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茶道は自然と美学と知識の、大人の謎かけ遊び!

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白居易の「酒に対する」に、お茶碗の銘にいいのがあった

 先日の李方子作のお茶碗には、お茶室に居合わせたみなさんに、幸せを少し分けていただきました。それで気を良くした私は、次の作戦を練ることにしました。選んだ漢詩は、白居易の「酒に対する」です。この漢詩は五首連作の作品だそうですが、特に有名なのは二首目だとか。 蝸牛角上に 何事をか争う 石火光中 この身を寄する 富に随、貧に随う しばらく歓楽せよ 口を開いて笑わざるは これ痴人  上記の漢詩から「口を開いて笑う」の「口開笑」にしました。  白居易と言う詩人は70歳代で退官し、そ

お点前には、叫びたいほど感動する時がある……

「変わった建水ですね」 「素敵ですよね。槍の鞘(さや)と言うんです」 「槍の鞘、ですか」  そう教えてくれた彼女のすぐ側で、薄茶のお点前を拝見させてもらった。24歳くらいの中背の細い身体。柔らかいタップリとしたリネン素材のベージュのパンツに、同じ色系統のレースのトップス。華奢な感じ。全身からはひかえめだが、無邪気で天真爛漫な育ちの良さを感じる。  その日、お茶室への通路はお稽古の順番待ちをする男女お弟子さん達で立錐の余地もないほどだった。そんな場所で私は、木箱に入ったMAYお

李方子作の井戸茶碗に陶淵明の詩から銘を付けた……お茶室のみんなが幸せになった

 前回の茶道のお稽古の時、 「私、李方子の井戸茶碗を持ってます」  と迂闊にも先生に話してしまった。すると先生はすかさず、 「教室に持ってらっしゃい。私が真贋を確かめてあげるわ。それに、ご自分のM Yお茶碗でお稽古をすると、上達が早いのよ」  と諭された。  そこで本日のお稽古に、李方子の井戸茶碗を教室に持ち込んだ。  まず、講師の方が、新しいお茶碗のおろし方を教えてくれた。そして、お点前の準備をするのだが、 「新しいお茶碗は、まず薄茶からの方がいいでしょう」  という先生の

陶淵明の漢詩・采菊東籬下と後水尾天皇の二条城御幸から見えるもの……

 中国の詩人、陶淵明の詩に「飲酒」という漢詩がある。その後編の詩に興味深い場面が冒頭に描かれる。後編全文をここに上げてみよう。 采菊東籬下 菊を摘む東籬のもと 悠然見南山 悠然として南山を見る 山気日夕佳 さんきにっせきによく 飛鳥相與還 ひちょうあいともにかえる 此中有真意 このなかに真意あり 欲弁已妄言 弁舌を欲すれば已(すで)に言葉       を忘る  この詩の中で一番気になったのが、一句目の「東籬(とうり)」と言う名詞である。  何も気に留めずに御茶杓の銘として、最

女三人、茶の湯体験は、かまびすしい…

 最近、私よりちょっと年下の女性に、お茶会に行きましょうよ、と誘ってみた。前回のように先生に、 「カゲロウさん。お隣りの方、綺麗でしよ」 「はい。見惚れてました」 「だって、女優さんですから」  と紹介されて、その後が大変だった。そんな失礼なことにならないようにとの思いもあり、お茶会の後、感想を語り合う相手を探した。すると結構身近にいた。何度か御茶会に誘うと彼女は、 「でも、お着物を持ってませんし」  との返事だったので、すかさず、 「僕が適当にいいのがあったら、プレゼントし

杜甫の「絶句」から、お茶杓の銘をとる

江碧鳥逾白 江碧にして 鳥いよいよ白く 山青花欲然 山青くして 花もえんと欲す 今春看又過 今春 みすみすまた過ぐ 何日是帰年 いずれの日にか これ帰年ならん  濃茶のお点前のお稽古が始まった。お茶杓の銘も、濃茶用の銘になり、禅語か漢詩から取ることになる。  いくつか禅語からお茶杓の銘を作ってみたが、どうも面白味を、感じない。意欲がわかないのである。  そこで、漢詩からお茶杓の銘を考えることにしてみた。  まず最初に気に入ったのが、冒頭の漢詩である。お茶杓の銘は、 「山青花

「茶道って、奥深いんですね」 いえいえ、泥沼です……

 連休後半の土曜日。銀座のお茶室は普段の土曜日の混雑が嘘のように、静まり返っていた。 「カゲロウさん。風炉の薄茶の準備をして」  と先生のお声。前回は濃茶の四方捌きの割稽古をした。もしや今日は、初の濃茶のお点前かなと期待していたので、大きく裏切られた。しかし、そんなこともあろうかと薄茶用のお茶杓の銘と濃茶用の禅語からとった硬めの銘も考えてあった。  今日の薄茶のお手前を見てくれるのは、講師の男性である。お客様は体験の若い女性だ。 「本来、お茶室に入る時は、あそこの小さな躙口と

