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利休は「恋歌の掛け軸は用いず」 だったが、今は「茶趣味による」と理解

 講師歴15年余りなのに若い男性の講師の方がおられる。以前、「小生意気な若造、付いて行くぞ。覚悟しろ!」と言うタイトルで、彼のことを書いた。若いけど、出来ると言う男性。早速、彼の力量を試すべくタイトルにある「恋歌の掛け軸は必ず用いず」について、質問してみた。
 彼からは時代に沿った回答を得ることができた。つまり「茶趣味による」
ということで「茶会の主人の思惑を大事にし、恋歌が意味を持つならば恋歌を使っても良い。一概に排除するものではない」
 とのこと。
 400年前の「宗旦四天王」の一人、山田 宗徧(やまだ そうへん)の言葉、
「茶趣味によるべし」
 と、亭主の茶への考えを第一とするという見方で私は納得した。
 多様性の時代だけに、いろいろな価値観を尊重するということからも、納得のいく解答だった。

 昨日の教室は土曜日の午前中ということからなのか、男性ばかり10人近くが順番待ちの状態だった。いつもと違ってなかなか壮観である。男ばかりのなので、綺麗なお着物に気が散ることもなく、お点前に集中できていいかも、と思った。強いて言うなれば、柔道部の道場にでも入ったかの観があった。いつもとは一味違う緊張感である。
 以前に、講師の方から、
「最近は男性の入門申し込みが多い」
 と聞いていた。その時、実感はなかったが、目の前の景色は男性が10人あまりの中に女性一人。この景色を見て、コロナ禍を境に世の男性の趣向が一気に変わったのか、と不思議に思えた。それくらい二十代の男性が多い時間帯だった。
 男性は皆、洋服だった。その中で私一人、着物姿。超ベテランに思われたかも。それも、お点前が始まると一気にボロが出てしまったのだが。
 自分のお点前の番になる頃には見慣れた姉弟子たちの顔がちらほらと現れ、いつもの微笑む姿を見て、ちょっと一安心。授業参観で母親の姿を見つけた児童みたいな気持ちになっていた。
 お点前は風炉の薄茶点前なのだが、前半ボロボロで後半、気持ちを立て直してなんと。
 問答の時には、お茶杓の名を、
「撫子にございます」
 と答えた。すると、お客はスルーしたが、すかさず男性の講師の方が、
「カゲロウさん、銘の撫子のいわれなどありましたら」
 と気の利いた一言。そこで、私は自信たっぷりに、
「銘の撫子は、俳人の高浜虚子の兄弟弟子で正岡子規の弟子だった河東碧梧桐の俳句からいただきました。元の句は、
 撫子や 海の夜明けの 草の原 
 という句です」
 と答えた。こうして、簡単に終わってしまう茶杓の銘であっても、その銘のいわれや名前をつけた背景を説明すると、深みが出てなお楽しい問答になる、とそう感じた。もう一つの効果としては、ボロボロのお点前の後だけに、なんだが名誉挽回ができたような気持ちになった。
 講師の男性の配慮に感謝である。ああ、楽しかった。

 次回は「花月」のお稽古である。こちらは、私がまだ濃茶が出来ないことで、周りに迷惑をおかけしているのだが……。


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