見出し画像

お母さんという生き方〜ママになっても論〜

お母さんと女の子という生き物は、本来地続きな物なのに、恐ろしく高い壁のようなもので分断されている気がするのはなぜだろう。
その壁を埋めようとするかのように、ママになっても美しく、とか母になってもうんにゃかんにゃと、とにかく「ママなっても論」が、世には結構溢れていてオモロい。

結論から言うと、こんなnoteを全力で書き殴っているわけなので、ママになってもゴニョゴニョ的な事は一切なく、結構好き勝手やっている。若い頃に憧れたシャーリーテンプルは結局着られずじまいだが、母になろうがなかろうが着られてない気がするので、割愛。

前述した「ママになっても論」だが、むしろ私は産前に身構えていた。
つわりで壮絶リバースし、実母にお清(おしんの姑)ばりのいびりを受けていたころ、実母が私に買い与えた(勝手に投げつけてきた)のは、なんちゃらピヨとかいう、お母さんのために的な販促雑誌だった。

そこには体調の良さそうな、元気なお母さん達が、ボーダー柄のカジュアルな服などをきてニコニコしている写真がたくさん載っている。
実母は多分、私に、母ならばそうであれ。と、強く思い、実現して欲しかったらしい。
その当時私は、田舎の、無駄に広い実家で、ゲロ吐き用バケツを抱えながら、1日寝てるか掃除するかしていた。トイレまで間に合わず嘔吐してしまうその体で、人が家に入ると汚れる、と言い張る実母のもと、できるだけの掃除をこなした。

家事、とくに調理関係がままならず、近所のスーパーにも行けず、このままでは母子ともに餓死すると思い、藁をも縋る思いで夫に連れられ実家に帰ってきたのにだ。ちなみに、本来ならばもう手にしているはずの母子手帳は、体調が悪すぎて役所まで取りに行けていなかった。
結局、実家に送ってもらったその足で夫に取りにいってもらった。

そんな辛いつわりの最中、色んな人にLINE越しに励ましてもらったのだが、あまり耳に入らずに、その販促雑誌ピヨを見て、私は絶望していた。

世の中には可愛く綺麗なお母さんがいるのに、私はゲロを吐き散らし、実母が言うには、不様な、レスラーマスクの刺繍が入った赤いTシャツなんぞを着ている妊婦は、私だけだと言う。
なぜ妊娠してつわりになっただけで、そのお気に入りのTシャツまで、酷いことを言われるのかが全く分からないのだが、当時はそれも全部丸ごと受け入れてしまっ…てないわ。
受け入れてはいなかった気がするが傷ついたわ。いや傷ついた時点で受け入れたんか。
まあいい。とにかく私は深く傷ついた。

まさに泣く子も黙る鬼なのであるが、私も母になりきれず所詮ただの娘だったのだと痛感する。
そんな場所はとっとと見切りをつけ、もっとまともな他の何かに頼ればよかったのだ。
ただ、何にせよ実母の鬼の所業の事実は変わりないし、今となっては、はやくそのツケを払うところを見てみたいものである。

そんな事もあり、体重は全然増えず産婦人科医は肝を冷やしまくったらしいが、なんとか下限ギリギリの体重の増え方をし、超安産のもと長女は産まれた。その瞬間に私は正に母になったのだ。

そこからは、母として奮闘する日々が始まった。
出産自体は安産だったものの、体調と精神状態はかなり悪くなっており、例の鬼がいる実家での生活を余儀なくされた。産婦人科からも強く勧められてしまい逃げ場をなくして、なにより乳飲み子を抱え産後のボロボロの身体ではどうしようもなかった。

パンパンに乳は張るが上手く吸えない娘と、上手く吸わせられない私。
左右テケトーに(もう時計なんかいちいち見てない)10分程吸わせ、そのあとふにゃふにゃ泣いたりギャーギャー泣いたりする娘を、ベビーベッドに置き、乳を絞った。
乳は出るのだ。しかしうまくなかなか上手く吸えないので絞るしかない。搾乳機を胸から外すとベタベタとそこらじゅうに乳がついた。
それを飲ませ、さらにミルクも足した。
教科書通り、搾乳の乳とミルクとでその都度哺乳瓶を新しいものに変えていたので、一度の授乳に2本使用したりもした。
そういったことを慣れない者がモタモタとやっていると、時間はあっという間にすぎた。

