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冬の営みのいとおしさと、夏の快

生活リズムが見事にハチャメチャで、シャワーを浴びるのも夜だったり朝だったりする。先日は朝浴びた。起きて少し目を覚まし、浴びとくかーと思い立ったら服を脱いで、風呂場へ。蛇口を捻ってお湯を待つ。あったかくなってきたとはいえ冷水はまだつらい。

ふと、冬だったらこうはいかんな、と思った。いつの間にか、「服を脱ぐ前にお湯を出しておき、風呂場を温める」ことをしなくなっていることに気づいた。

ちょっと待つ。エネルギーをためるのには時間がかかる。風呂場を温めるのも、お湯を沸かすのも、煮物を作るのも。待つ必要がある。

少し先を見越して、ちょっと手間をかける。こういう「ちょっと手間をかけること」への愛おしさみたいなものが生活に溢れているから、自分は冬が好きなんじゃないか、と気づいた。烏龍茶か鉄観音か、はたまたジャスミン茶にするか迷ったりするのも、多分そうだ。

そういうのがない夏ってダメだよね!と言いたいわけではない。夏は少し違う。夏には夏で心地よさみたいなものはある。水をかぶったり、風を浴びたりしたときの、あの心地よさ。肌で感じる感覚的な快があって、そういうものと打ち合って生を感じる!という体験。それがたまらない!という人は夏を好きなんだろう。もちろん自分も快は好き。ただ、コントラストを作るには打ち合う相手が必要になる。「苦労して食う飯はウマいぞ」なんて言われて「その苦労が要らんねん」と思ってしまう自分なので、前提が少し違う気がする。冬の寒さも夏の暑さもどちらもつらいものではあるが、冬の寒さは布をかき集めてお湯なり暖房なりの熱を待つ時間が取れる。夏の暑さはどうしようもない。が、水をかぶるなり扇風機なり冷房なりでわりとすぐに救われる(そういったインスタントな解決を採るしかない!と暑さに急かされている感覚があるとも言えそうではある)。

ちょっと待つ冬と、溌剌とした夏。スピード感の違いなんだろうか。のんびり生きてる自分を肯定したいだけなような気もしてきたが、ともかく自分は、冬の生活の営みのいとおしさが、たまらなく好きだなあと思う。

本とか買います。