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「初めての外国」の話

アメリカという国がある。わざわざこういう言い方をしなくったって、大体の人は知っているし、何かしらのイメージがあるんじゃないかと思う。
昔の自分にとって、やはり「アメリカ」は「外国」だった。というか、「外国」は「アメリカ」だった。漠然とした、「日本」ではない場所としての代表格。もちろん、「フランス」とか「中国」とか「アンティグア・バーブーダ」とか知ってはいたが、「外国」(または、「海外」)という語の響きの中で「アメリカ」が占める割合は少なくなかった。何がどうしてそうなったかは分からない。『世界まる見え』のせいかもしれない。ハリケーンに関する特集を見て、やたら怖がっていたことを覚えている。

高校生の頃、訪米研修というのがあった。修学旅行とは別で、夏休みか春休みか(どっちか)の間、アメリカを訪れて、色々なところを見学して、ホームステイだってしちゃおうぜ、てな内容だった。
もちろん、お金がかかる。35万円とかそのくらいしたはず。というわけで全員参加ではなく、行きたい人だけが申し込んで参加するイベントだった。
行きたいなあと思って親に話をしてみたけれど、これは流石に高すぎるね……となって参加は見送ることに。そもそも通っていたのが私立高だったので金をかけてもらっていることは分かっていたし、別にそこまで「絶対!!!」という気持ちでもなかったのですぐに引き下がった。が、親、特に母親はそのことをだいぶ引きずっていたらしく、後になって事あるごとに「あの時行かせてやれなかったもんねえ……」という話をする。

ともかくも、高校生での初の海外渡航としてのアメリカ行きは成らず。そんな自分の初の海外渡航はカザフスタンになった。

第二外国語の授業でロシア語を教えてくれていた先生が、カザフスタンでシンポジウムを開くという話を授業の終わりに始め、「一緒に行きたい人いる?」と声をかけてきた。「行きたい人手を挙げてー」と言うので手を挙げたら、手を挙げた全員をシンポジウムのお手伝いとして連れて行ってくれることになった。大学に入る直前、「何があるか分からないから!」と親が取らせてくれたパスポートが、こんな形で日の目を見るとは。本当に、何があるか分からない。

その後、モスクワ暮らしをしたりあちこちに行ったりとして、そこそこの経験を積んでからアメリカの地を踏むことになった。

行ってみて感じるアメリカ、ある意味で「イメージ通りだったな」という感がそこそこにあった。もちろん、表面的な情報のもうひとつふたつ奥にある生きた人間の空気感や生々しい大変さみたいなものも、生活をし、仕事をする中で段々と分かるようにはなってくる。ただ、それでもやはり「これがアメリカ!」という感覚はあるというか、世俗を流れる「アメリカ」のイメージは全く根も葉もないところから勝手に浮き上がってきたのではなく、こういうノリに尾鰭がついていったんだな……というステレオタイプの水源みたいなものを感じることはできた。


ベーコン入りワッフル&フライドチキンのタワーwithメープルシロップ。
こういうものが本当にあったりする。

そしてやはり何よりも、アメリカ人(あえて、ここは雑に括ってしまう)のノリはいい。皆で国歌を歌うし、失敗すれば”Never mind!”だし、とんでもない色とサイズのケーキをどこからか(たぶんRalphsとかから)用意してきたりする。「いえーい楽しいー!」という最大瞬間風速の大きさは、他の国より頭ひとつ抜けているくらい。そんな気がした。

さて、これに高校生の頃に自分が触れていたらどうなっていたかな、と考える。多少の知恵もついて、色々な経験を積んできたからこそ比較などもしながらある程度は批判的に、一歩引いて眺められるようにはなったものの、高校生の、まだ分別もそこそこにしかなかった自分があの国の、きらきらでいけいけなノリとでっかいハンバーガーと飲み放題のソフトドリンクに歓迎されてしまっていたら……。間違いなくこれが「アメリカ」で、これが「外国」でこれが「『日本』ではないところ」だ! となっていたんだろうな、と思う。その「アメリカ」は確かに「アメリカ」ではあるが「アメリカ」でしかなく、別にファーストフードのドリンク飲み放題はロシアにだってあるし、中央アジアの料理の方が(平均すると)カロリーはヤバそうだし、世界のどこに行ったって人間は優しい。そんでもってアメリカは唯一絶対にサイコーな国というわけでもない(楽しいけど)。そういうことを知る前に、彼の国のオーラにすっかりあてられ、自分にとっての「海外」は「アメリカ」でベタッと塗りつぶされていたんだろうなという気がする。そう考えると、「初めて」を「アメリカ」に取られなかった高校生の自分は幸いだったのかもしれない。

本とか買います。