私は全く眠れなかった。
哺乳瓶の数は少ないにも関わらず、疲れて洗えず放置しておくと、実母は
「こんなことも出来ずに母失格ね」
と、私をなじった。

母になった者なら分かっていただけると思うが、育児中、死にたい。と思うほど辛いことは1度や2度必ずあるだろう。多胎児なら尚更だ。
とにかくこの時点での私は、怒涛の勢いで母親になろうとしていた。
でもみんなきっとそうなのだ。
どんなお母さんも、赤ちゃんを産み育てていく中で、お母さんにさせられる。
決して不幸なことじゃない。幸せな事に違いないのだが、そのペースは母自身には決められないので時々困惑させられる。

お母さんだけど、その趣味嗜好はお母さんになったからと言って変えられない。というか変えなくていいし、ようやくそんな声が出てきた気がする。だから「ママになっても論」なのだろうが、ちょいと待て。ママとそれ以外で区別することかね。

なんだかね、「ママになっても論」ですね、販促雑誌ピヨの、あの元気そうなママを目指せ!と無理矢理言われている気もしますし、ママも自己実現しろ!と責められてる気がしてしょうがないのは私だけか。
そりゃ、この巷には「ママになっても論」に救われてる人は沢山いると思うんですよ。ここにこう書いてあるから、小さめの小洒落たバッグに上手いこと荷物をまとめ、子連れでちょっといい所にお出かけできたママさんもいるはず。それから奮起して、お仕事に戻ったママさんも。

誰でもいい。親になってみたいと思う方、あとおじいちゃんおばあちゃんになる方。こういった雑誌に書かれている、お仕事ママさんの1日タイムスケジュールに度肝を抜かれてみましょう。
販促雑誌ピヨにも、30代向けファッション誌にも、保育園からくる保育雑誌にも載っているが、本気で恐ろしいモンが平然と載っているでじっくりと眺め戦々恐々としてほしい。
どうやったらこうやって過ごせるのかが分からん!想像できんわ!っちゅーもんが載っているが、こういう生活しなければ子育て共働きはできませんよーという、日本の現実を知っておきましょう。
まあね、多少は私すごいでしょ的なマウントや不幸自慢を感じなくもないですが。

そして大概、夫の方が睡眠時間が長いのもポイント。そんなわけで、産後も働く事を考えている方は、夫と共にそのタイムスケジュールと生き方をご覧になり、議論を重ねまくる事をオススメする。
オレは協力できないよ、と言われたら、とりあえず叩きのめしていい(殺人ダメ絶対)

何にせよ、我々母は、母になるのではない。させられるのだ。
そのタイミングは色々あるが、養子縁組をして子育てを経験していく中で母になる人もいるし、のっぴきならない事情の中、子を手放すという選択を、これは母としか言いようのない、深い愛情と冷静な考えでする人もいる。
でもみんな正しくお母さんだ。この文字を父に変えても同じ。きっと我々は子どもたちに親にしてもらってる。

とにかく、お母さんという生き物は、もともとはただの女性に過ぎない。
だから、もっといろんなお母さん=女性があっていい。と私は思っている。

そう、寝癖のついた髪に多少のメイクをし、ホットドッグという文字と犬のイラストが描かれたふざけたギャグTシャツを親子で着て、頭の中は桃鉄のゲームとダンゴムシ虫の事でいっぱいという、それこそふざけた輝きのにぶいお母さんがいたっていい。
それのどこが悪い。

私は今日も明日もその先も胸を張って、精一杯お母さんをしていくつもりだ。
誰のためでも無い、自分が自分に恥じないよう、正しく生きていくためにお母さんをしていこうと、心に決めている。

子どもの頃、こんな風に私が、当たり前のように結婚し、子どもを無事産み育てるとは思いもよらなかった。未だに時々信じられない時がある。

だから今日も、まあまあなご飯をつくり、炎天下の中ダンゴムシを探し、お風呂に入って寝るという、幸せな日々が続く事を、この先もずっと願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?