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子どもは親を愛しているのだから。

今日も世界に、私自身の身の回りにも大変なことが起き続けています。
相変わらず西原理恵子のそれは炎上中ですし、週刊売春、失礼!よくある女性週刊誌では

宇多田ヒカル

を話題に出し、宇多田親子の関係性にについて触れています。
まっ、親子関係はともかくとして

今、なぜ宇多田ヒカル?

と思ったんですよ。
眞子さまのことはさておき(宇多田ヒカルのツイート参照。私はこれを、宇多田ヒカルNY出身だからコタツ記事事件と呼ぶ)今この時期に宇多田ヒカルを引っ張ってくる意味が分かんないんですよね。
なんでかなー?なんて呑気に考えていたら

VOGUEです。

6月1日発売のVOGUE(雑誌)で宇多田ヒカルが表紙でインタビュー記事が掲載されてるとのこと。
こりゃ〜買わねばと思いましたが、町に2軒しかない本屋で売り切れ。そんなわけで書店にて注文、入荷まちです。

いや〜、VOGUEかぁ。
どんな雑誌か全く分かってないんだけど、とにかく楽しみです。
それを知ったきっかけが、例の女性週刊誌の記事でして、コタツ記事によってVOGUEを知るってのがむちゃくちゃ皮肉なんですが、うーん、それでもよかったです。
最新の宇多田ヒカルさんに近づけるなら。

この文章を書くにあたって、VOGUEの内容かじれたらいいなぁーって調べました。
すると全文出てきました。

全文です。

出ちゃったもんは仕方ない。
覆水盆に返らず。出したうんこは戻らない。
そういうことなので、きっちり読みました。
なるほど宇多田ヒカルさんらしく、愛すること、生きること、愛すること、このさきもずっと愛することが書いてありました。

結局ですね、なにがいいたいか?というとですね、

愛するは難しい

なんですが、一応テーマを母と娘にしたので、そっちにシフトさせます。で、それは何かというと

母と娘は難しい

なんですよね。
もう分かり合えないというか。

私も何度かテーマにして書いているんですが
(参照文↓)


私の内臓がつまった腹の中に一緒にいて、一緒に呼吸をし、運命共同体として生きていたのに、いつしか他人になるのって、本当に不思議です。
この世に受精卵ができて、脈打つまではすこし時間がかかるものの、かなり早い段階で、その受精卵は脈を打ち始めます。
もうここから、私の腹の中でしか生きられない生き物なのに、他人としてスタートします。

不思議ですよね。
ほぼ全てを母体に依存してるくせに、他人だなんて。

そんな工程を踏んで、母親は出産育児をするので、それはそれは我が子を他人と認識するのが難しいわけですよ。
だってつい最近まで腹にいたものが、他人となって世に出るんですよ。
ついつい我が子が、私の子が、私のが、私が、となっても何もおかしくはありません。
ともかく母親とはそうであっても不思議ではないのです。
また、しばらくはおっぱいも飲みますしね。
赤ちゃんはみな可愛いですし、仕方ないことです。

でもね。
他人なんですよ。

他人なんですよ。

…その上、母と娘ってのは悩ましい関係です。
スタートは上記した通りですし、姿かたちも成長するにつれよく似てきます(街を歩けばよく似た母娘を見かけますよね)
なので、2人はついつい分離し辛くなっていきます。混同しがちと言いますか。
話題になっている、西原理恵子さんの娘さんも、宇多田ヒカルさんも藤圭子さんも、お顔はとてもよく似ています。
お二人とも(西原さんの場合は一般公開されちゃいましたが)色んなことがいっぱいあったはずです。
というかね、

宇多田ヒカルですら悩んで週3カウンセリングに通うんだよ。
みんな悩んで当然ですよ。

というか、週3って結構な頻度よ。
個人的には笑えないというか、ハードやなというか、かなりエグいです。
それほど壮絶な体験だったんだろうなと、一般ピープル代表として思いましたよ、私は。

どうやって愛したらいいのか分からない。
自分すらどうしたらよいのか分からない。
そう宇多田ヒカルは話していました。 
愛とは難しいです。
辛い体験をしてきた人間ほど、それを想像するのは容易ではありません。
でもね、私たちは生まれた時から親を、もしくは養育者を、1番に愛しているのですよ。

私の子どもたちは、私がどんな状態であろうと
ママーと呼び、抱っこや手を繋ぐなどのスキンシップ、取り止めのない話、抱っこ、おんぶ、抱っこを求めてきました。
どんな時、どんな状況であろうと、ママと呼び、私を抱っこしてくれます。

優しいですよね。
我々親たちは、真っ先に子どもたちに愛されていました。

どんな状況であれ、子どもは親の期待に応えようとします。
数々の痛ましい事件の中で、なぜこんなにも悲惨な状態でしばらく生き続けていたのかと考えると、それは親を、ずっと信じ続けていたからに他ありません。

私は子育てをする中で、自分が子どもからとても愛されていることを知りました。
私としてはその期待に応えるだけです。
子育ての理念は各々持っていると思いますが、子どもからの愛情に応える事は大事かな?と思います。

私は比較的幼少期に恵まれていたこと、そして未だにその頃の私がずっと心に居続けているため、子ども目線になる事は比較的容易でした。
気がついたら子どもが消えてしまった人は、自身の子ども時代を必死で思い出しながら、あの日言われたかった言葉を伝えればいいと思います。
愛されたと感じた証。それを伝えたら愛されたと感じたこと。その全てを。

私たちは子どもたちに愛されています。
それを信じてどっしりと構え、抱っこと言われたら抱っこしてぎゅーすればいいと思います。
理屈はよく分かりませんが、私はそうして欲しかった。

お腹からでてまだ数年、我が子が他人となったことになれないあなたは、立派に

エヴァンゲリオンの素質

があります。
残酷な天使のテーゼ、魂のルフランを聴きまくりましょう。パチンコ好きにはたまらない(らしい)心よ原始に戻れもヨシ。

はじめましてこんにちは。
私がはじめてのアナタの他人です。
今日もよろしくお願いしますね。

たとえ親子だとしても人間はね、他人同士なんだから、分かり合えるはずないんです。

血をわけた多様性なんでね。

でも親なんだからさ、我が子からの愛情はもう十分たっぷり受けたんだから、もうそれでいいじゃないですか。それで満足じゃないですか。
だから、そっからさきは距離を置きましょうよ。

お世話もひと段落したらね、みんな距離(物理)を保ちましょう。
私大好き、アナタも好き。
そうであってもなくても、適度に距離を保って幸せになりたい。
だって100%の共感なんて存在しないんだもの。
お互い別々に、幸せな道を歩みましょうね。


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