季語は「月草」、お茶杓の銘は「うつし心」で、どうでしょう

 いで人は ことのみぞよき 月草の     うつしこころは 色ことにして              (読み人知らず)  次回の茶道のお稽古まで、あとわずか。今度は、どんなお茶杓の銘にしようかと連日、通勤の地下鉄の吊革につかまりながら、あれこれと思案をめぐらしている。  五月は、初夏。古今和歌集では「夏」。しかし、夏の和歌は「郭公」を季語にした和歌ばかり。「郭公」と書いて「ほととぎす」と読むようなのだが私は、どうも好きになれない。イメージが広がらない。その場で立ちどまって、思考

お茶杓の銘と、お点前の清浄な空気感の話

 先日は、午前11時頃から銀座のお茶室で茶道のお稽古に行ってきました。裏千家では、お点前の最後に問答があって、お道具について主人と客の間でやりとりをします。お稽古では、 「お茶杓の銘は?」  と聞かれて、自分で考えてきたお茶杓の銘を答えます。他のお弟子さんたちは俳句の季語で答えるのが普通です。でも私は古今和歌集の一句からとった一言を、お茶杓の銘として答えています。  これは以前、先生が、 「お道具の銘は、古今集から取られたものが多いんですよ」  という話をされたことをもとに、

月やあらぬ 春は昔の 春ならず わが身一つは……

 月に二度ある茶道のお稽古の日が近づいて来た。披露する次のお茶杓の銘のための一句を、通勤の地下鉄の吊革につかまりながら、必死に探している。いくつかの候補の句を見つけては、その背景をググってみる。  小野小町の彼氏だったという在原業平の句に、目が止まる。  月やあらぬ 春は昔の 春ならず      わが身ひとつは もとの身にして  意味は、恋焦がれていた人とやっと結ばれたというのに、あれ以来、どうしてあなたは会ってくれないのですか。私はあの日のままなのに、あなたは変わってしまっ

少女の所作に、不覚にも落涙

 茶人が剣豪に剣を習いに行った時の話しを以前、書いたことがある。剣豪は茶人が着ていた羽織を畳んで準備する動作を見て、立ち会う前に言った。 「あなたには、お教えする事は何もありません。あなたは、どなたかに剣を習ったことがありますか?」  茶人は訝しげな顔をして答えた。 「いいえ。剣はどなたにも習った事はありません。習ったと言えば、茶道ぐらいでございます」 「それです。あなたの身のこなしには無駄な動きがなく、一部の隙もありません。あなたには、私がお教えする事は何もありません。既に

和歌で楽しさ倍増、お茶室のお稽古

 茶道のお稽古でのこと。  この一年あまり、主人と客の問答の時のお茶杓の銘を、古今集の和歌から取って答えている。  先日のお稽古で亭主の時、問答で客にお茶杓の銘を問われた。私は準備してあった銘で答えた。 「お茶杓の銘は、古今集の小野小町の歌、   花の色は うつりにけりな いたずらに            わが身世にふる ながめせしまに  から取りました、わが身世、にございます」  お点前が終わったあと、隣りの炉でお稽古を見ていた先生が、一言。 「カゲロウさん。今日のお茶杓の

春ごとに 花の盛りはありなめど……、お茶室でも同じ

 先日の茶道のお稽古でのこと。客との問答でお茶杓の銘を、先生に褒められた。 客「お茶杓の作は?」 私「鵬雲斎大宗匠にございます」 客「ご銘は?」 私「古今集の読み人知らずの和歌、  春ごとに 花の盛りは ありなめど      あいみんことは いのちなりけり  の句から取りました、花の盛り、にございます」  そこへ、お点前を見ていて下さった先生から一言。 「とても、いい銘ですね。よく調べましたね」  と、とても気に入ってくれた様子。  なんとかお点前もつまりながらも終えて、お稽

東風吹かば にほいおこせよ 梅の花……

 しばらくの間、全く書けなかった。書くことがなかったわけではないのだが、書けなかった。  あまりにも生々しいことばかりで。たぶん、自分の中で整理して再構築することができない事ばかりだったのだろうと、自分なりに分析してみた。  最近、一ヶ月ぶりでお茶のお稽古に行って来た。いつもの様に羽織袴に着替えて銀座の街を歩いて、茶道教室にたどり着いた。通い始めてまだ、二年半。最初の頃は思いもつかなかったことが、茶道を習い始めて身の回りに起きた。その事を先生に言うと、 「みなさん、よく、そう