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全てを失った者たちへ。

最近就活をしていたのですが、今はすっかりやめてしまいました。一旦休止状態です。
休止にしたおかげもあり、絶望的な疲労感からは解放されましたし、おかげさまで多少の元気もあります。
ただ、失ったものが思った以上に大きかった。
それを実感する日々です。

私の生まれて初めての就活はリーマンショック真っ只中でした。つまり私は、そういう世代のそういう年頃の女性です。
俗に言うロスジェネ世代ってやつでしょうか。
でももうずっと日本は失われてますので、もういい加減ロスジェネっていうのやめにしません?と人生の先輩方には問いたいところです。

さてリーマンショック。
私は人生の先輩方、大きい姉さん方には
「私たちの時代は就職難でね〜」
なんて、かなりの数言われてきました。
いま生きていたら70代、60代後半でしょうか?
その世代のことは全くわかりませんが、少なくともオメーは

3ヶ月で天と地がひっくり返る不景気を経験したのか

と、問いたい。私はあるぞ。

ただでさえ不景気と言われいた矢先、唐突というかあれよあれよと言う間に起きたリーマンショックは、あの頃の就活生および内定者に多大な被害を出しました。
内定者には内定切りがあり、就活生は、企業の財布の紐がギュンギュンにしまった所からスタートせねばなりませんでした。
で、この2者の中から1番悲惨なのは誰か?
無論

内定切りにあった人

です。
当時は地元企業に就職の決まった高校生たちが次々ど内定を切られ、悲惨なニュースが飛び交ってました。

「たった20万で内定切り」

とデカデカとニューステロップが出ていたのをよ〜〜く覚えております。
その後彼らがどうなったのかは知りませんが、そのニュースで見た、内定切りに遭った生徒のご両親は、裁判も辞さない勢いでした。
それもそのはず、たった20万で路上にぽいっと投げ出されるのです。
時は2月。卒業式も間近に控え、いまから就活をするのはもう遅すぎました。
頼みの学校教師たちも、もうお手上げでしょう。
彼らの本業は教師であって、就職斡旋ではありません。本当にどうしようもない状況でした。

またそういった被害者は私の身近にもいました。
4月1日に会社都合で退職、となったアルバイト先の先輩です。
まだ会社都合だったから良かったけどさ…とふらふらとやつれた顔で、彼はかつてのアルバイト先に戻ってきました。
彼は1年間、アルバイトをしながら就職活動をしましたが、結局内定は決まらず実家の家業を継ぎました。
彼の場合は結果オーライかも知れませんし、私は同時期に就職内定を得ましたので、彼のやり方が悪かったというのも否定できません。
それでもあのリーマンショックからの数年間は本当に地獄でした。
2009年に若年層の自殺が多かった、というのも頷けます。

まあとにかく私は、そういった時代を目の当たりにし、くぐり抜けてきたサバイバーです。
え、どこがサバイバーだって??
まあ今から話すから聞けやこのクソが。

まず、私はリーマンショック真っ只中の就活生でした。
企業の財布の紐は締まりまくり、求人は激減しました。しかし、今更企業も内定切りという手段は使えないため、今内定を取れば確実に就職はできる、という内定切りに合うよりかは幾分マシな状態、なはずでした。

だからでしょう。
どの企業にも応募が殺到し、その倍率は

前年比で10倍

という会社も珍しくありませんでした。
だから会社も必死です。
書類選考通知、および何かしらの通知は

選考通過者以外、通知しません。

という企業も少なくありませんでした。
いわゆるお祈りメールですらカットしたんですね。あぁ、世も末感。

たしかあの頃、大学に就活サイトの広報が来て私に質問しました。
「初めの書類選考で、いったい何割落とすでしょうか?」と。
私は声を無理やり押し出すように答えました。
「8割です」

…少しの間、沈黙がありました。
今までペラペラと就活のノウハウを説き、自社サイトの優位性を立板に水状態で語っていた彼女は、その時

絶句

したんですよね。
まさかこんなにもシビアな答えが返ってくるとは思わなかったのでしょう。

彼女が過去のデータを元にし、出した答えは5割でしたが、このリーマンショック渦においては、私の答えが正解に近かったはずです。
だって、過去の10倍の応募がくるんですからね。
5割削減では捌き切れません。
会社よっては、そのほとんどを書類選考で切らなければならなかった所もあるはずです。
それくらい、会社も学生も辛かった。

未だに覚えてる就活の局面は、主に子どもから若い女性をターゲットにした商品を作っていた会社の面接です。
面接会場は、その直営店の入るテナントビルの一室で行われました。
若い女性がターゲットの客層にも関わらず、そこには似つかわしくない強面の、

