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女のことを女に任せるな

自分は男である。

だからこそ、ここのところの大学入試とか子育てとかなんとかかんとかでどんどん明らかになっていく女性軽視のニュースに割と怒っている。

別に「女性を大事にしよう!」と”おんなサイド”で怒っているわけではない。というと語弊がある。もちろん女性は大事にしなければならない。でも、男性も大事にしなければならない。その間の線引きに意味があるとも思えない。結局のところ、みんな大事にしなければいけないのだ。

何よりもショックだったのは、「男はこんなにゲタを履かせてもらっていたのか」ということ。見えないバリアが女性の社会進出を阻んでいる、言い換えれば、見えないところで男性は社会進出において優遇されている。男である、それだけの理由で。
「男」である側にとってはズルをさせてもらっているようなものだ。後味が悪すぎてたまらない。おいおい俺はちゃんと頑張ったのに、もしかしたら……って思っちゃうじゃん!それってものすごく情けなくないか?情けないし、「男」の頑張りに対してもものすごく失礼なことなのではないか?正当に評価されなくなってしまうことへの怒り、このあたりが自分の怒りだ。

反論が来そうだ。

「男だからうまくいった」とは言い切れないだろう。選考がどういうプロセスを経たかはわからないんだから。きちんと頑張った男だっているはずだ。

そりゃそうだ。でも、実際に今「女であること」だけが原因の差別(差別と言い切っていい)がどんどん明るみに出てきている。それは「男だからうまくいった」と表裏一体の出来事だ。今後も「女だからうまくいかなかったんだ……」とやりきれない思いを抱える女性がいるとするならば、そこには同時に「男だからうまくいったんだ……」とやりきれない思いをする男がいる。そりゃあ頑張った男だっている。いるだろう。しかし、その頑張りにだって「でも、男だからうまくいったんでしょ?」と言えてしまうようになる。頑張った女性が適切に評価されなかったという事実が、評価された男性への見方まで変えてしまう。色々なことが明るみに出てしまった今、「そんな事ない!」とは言いきれない。この「言い切れない」ことが問題なのだ。

結局、女性にリスペクトを払わないことは男性にリスペクトを払わないことと出来事として1つだ。その点において「女の問題」は「女だけの問題」ではない。

だからこそ、女性に任せるのではなく、男性が勝手に決めてしまうのでもなく、みんなで考えるべきなのだ。以上。

本とか買います。