花風

興味の趣くまま好きなように書いています。主に掌編や思いついたことなど。時々俳句。読んで…

花風

興味の趣くまま好きなように書いています。主に掌編や思いついたことなど。時々俳句。読んで楽しんでいただければ幸いです。スキ、フォロー、マガジン追加などありがとうございます。

マガジン

  • みん俳:旬杯 審査員賞、私設賞などなど

    身に過ぎた賞をたくさんいただきました。また、楽しい工夫も寄せていただき、創造の輪が広がるのはとても楽しい体験でした。お礼の意味を込めてまとめました。ありがとうございます。

最近の記事

君に胸キュン♪

これを聞いた当時は、うわー大衆ウケする曲を書いちゃって、と思ってた。MVもダサい、と思っていた。曲名もダサい。 今改めて聴くと、意外に古く感じない。YMOの三人が若い。やる気なさそうなダルくてぬるい踊りや楽しそうにわちゃわちゃやってる姿を見て、なんだか泣けてくる。 もう坂本龍一も高橋幸宏もこの世に存在しない。若い時分の彼らが楽しそうに笑ってる姿を見ると過ぎ去った年月の残酷さを思う。曲調が明るいから余計に。 数十年後にこの曲を聴いて悲しくなるなんて当時は思ってもみなかった

    • ある少年の回顧

      少年が生まれた地は山に囲まれた田舎だった。自然が豊かで人も温和だが、長じるにつれどうにも真綿で首を絞めるが如くの閉塞感に悩まされた。 昨日の続きは今日、今日の続きは明日。ずっと変わらぬことが美德と言われ老人の数が人口の多くを占める地では、新しき刺激を追い求める若者にとってそれは退屈で、窒息するかの如く思いにかられるのも無理からぬことだっただろう。 それでも景気の良い時期は良かった。人々は技術革新による恩恵を得ることに希望を見出し、働くことはすなわち財を手に入れることだった

      • 唯今二一五〇羽の白鳥と妻居り

        「金子兜太 自選自解99句」より。 まがりなりにも俳句を詠んでるにも関わらず、真面目に句集を購ったことも読んだこともない。これでは到底腕も上がらぬわけである。 わかってる。ちゃんと読んでこれ、と思った俳人の句をしっかり読まなければならないとは、わかってる。が、やらない。怠惰であり怖れである。 一応、季語ありの定型俳句を詠んでいるのだけれども、心惹かれたのは尾崎放哉の自由律俳句。その解説を書いていた縁で金子兜太の名も覚えた。現代俳句会の重鎮なのだそうだ。 自選句集だった

        • 囀るやうつくしきことうつくしく

          高浜虚子の「手毬唄かなしきことをうつくしく」のパクリ、もとい、オマージュです。あまり考えずに即興で浮かんできました。おかしいところはスルーしてください💦 一気に春が押し寄せたようで世界があまりにも美しくて。フォローさせていただいてる方々が載せる春の画像があまりにも美しくて。 鳥もいろんな種類がそれぞれ囀り、春の喜びを歌ってるかのようです。それで上記の句、となりました。 明るさを取り上げるときは対比として暗いものを持ってくるとかあるのですが、んなこたぁどうでもよくなるほど

        君に胸キュン♪

        マガジン

        • みん俳:旬杯 審査員賞、私設賞などなど
          22本

        記事

          俳句なんて所詮わかんないものなのだと思う

          ダッシュボードから全期間で一番読まれた記事を探してみる。 なんと「わかる俳句が少なすぎる」という記事だった。「俳句?意味わからーん!」と思うのはどうも自分だけではないようで。 あれはわかる人がわかればいいというシロモノなのではなかろうか?と思えてくる。 得た知識の披露と踏襲の世界。型にはまったのが美しい。様式美の世界なのだ、と思ってる。華道茶道などの世界と同じだと個人的に思う。 とはいえ、偉大な方々の句は素人でも理解できるほど美しく荘厳なのよ。もうこれを越える句は世に

          俳句なんて所詮わかんないものなのだと思う

          宮崎駿「君たちはどう生きるか」

          原作の本は読んでいません。漫画版ですら読んでいないのです。 アニメ自体それほど興味がなく、今回はお供で映画を観てまいりました。 感想は…一言で言うなら難解。というのは、場面が次々に変わり登場人物も変わり、たとえ同一人物でも性質や見た目が変わり混乱するからです。一つ一つのシーンが非常に象徴的で、ストーリーを追うと理解できなくなります。 大雑把に言えば、現実に拒否感を覚えた主人公が異世界で冒険することで現実を受け入れていくお話。いわゆる王道のストーリーだと思います。以下ネタ

          宮崎駿「君たちはどう生きるか」

          下書きだけが溜まっていく

          noteへの投稿が滞ってる。 書くことがない、時間がない、意欲がない、いろいろあるけれども書いていないわけではない。書きかけては途中でやめてしまい、下書きだけがどんどん溜まる状態だ。 質がどうであれ、やりはじめたものはやり終えるというのが信条なので、この状態は自分の中でまとまりがつかない状況なのだと思われる。 noteをやりはじめて数年。 最初はショートショートやたまに連載ものを書いたりして、創作中心だった。ネタ切れのため、ぼやきのようなエッセイもどきを書き始めたり、

          下書きだけが溜まっていく

          全体と個人

          「一人はみんなのために みんなは一人のために」 大学の購買部の前にこの言葉が刻まれていた。それがアレクサンドル・デュマの「三銃士」の中のセリフであるらしいことは、ずっと後になって知る。この時はまだ知らない。 この言葉を見るたびに「みんなのために」我慢したり働いたりはしたけれど、自分(一人)のためにみんなが何かしてくれたことあったかなぁ、と思っていた。 今思えばずいぶん傲慢な考え方だ。とはいうものの、親なり友人なり個人がなんらかの有り難い行動をしてくれたのは思い出すが「み

