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陶淵明の漢詩・采菊東籬下と後水尾天皇の二条城御幸から見えるもの……

 中国の詩人、陶淵明の詩に「飲酒」という漢詩がある。その後編の詩に興味深い場面が冒頭に描かれる。後編全文をここに上げてみよう。
采菊東籬下 菊を摘む東籬のもと
悠然見南山 悠然として南山を見る
山気日夕佳 さんきにっせきによく
飛鳥相與還 ひちょうあいともにかえる
此中有真意 このなかに真意あり
欲弁已妄言 弁舌を欲すれば已(すで)に言葉
      を忘る
 この詩の中で一番気になったのが、一句目の「東籬(とうり)」と言う名詞である。
 何も気に留めずに御茶杓の銘として、最後の句から取って「已に言葉を忘れる」を意味する、
「已忘言(いぼうげん)」
 にしようと決めていた。
 それはそれとして、どうしてこの場面で「東籬」でなければならないのか。ただの生垣ではいけないのかと疑問に思った。
 ググっても「東の生垣」としか説明がない。しかし、何かもっと意味があるはずだと諦めずに、さらにググると、俵屋宗雪作の六曲一双の屏風絵で「籬菊図」という屏風絵がヒットした。これは、「東籬」そのものではないが、その意味が確かに存在する事の証であると確信。さらにググルと京都の二条城の「黒書院」の障壁画にたどり着いた。そこに籬菊の絵が描かれていたのである。つまり、籬菊は、高貴な方が使う絵柄であることを突き止めた。
 また、菊を摘む行為は、日本では行われなくなった9月9日の重陽の節句で飲まれる菊酒の準備のためだ、と想像できる。
 その事を前提にして、もう一度漢詩を読み返してみると、違った意味に見えて来る。
 漢詩を読む時の心構えとして、漢字一次ごとに、日本語のニュアンスとかなり違って来るものもあることを、気にとめておかなければならない。更に日本の伝統文化にも取り入れられ、独自に受け継がれて来たことにも気付く。このことは、後々、大きな意味を持って私に降り掛かって来るだろう。
 ますます漢詩に興味が湧いて来た。
 最近の中国では、中国自身の歴史や文化をよりよく知るために、日本の文化を学ぶ人が増えて来ているそうだ。本国より日本によりよく中国文化を知る手がかりが残されているという。そのことも日本人として、心に留めておきたい。


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