見出し画像

「ひきよせの法則」らしきもの

先日友人と呑みに行った。「のみにいけたらいいねー」を社交辞令で終わらせたくない自分は、よくそのままの流れで相手を引っ張って行きがちなのだが、それはこの話の本筋ではない。

3軒目に入ったバーで彼女が「ダイキリ」というのを頼んでいた。野菜の名前だな、みたいな印象しか受けず、うすい緑色なんだろうな、なんて勝手に考えていた。実際はそうではなかったけれど。

するとどうだろう、その後数日の間に2~3回ほど、全く関係のない文脈で「ダイキリ」が出てきた。noteを読んでいたりtwitterを眺めていたり、とにかく「ダイキリ」が出てきた。

そういうことがたびたびある。はじめましてにしてもひさしぶりにしても、少しはっきりめに認識したモノやコトが、その後しばらくの間にやたら身の回りに現れるのだ。

外国語の勉強でも似たようなことが起こる。覚えた単語や表現の登場頻度が、見知った瞬間増えるというやつだ。その時までは「まあ、目に入っていなかったものが目につくようになっただけなんだろうな」くらいに思っていた。実際そうだと思う気持ちもまだある。が。今回のダイキリ事件でそんな事も言ってられなくなった。今までまったく、二十余年まったくもって認識のチャンスがなかった「ダイキリ」が、こんなに一斉にこちらにやってくるものだろうか。

「引き寄せの法則」とやらがあるらしい。あれがほしいとかこういうことがしたいみたいなことを言っているか望んでいるかしていればそういうチャンスが自分に回ってくるというやつだ。自分はそのへんの話はあんまりあてにしていない。というか、いつも言ったり思ったりしている人は、自分の求めているものが何なのかきちんと認識しているということであり、その時点である程度のところまで来ているんだろうと思う。自分の場合はすこし違う。勝手に向こうが飛び込んでくるのだ。すこし開いたこっちの認知の隙間から。

すこしふしぎな話。これもS・F。



本とか買います。