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鍵盤楽器音楽の歴史

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記事一覧

モーツァルトの弾いたピアノ③:アンシャン・レジームのピアノ事情(188)

1778年の3月から9月にかけてモーツァルトは求職活動のためにパリを訪れています。この三度目の…

影踏丸
9日前
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モーツァルトの弾いたピアノ②:シュタインの発明(187)

次は手紙の本題であるところのシュタインのピアノです。 クリスティーネ・ショルンスハイム『…

影踏丸
13日前
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モーツァルトの弾いたピアノ①:シュペートの “Pandaleon-Clavecin”(186)

モーツァルトとピアノと言うと必ず引き合いに出される、この1777年10月17日のモーツァルト(当…

影踏丸
2週間前
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パンタレオンというドイツの鍵盤楽器について(185)

クリストフ・ゴットリープ・シュレーターがピアノを「発明」するきっかけとなったのは、本人の…

影踏丸
2週間前
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自称ピアノの発明者、クリストフ・ゴットリープ・シュレーター(184)

J.S.バッハは1747年にローレンツ・クリストフ・ミツラーの「音楽学術協会」の会員になり(会員…

影踏丸
3週間前
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録音で聴くチェンバロの音の違い

チェンバロはタッチで音に強弱をつけることは殆どできません。そのため乱暴に言えば誰が弾いて…

影踏丸
4週間前
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「ヴァイオリン伴奏付き」鍵盤ソナタについて(183)

これら K. 6 - 9 の4つのソナタは2冊に分けてパリで出版され、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの最初の出版作品となりました。ちなみにモーツァルトは1756年1月27日生まれで、この手紙の時点でもう8歳でしたが。 そして現在は「ヴァイオリン・ソナタ」とされることの多いこの曲集の本来の題名は『クラヴサンのためのソナタ集、ヴァイオリン伴奏付きで演奏可能 Sonates pour le Clavecin Qui peuvent se jouer avec l'Acc

英国スクエア・ピアノ事始(182)

さらに「ジルバーマンの弟子」というのも加えられて、ピアノの歴史でよく紹介されているこの「…

影踏丸
1か月前
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J.C.バッハとモーツァルト(181)

1725年に書き始められた2冊目の『アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳』の中でも、一際稚拙…

影踏丸
1か月前
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ソレールのファンダンゴ(180)

「ファンダンゴ Fandango」はイベリア半島伝統のペアで踊られる三拍子の舞曲で、現在の民族舞…

影踏丸
1か月前
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スカルラッティとソレール神父(179)

スペイン王家は毎年秋にはマドリードの北西50kmほどに位置するエル・エスコリアル修道院に滞在…

影踏丸
1か月前
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スカルラッティとセイシャス(178)

ドメニコ・スカルラッティが1719年8月にヴァチカンの職を辞した後、いつどうしてポルトガルに…

影踏丸
2か月前
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18世紀イギリスのチェンバロ:シュディとカークマン(177)

17世紀の終わり頃からイギリスでは家庭用の鍵盤楽器としてベントサイド・スピネットの製造が盛…

影踏丸
4か月前
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J.S.バッハの最後の弟子、ヨハン・ゴットフリート・ミューテル(176)

これはJ.S.バッハの《ミサ曲 ロ短調》BWV 232 の最後の "Dona nobis pacem" の箇所の自筆譜です。 しかしとてもバッハとは思えぬほど音符の書き方が拙く、おまけに線がプルプルと震えています。 晩年のバッハは視力の衰えに悩まされていたと伝えられていますが、この譜面からはさらに何らかの神経障害を患っていたことが疑われます(いずれも糖尿病が原因ではないかという説もあります)。この楽譜は1749年の秋頃に書かれたものと考えられますが、自らペンがとれたのはこ