          全体と個人

          柚木裕子 「ミカエルの鼓動」を読む

          大天使ミカエル像は、右手に剣を左手に天秤を持っている。それが示すものは「公平、平等、正義」。柚木氏の「検事」シリーズにも象徴的に出て来る。彼女の書きたいものは何なのかを思わず慮る。 今度の舞台は病院。ロボット支援手術を推進する西條医師が主人公。ロボットの名が「ミカエル」。ロボットによる手術というとAIによる全自動手術なのかと思わず早合点しそうだがそうではなく、あくまでも動かすのは医師だ。難易度の高い心臓の手術を「ミカエル」を使用することでより速く負担なく、誰にでも施すことで

          柚木裕子 「ミカエルの鼓動」を読む

          紅蜜柑水平線に日の凝り

          応募してボツになった句。ボツはボツとして、個人的には綺麗にできた句として気に入っている。 紅蜜柑という品種がある。真っ赤な果肉で蜜柑は黄色という概念が揺らぐような色。この生命力あふれる色は太陽を連想させる。 冬の時期、水平線近い太陽は横に膨らんだり四角に見えたりする地域がある。北海道だったか。まんまるな天体が押しつぶされて楕円形に見える様は蜜柑を連想させる。 自分では蜜柑と太陽という取り合わせは気に入ってる。どちらも生命力を感じさせる。でも、蜜柑とお日様の取り合わせって

          紅蜜柑水平線に日の凝り

          松本清張 未刊行短篇集を読む

          昨年末、松本清張の短編朗読を聴いた。とても面白かったので、短編集があれば読んでみたいと思ってた。 幸い、図書館にあったので借りてきた。有名な作品集は他にもあるのだろうけれども、2022年初版と比較的新しく出版されたもので、「未刊行」という言葉に興味がそそられた。 内容が多岐にわたって面白い。解説を読むと、ほとんどが1950年代から70年代に雑誌に掲載されたものらしい。その時代を感じさせるが面白く古びてはいない。知らない世界を垣間見るようで楽しい。 読んでいて思ったのだが

          松本清張 未刊行短篇集を読む

          「〇〇である」が崩れた世界の心地良さ

          村田沙耶香氏の「生命式」を読み終える。 氏の書く世界は奇妙にズレている感じがする。しかし、主人公達は大真面目である。真面目でまともである。しかし、ズレている。何にズレているかといえば、この「世界」で「常識」といわれていることからズレている。異質なのである。 奇妙に感じつつも何とはなしに惹かれるものがあり読んでいる。正直なところ「消滅世界」は読んでいて頭痛がした。自分にはあまりに「生(なま)」に思えて咀嚼できかねた。面白いと思うが匂いがキツい、と言うべきか。なんとも飲み下し

          「〇〇である」が崩れた世界の心地良さ

          本を読むことで生きていられた

          爆笑問題の太田光さんが「高校時代誰とも話さなかった。話さないから新潮文庫を読んでた。だから新潮社は俺の友達。」と述べている場面を動画で見た。細かい言葉は違うかも知れないが、意味は大体同じだと思う。 それを見て、不覚にも涙ぐんでしまった。 多感な時期、誰とも話さずに過ごす学校の一日は長かったことだろう。それでも一日も欠かさず通ったというのだから、孤独に耐える強さを持っていた人なのだろうとは思う。苦しさを笑いにしてしまうあたりは、さすがと思う。 なぜ泣けてきたのかというと、

          本を読むことで生きていられた

          見本誌が届かない

          俳句界にはそれぞれ結社があり見本誌を配布しているところがある。 どんなものなのだろうと、ある結社に見本誌を送ってくれるように頼んだ。2ヶ月たつが送られてこない。お金を支払うこともなかったので、ただこちらの個人情報を知らせたのみだ。 こちらの簡単なお願いの文言が気に入らなかったのかもしれない。あるいは忙しくてそれどころではないのかもしれない。見本誌はもうないのかもしれない。 再び連絡をしてお願いすることはできる。もしかして三顧の礼を果たさなければ送付しないというシステムな

          見本誌が届かない

          「ガラスの仮面」今後の展開の予想

          フォローしてる方が「ガラスの仮面」について触れていたので、なんとなく思い出した。 大人になってから一気読みしたんだけれども、同じような展開が続いていつまでも終わらない。続きが読みたいけれども、もう完結しないんじゃないかとは思う。著者のお年も気になる。 それでどうなるかを予想してみた。お遊びなのでファンの方許されて😅 紅天女の役は姫川亜弓に決定。しかし、彼女は無理を重ねてきているので失明に終わらず初公演のリハーサル中に亡くなってしまう。 「マヤ、紅天女の役を譲れるのはあ

          「ガラスの仮面」今後の展開の予想

          こんちきしやう佳作どまりや年暮るる

          北前 力の句。 今更年の暮れの俳句とは時期が過ぎてますが、目にして思わずうふふと笑いがこみあげたので載せてみました。 この作者については何もわからず…情報がありませんでした。でも、歳時記に載ってるのですからお手本になる句だとは思います。こういう内容でも良いのだ、と思うとホッとします。 必ず詩的でワビサビで高雅で美しい内容で…と言われると「うげげ」となってしまう。かといって浜辺にたむろするヘソピアスには心惹かれない。ようするに、何に目が向くかはもうその人個人の見てるもので

          こんちきしやう佳作どまりや年暮るる