Insomnia 1話

 北城JCTを抜けたあたりから積雪量が明らかに増えた。もはや道の半分は雪に埋もれ、かろうじて除雪されている道路幅は車一台半程度しかない。押しつぶされるんじゃないかと錯覚するほどの圧迫感。無意識的にスピードを落としてしまうが、前後左右どこを見渡しても他の車なんているわけがないのであまり気にしないことにした。
 冬入りまでに終わらせる予定の仕事に手間取っていたらあっという間に11月になっていた。恋人の彩からは「おやすみ。また来年もよろしくね」というメッセージが届いていたがそれすら返せていない。いまさら返事を送っても既読がつくのは半年後だろう。
『500m先、白瀬IC出口です』
 スマホのナビに従ってハンドルを切る。一般レーンは閉鎖されていたのでETCレーンを使う。通り際に普段は人が詰めているだろう一般レーンの清算所を覗いてみると、閉められた窓に『5月1日より営業再開』と印字された張り紙が張ってあった。
 一般道に降りたところで雪景色なのは変わらない。辟易するほどの白が太陽光を反射してキラキラと輝いている。道路わきにはまばらに民家が点在していたが、古い造りの家は雪の重さでぺしゃんこにつぶれていた。Xデー以前の家屋だろう。あれ以来、雪国で暮らし続けるには雪対策に屋根に電熱線や温水スプリンクラーを設置しなければならなくなった。それらを動かすための発電機や蓄電池も必要となれば豪雪地帯から人々が退去するのは当然の帰結だろう。
 ここら一帯に現在も住んでいる人はどれくらいいるのだろうか。白瀬郡は新潟県でも屈指の豪雪地帯として有名で、Xデー以前にはウインタースポーツやかまくら体験で冬には観光客でそれなりに賑わっていたらしいが、今となっては倒壊した古民家ばかりが並び、生活の営みの気配は微塵も感じられない。
 廃墟然とした町を抜け、峠道に入り暫く走ったところでようやく『白瀬郡立メディカルセンター』の看板が見えた。看板にそって支道に入り、さらに上り路を登り切ったところでようやく白瀬郡立メディカルセンター、通称白瀬院が風で巻き上げられた雪煙とともに現れ、僕は反射的にブレーキを踏んだ。
 だだっぴろい雪原にタワー型PCに似た立方体の建物がそびえている。グレーの配色も相まって病院というにはなんとも武骨な佇まいだ。一面に広がる雪原は本来駐車場なのだろうが、やはりここも雪ですっぽり覆われている。雪の厚さは腰丈くらいはあるだろうか。ウインドウを下げて手を伸ばせば新雪に手が届くほどで、押し固められた雪を押しのけながら無理やり進むことは出来そうもない。病院玄関に辿り着くより前に愛車のミニクーパーがスクラップになる方が早いだろう。
 眼前には幸い車幅一台分ほどの道が除雪されていた。事前の案内で車は地下駐車場に停めるよう指示されていて案内図もデータで送られていたが、再度確認するまでもなく、この除雪された道を進めば目的の地下駐車場に辿り着けるのだろう。僕はゆっくりとアクセルを踏み、牛歩の速度で白瀬院へと近づいていった。
 目的の地下駐車場は屋外駐車場の三分の一程度の広さで、奥には裏口らしきガラス戸、その付近の駐車スペースには数台の車が停められていた。きっと先に着いた他の入院患者のものだろう。どこに停めても良いのだろうが、なんとなく彼らの並びに加わった方がいいような気がして、僕は端に停められている黒のアルファードの隣に駐車した。
 愛車からミニクーパーから降り、一つ大きく伸びをした。長旅ですっかり身体が固まっている。早く温かいコーヒーでも飲んで一息つきたいと嘆く身体に鞭うって今度はトランクから大型のスーツケースを取り出す。約半年分の生活用品を詰め込んでいるので荷物は相当多くなってしまった。このスーツケースに加え、大学生時代から愛用しているボストンバッグもあるのだから持ち歩くだけで一苦労だ。ボストンバッグは肩にかけ、スーツケースをガラガラと引きながら裏口らしきガラス戸を目指す。中からは淡い暖色の灯りが漏れていた。
「入院患者?」
 すぐ真横から飛んできた声に飛び上がる。ぎょっとしながら声の主に目をやってさらにぎょっとした。車の影に隠れるように白いケーシ―に紺のカーディガンを羽織った看護師風の若い女がヤンキーよろしく座り込んでこちらを睨め上げていた。恰好だけは看護師なのだが、僕が彼女を看護師”風”と感じたのは彼女が煙草を咥えていたからだった。彼女は片手を広げて僕に向けて突き出した。
「お兄さんで5人目。アクセスも悪いってのにわざわざこんな辺鄙な土地によく来るよ」
 頭おかしいんじゃないの。とぼやきながら彼女は紫煙を吐き出した。
「……あなたは、ここの?」
 頬を引きつらせながらようやくそれだけを口に出すと彼女はますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「まぁね。バイトだけどね。普段は北城の病院で働いてるんだ。こんな病気のせいで一年中働かないといけないってわけ」
