コラムニストと母

 西條さくらはコラムニストになることを決意した。22歳の秋のことだった。
 布団のなかからじっと空を見上げていた。お日様はとっくに空の高いところまで登っていて、さくらはその様子をひたすら眺めることに午前中の大部分の時間を費やした。
 さくらはニートだった。大学を「つまらないから」という理由で中退し、呆れる両親を横目に「いつかでっかいことやってやるんだから。これはただの充電期間!」と息巻いた。それ以降ずっと惰眠を貪るだけの生活を送っている。焦燥感がないといえば嘘になるけれど、だからといってやりたいことも見つからない。さくらはこの歳になってモラトリアムの真っただ中で、無為な時間から抜け出せない底なし沼の底にいた。
 さくらの部屋は掃き出し窓の向こう側、ベランダの柵の隙間から日の出が見える。布団にくるまったさくらは丘から顔を出すお日様を毎日迎え、出勤時のサラリーマンのようにのろのろと空へ昇る姿を見守っている。
 ラジオがお昼のニュースを伝えていた。いつもは空虚な静寂を打ち消すための音なのに、その日はなぜだか無性に内容が気になってさくらは耳を傾けた。
「続いてのニュースです。コラムニストとしても有名なポチータさんの過去の作品を集めた短編集。『ポチータとコラムと一日』が今年の本屋大賞を受賞しました。ポチータさんは2007年生まれの23歳で、本屋大賞受賞者としては最年少となります。ポチータさんは受賞式のコメントで…」
 コラムニスト?
 耳慣れない単語に首をかしげる。コラムニストがなんなのかよく分からないけど、どうやら自分と1つしか変わらない人が大きな賞を貰ったようだ。本屋大賞というくらいだからきっと小説か何かだ。でもそれなら小説家、とか作家って言われそうなものだけど。
「コラムニスト……」
 さくらは布団を跳ね除けて飛び起きた。ボサボサの髪をわしわし掻きながら部屋を出る。ひんやりと冷たいフローリングを踏み進み、階段を下りてリビングの扉を開けた。
「おそよう」
 ダイニングテーブルでコーヒーを啜る母さんがぶっきらぼうにそう言った。
「ねぇ、母さん」
「ん」
「コラムニストってどういう人だと思う?」
 顔をあげた母さんはいまいちピンとこなかったのか首をかしげた。
「……なんか、新聞とかでさ、ちょっとした記事を書く人のことじゃない? たまに独り言みたいな記事、あるじゃない」
「新聞読まないもん」
「……ちょっと待って」
 母さんはおもむろに立ち上がるとキッチンの納戸を開けた。そこから束になってしまってある古新聞を一冊取り出すとペラペラと捲った。
「ほら、これ。こういうのじゃないの?」
 母さんが指し示したのは経済面の下。波線で囲われた小さな3行ほどの文章だった。そこに書かれている著者名を見て驚いた。
「あっ、ポチータ!!」
「なに。あんた知ってるの?」
「本屋大賞とったんだって、さっきラジオで言ってた」
 母さんは「へぇ」と興味なさげに頷き、呟いた。「じゃあ凄い金持ちだ」
「えぇ⁉ 金持ちなの? これだけしか書いてないのに?」
「そりゃ本屋大賞でしょ。色んな人が本買って印税がっぽがっぽなんじゃない?」
 印税。これだけの文章にも印税は発生するのか、とさくらは舌を巻いた。印税がどれほど儲かるのかはよくわからないけれど、母さんがそう言うならそうなんだろう。コラムニストは、儲かるのだ。
 たった3行ほどの文章。これだけなら私にだって出来るんじゃないか。原稿用紙何百枚と言われたらさすがに無理でも、3行くらいなら書けるはずだ。ちょうどニート、いや充電期間で時間なら売るほどある。これしかない

「母さん。あたしさ、コラムニスト目指すわ!」
「はぁ、なんでもいいけどさっさと仕事しな」
 母さんはやっぱり呆れていたけれど、何はともあれこうしてさくらはコラムニストを目指すことを心に決めた。

