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ある少年の回顧

少年が生まれた地は山に囲まれた田舎だった。自然が豊かで人も温和だが、長じるにつれどうにも真綿で首を絞めるが如くの閉塞感に悩まされた。

昨日の続きは今日、今日の続きは明日。ずっと変わらぬことが美德と言われ老人の数が人口の多くを占める地では、新しき刺激を追い求める若者にとってそれは退屈で、窒息するかの如く思いにかられるのも無理からぬことだっただろう。

それでも景気の良い時期は良かった。人々は技術革新による恩恵を得ることに希望を見出し、働くことはすなわち財を手に入れることだった。生きる意欲が満ちているうちは良かった。やがて人は気づくのだ。それが失われてしまえば何をよすがに生きていればいいのかと。

目端の効く者は故郷を捨て山を越えた地へと旅立った。故郷に錦、と言えば言葉は良いがほとんどは都会にしがみつき、帰ってきた者は敗残者と呼ばれた。敗残者は二つに分かれた。都会を恋うり故郷で愚痴をこぼす者と逆に悪様に罵り故郷を賛美する者と。それは国外旅行ができるほど豊かになった時、海外から帰ってきた者の姿と似通っていた。

少年は進学を機に故郷を飛び出し外の世界で生涯のほとんどを費やした。やりがいと十分な報酬のある職にありつき、恋愛し結婚し子や孫が生まれた。側から見るとなんの不足もない生活のはずだった。彼自身すらそう思っていた。あの災害が起こるまでは。

直下型大地震により、彼は多くを失った。生涯を費やし得てきたものは全て消えた。全てを失い彼は故郷に帰ろうと思ったが、すでに老親は他界し育った地は消滅していた。彼は今いる地で生きるしかなかった。

彼は前々から興じていた投資に本腰を据えることにした。何もかも失ったことが幸いした。彼にはこれ以上失うものがなかった。外貨投資が功を奏し、彼は以前ほどではなかったにしろある程度の暮らしを取り戻した。投資仲間との刺激的なやり取りは楽しかった。いくらかの損失を出しつつ生活に余裕があるほどの利益を得た。

不足はなかった。多くを望まなければ。

老人と呼ばれる歳になった少年は、この頃から頻繁に空を見上げるようになった。世が変わり人が変わり街が変わっても相変わらず空は昔のままだった。若い頃は光り輝き、絶望の時は眩しすぎたが怒りも悲しみも全て受け入れられている気がした。どこにいても、どこから見ても空は変わらなかった。

『諸君、山の向こうにも世界がある。広い世界を見たまえ、世界を。』

昔、英語の教師はそう言った。あの時代には珍しく海外留学を果たした人だった。その言葉に浮かされたわけでもないだろうが、若者は皆故郷を捨て広い世界に散らばっていった。

今、彼は故郷でもない家族と暮らした場所でもない地で空を見上げている。

立っている地が自分の生きる世界だ。そして自分は永遠に頭上の世界に憧れ続けるのだろうと思った。

憧れはやまない。彼は生きているうちに宇宙からこの地を見たいと思っている。憧れた空から見るこの地はどのように目に映るのか。

彼は微笑んだ。彼は白い杖を手にすると立ち上がった。

空はずっと彼の心の中にある。

                                                   (終わり)

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