「北城、ここよりちょっと南の方ですよね」
 不良看護師は整った片眉をわずかに吊り上げる。
「あんた、北城から来たの? わざわざ?」
「いえ、途中高速で通っただけです。僕は東京から来ました」
 トウキョー!? と不良看護師が素っ頓狂な声を上げる。彼女はさらに眉間に深い溝を作ると猛然と立ち上がり、掴みかかってきそうな勢いで「東京なら避難病院くらい他にもあるでしょう!? なんでわざわざこんなところまで来んのよ。馬っ鹿じゃないの!」と唾を飛ばした。
 僕は気圧されながらこれまで東京の避難病院を使っていたが、そちらは人が多くて辟易することや利用料金がここより割高であることなどを説明した。その上で事前に入院予約は入れていたことを述べつつ、不良看護師を刺激しないよう言葉を選びながら自分が入院出来ない理由があるのかを尋ねた。
「私の仕事が増える!」
「……噓でしょ」
「嘘じゃない。仕事が増えるのはめちゃくちゃだるい! 困る! 勝手に仕事を増やすなボケナス。東京に帰れ!」
 不良看護師はあろうことかガラス戸の前に立ち塞がるように仁王立ちまで始めた。絶対に敷地内には入れないという強い意志を全身から放出している。帰れと言われても片道4時間もかかっているのだ。いまさら東京には帰れないし、帰ったところで今から避難病院の空きを探すなど到底不可能だ。
「帰れって、予約も入れてるんですよ?」
「知らないよそんなの。うちはもういっぱいなの。あたしのキャパオーバーってやつ。去年は3人って聞いてたから楽できると思ってたのに。5人はない。話が違うよ」
 話が違うって、どこの誰との話のことを言っているのだ。
 どうしろってんだよ。
 段々イライラしてきた。こんな不条理があっていいのか? 仮にここを引き払ったとして、僕が避難先を見つけられずに凍死でもしたらいったい彼女はどうするつもりなのだろうか。
 「ほら、何突っ立ってんのよ。早く帰りな!」と、不良看護師は憮然とした表情で虫でも払うかのようにシッシと手を振った。いっそ怒鳴りつけてやろうかと口を開きかけたそのとき、彼女の背後でガラガラと大きな音を立ててガラス戸が自動で開き、タータンチェックのガウンに身を包んだ大柄な壮年の紳士が現れた。彼は整えられた髭を撫でると不良看護師を見下ろして溜息をついた。
「そのへんで勘弁してやったらどうだい。湊さん」
 どうやら不良看護師は湊というらしい。湊は半身を返して紳士を見上げる。
「羽鳥さんには関係ないでしょ」
 羽鳥と呼ばれた紳士は臆することなく穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。
「関係はないけどね、ところで彼は入院費を払っているんじゃないかな。もし支払いをしているなら、きみは彼を追い返すことは出来ないよ。どうだいお兄さん。支払いはもしかして、カードで先に済ませているんじゃないかな?」
 僕はコクコクと首を縦に振る。羽鳥は満足そうに頷いた。
「ほら。湊さんは患者として入院したことがないから知らないかもしれないが、大体の避難病院は料金が先払いなんだよ。金銭の授受が出来る事務員がいないからなんだが、無論この白瀬院も先払いが原則なんだよ」
 湊は苦虫をかみつぶしたような顔をして黙り込む。
「それとも、彼の入院費を今ここで湊さんが立て替えるかね? そこまでするというなら……」
「分かった分かった!」
 金の話が出た途端に湊は白旗を上げ、「もう勝手にすれば」と吐き捨てると咥え煙草をしたまま足早に院内へ引っ込んでいった。
 羽鳥はやれやれと首を振ると柔和な笑みを湛えて髭を撫でた。どうやら彼の癖らしい。
「すまなかったね。彼女、どうやら今年発症らしくてね。ずっとピリピリしてるんだ。許してやって欲しい」
「じゃあ、普段はあんな感じじゃない?」
「いや、残念ながら私も湊さんとはここで初めて会ってね。つまり初対面のときからあの調子という意味なんだが……」
 羽鳥は、さすがに根っからあの調子では世間で生き辛いだろう? とでも言いたげに微笑んで言葉尻を濁した。
「湊さんの性格について議論するのも良いが、そんなことより寒くないかい?」
 指摘されて初めて自分が震えていることに気が付いた。不良看護師の急襲に驚いて忘れていたけれど、地下とはいえ外では大雪が積もっている上、白瀬院は小高い丘の上に立っているのだ。気温は氷点下をゆうに下回っているに違いない。
「早くなかに入るといい。院内の案内は本当は湊さんの仕事のはずなんだが、あの様子ではそのつもりはなさそうだからね。僭越ながら私が案内をしようか」
 羽鳥はくるりと翻ると大股で自動ドアへと消えていく。僕も慌ててその背中を追ってスーツケースを引き摺った。
 


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