柄シャツ、坊主、色付き眼鏡

を身につけた、どう見てもそのスジの方にしか見えないオッサンが、会場隅の廊下で、だるそうにパイプ椅子にドカっと座っています。

私はてっきり別のお店の人、少なくとも自分の受ける企業の人間とは思いもよりませんでした。
しかし集団面接が終了する直前、そのオッサンは突然ノックもせず堂々と中に入り、応募人数が多すぎて捌き切れない事を、やや乱暴気味に口にしました。
どういう意図であのオッサンが、神様はバリにいる状態の格好でその場にいたのかは分かりません。ただこれは一種の圧迫面接なんだろうなと思いながら、私は硬く座り続けるしかありませんでした。
神様はバリにいても、その様子は

完全にアウトレイジ。

未だにあの光景が謎すぎて、彼らはそういう時専用の人で雇われの身だったのでは?と思うほどです。もしかして別の店に売り出す娘発掘だったんかなアレ(岡村隆史さんの発言を参考に)

まあそんなこんなで私はリーマンショック渦を過ごし、なんとか仕事を見つけ働きに出ました。
その後転職もしましたが、前職を活かして、業種も職種も異なるものの業務内容は一貫させ、仕事を続けました。
その甲斐あってハローワークでは
「この手の職歴ならあまり就職には困らないよ」
とまで言われたんですが、育児出産で仕事と離れた結果

なにもかも失った

というのが、現実です。

まあみんな(多少なりともね)そうなんだけどさ、頼れる両親義両親いない、夫は帰宅が遅くて日があるうちはワンオペ(我が家は早朝からいません)で、ゼロから復職するの、キツいわ。
その上、労働に必要な体力、社会性を全て失い、上の子小学生生活にいまだ慣れない自分がいます。(30分未満と言いつつ宿題チェック、お便りチェック、持ち物チェック、そして連絡帳…まだ慣れないね。)
またね、近年授業時間が増えた都合で小学生の帰宅時間が遅いとはいえ、絶妙に園のお迎え時間と丸かぶりなのも辛い(だからお迎えが早すぎて下の子はオヤツを食べ損ねるのもしばしば)そして

学童の空きは絶望的。

働くにあたって

子どもは足枷にしかならない

ということを強く実感させられました。
家族が増えても、今までと同じように残業し社畜してる企業戦士たちよ

妻(もしくはその負担者)に感謝しな。そしてその怒りを社会に向けろ。

現場からは異常以上です。

もう本当疲れてるんですよ。
ただ幸にして私の財布の紐のかたさと、地価も物価も安い田舎にいることもあって、生きるのにお金はかからず、今でも十分生活できます。
でも令和の時代、専業主婦は絶滅危惧種で、なによりその経済力のなさに私は焦りを感じます。

先程申しましたが、子どもは働く上で足枷です。
それはいつだってそうで、おしんを見ればよく分かります。
あの嫌味で恐ろしい姑に対し
「ただで子守をやとったと思えばいっか!」
と互いの境遇を励まし合い、おしん夫婦は畑を耕します。姑は孫の子守をするかわりに、おしんに働けといったんですね。
どんなことであれ、働くには子守が必要と、みんなわかっていたのです。

それを理解できない社会で、私は生きたいと思いません。でも彼ら足枷を確実に1人前にするには、誰しもが働かなくてはいけません。
夫が(妻が)働いているから大丈夫って?
その人が倒れたらどうするの?考えた事ある?

私は20年前、専業主婦でありたいと願っていました。自分の母が命削って働くのを目の当たりにしていたからです。
はれてその夢は叶いましたが、その社会はガラリと変わっていました。
その変化、たるや。

同時に、やる気はなくとも30年以上第一線で働き続けた母は、多大な力を得ていました。
その辺のパート主婦は足元にも及ばない、謎にパワフルな我が母を見て、継続は力なりとか、石の上にも3年(10倍だけど)などなど、様々な言葉が思い浮かびます。

なんにせよ働くことは尊いことで、国も税金が欲しいのなら、子は足枷と思わずに一時足枷だらけになろうと、全力で踏ん張っていただきたいものです。
もう踏ん張れない方々は、過去の栄光にしがみついてないでさ、もうちょっと色々手放したら?とか思っちゃったりします。
え、私?踏ん張りますよ。
生きたいし、あの子たちを一人前にしたいから。

何の為に働くの?と言われたら、生きたいから働くとしか答えようがありません。
前向きにはもう歩けませんが、せめて後ろを見ないようにしていきたい。
私の足元には、かわいい子供達がいます。
せめてその子達を連れて、もう少しいい場所に行けたらな、と願っています。

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