規模でぶらぶらしてきたが、どこに行っても上の材料はだいたい揃う。イスラム圏だと豚のウインナーが手に入らない、などはあるかもしれないが、何の肉も手に入らない土地はないだろう。パスタ・ケチャップ・玉ねぎも同様。ピーマンは、わからない。とにかく、この「どこでだって揃えられる材料でできる」のがナポリタンの偉大さ。買い物の最中にも「ここにもハインツのケチャップが!」など、これまでの自分とその土地が繋がる感覚がある。なーんだ、わりかし繋がってんじゃん、世界。そういう安心感。「こういうベーコンがあるんだな……」という発見も、それはそれでいい。

買い物が終わったら、ナポリタンを作る。お湯を沸かして麺を茹で、具材を炒めて混ぜ合わせる。麺が茹で上がるのを待っている間だったり、具材を炒め合わせている間だったり、そういう、調理にじんわりと時間がかかっている間に、その空間が自分の身体になじんでいく気がする。調理工程を通して、「お邪魔しているキッチン」が一気に「うちのキッチン」になる。

できあがり。おおむね世界のどこで作っても似たようなものができる。ケチャップの甘酸っぱさ、スパゲッティの食感に感じる生活感。かんかんかん。慣れ親しんだ味を慣れない空間の只中でいただく。そのギャップがいい。モノとしての食べ物と一緒に「あぁ、自分はこれからここで生活をしていくんだな」という実感が身体に入っていく。

新しい土地、特に海外ぐらしなんかだと、生活の中でままならなさを感じる機会も少なからずある。それでも、スーパーに行けばスパゲッティもケチャップも、玉ねぎもある。自分はここでナポリタンが食べられる。

「何がどうなってもナポリタンはある。まあ、なんとかなるだろう」

引っ越し蕎麦ならぬ「引っ越しナポリタン」は、いつのまにか定番のイベントになった。生活の足を地に付ける、セーフティーネット確認のための儀式。


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ヘッダのナポリタンはカリフォルニアで引っ越しをした際に作ったもの。レタスを添える余裕まであったらしい。

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