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スペシャルな「ただの水」

某SNSのタイムラインで、友人のヨーロッパ旅行アルバムがなぜか再浮上していた。何年も前のアルバム。コメントでも付いたのだろう。パッと目に入った写真の1枚に、おそらく現地で買ったと思われるミネラルウォーターのボトルの写真があった。日本では見ないブランドだが、「水だねえ」と言う他ない。

そんな、言っちゃえば「ただの水」だけど、写真に収めたくなる感覚。
そうだよな~~~!と思った。すごくわかる。

旅行すると、ただの水だってなんだかスペシャルなものに見えてくる。別に水じゃなくたっていい。ちょっとしたお菓子でもトラムの半券でも、現地の人や、言っちゃえばその土地にしばらく住んでる人くらいになればなんでもないようにしか思えないようなもの。でも、自分の慣れた世界にはないもの。

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ドイツに初めて行った時の電車のチケット。この記事のために写真フォルダをひっくり返してみて、自分はやたらチケットの写真を撮りがちだということに気づいた。チケットはモノであり、わかりやすく自分の移動の軌跡でもあるからなおさらな感慨がある。気がする。

海外の楽しさはこういうところでもあるんだよな、と思う。もちろん日本国内でもそういう物はある。いわゆるご当地限定のものとか。ただ、海外はそれが文字だったり、デザイン(絵柄もだし、そもそもの形状も)だったり、振れ幅が大きい。視界に入るあれもこれもそれもどれもスペシャルで、とはいえ何でもかんでも買って帰って溜め込むわけにもいかず、ついつい写真でバーチャルにお持ち帰りをする。

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ロシア・ヴォルゴグラードのトラムのチケット。ちょっとブレてるけど。
こんな駄菓子の包み紙みたいな紙だって、いとおしい。

この感覚が強いと、もう全てに感動!ってレベルで感動できる。町並み、食べ物、乗り物、などなど。

その感覚を住み慣れた場所の日常にも敷衍できれば、もうちょいとみずみずしく生きられるのかも、とも思う。

しかしなかなかまだ、そこまではいけない。
というより、いちいちそんなに感動していてはあたまとココロが忙しくなりすぎるんだろう。きっと。慣れるというのもひとつの能力。とはいえ、窓を開けて空気を入れ替えるように、たまには身の回りすべてがいとおしくなるような経験もしたいよね、と、思った。旅行したいですねえ。

本とか買います。