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 コラムニストになるのはいいけれど、コラムって結局どうやって書いたらいいんだろう。
 母さんが古新聞を纏めて渡してくれたのでそこに書かれているコラムはあらかた目を通したが、新聞にはポチータ以外にもどこそこ大学の教授とか、医者とか弁護士とか頭の良さそうな人も寄稿をしているようだった。そういった人たちの書く文章はやっぱり難しくて、参考に出来たのはポチータの書いた3記事くらいだけだった。
 合計すると9行。これがさくらのなかのコラムのすべてになった。
「うーん。なんかとりあえず思ったことを遠回しに表現すればそれっぽくなりそう、だよね」
 さくらは長らく使われず物置台と化していた学習机に原稿用紙を広げた。テーマを秋に定めたところまでは順調だったのに、たった3行の文章すらいざ書きだそうとすると何も浮かんでこない。
「秋、秋、秋。アキー……」
 読書の秋を語るほど本を読まないから読書はだめ。ではスポーツの秋ならどうだろう。だめだ、高校生以来小走り以上の運動をしていない。しいて言うなら食欲の秋だが、別に料理作りが好きというわけではない。むしろ人並みより下手なくらいだろう。母さんの料理をただ貪っているだけの身分で書けることはあるだろうか。
 さくらはしばらく考え込んで、頭を振り、たまにストレッチなんかをしながら天啓を待ったが待てども暮らせども何も降りてこない。
 このままでは時間とカロリーの浪費でしかない。ええいままよ、とさくらは試しに何も考えず無心で鉛筆を走らせてみた。
「……食欲の秋と、申しますが、秋に言い訳をして、食べ過ぎると、とんでもないしっぺ返しが、寒くなったころに、やってくるもので、す…」
 さくらはぴたりと手を止め、何度か呻いたあとガバリと天井を仰いだ。
「駄目だぁ。ここから一体どうしたらいいのよ!」
 たかが3行と侮っていたけれど、短く要点をまとめて文章を書くというのは思っていた以上に難しく、さくらは書いては消し、書いては消しを繰り返した。つるりと綺麗だった原稿用紙はあっというまに文字の跡で凹凸が増え、消し残しの鉛筆の跡が痛々しくさえ見える。考えれば考えるほどお手本にしているポチータの文章から離れていくようで、焦燥感ばかりが募っていく。とうとうさくらは頭を抱えて鉛筆を放り出した。
「なに、もう諦めたの?」
 横目で見れば開きっぱなしのドアの内側に母さんが立っていた。
「……ノックしてっていつもいってるじゃん」
「あぁ」
 母さんは不敵な笑みを浮かべると開いたドアをコンコンと叩いて見せた。
「これでいい?」
「はぁ、もういいよ」
「あんたの騒ぐ声、リビングまで聞こえてるよ。うるさいったらないから、これでも読んで静かにしてな」
 母さんはそう言うと小脇に抱えた数冊の雑誌を机の端に乱暴に置いた。それは婦人誌や文芸誌の束で、一番の上の婦人誌の表紙には『コラムの作り方』という文字がでかでかと踊っている。
「え、これ! どうしたの⁉」
 『アクセスを稼ぐ文章の書き方講座』『サルでもバズるワードチョイスの基本のキ』など他の雑誌もコラムのヒントになりそうな魅力的なタイトルが並んでいる。
「あたしは、ただ静かにして欲しいだけ。せっかく録画したドラマがいいところなのにおんおん唸られたら台無しなのよ。わかった? それだけだから」
 母さんはぶっきらぼうにそう言うと机の端の雑誌たちをぐいとさくらへ押し付けて逃げ出すように出て行ってしまった。
 数冊の雑誌を改めて見下ろす。わざわざ本屋に行かなければ揃わないようなラインナップだった。お尻のあたりがむず痒くなるような不思議な気持ちだった。さくらは一度座り直し、自分のなかで湧き上がる何かを振り払うように咳払いをすると改めて雑誌の束に目を落とした。
「あっ」
 積まれた雑誌の一番下、ハンドブックサイズのこぶりで薄い月刊誌に目が留まった。それは地域の情報誌のようなもので、さくらも行ったことのある隣県の自然公園が表紙になっていた。鮮やかな一面の紅葉の上に黒い文字で小見出しが印字されている。そのなかに小さく添えるように載せられた一文に目が吸い寄せられた。
『秋のエッセイ・コラム募集 12P』
 12ページに向けて猛然と頁をめくった。文字数は100文字以内、〆切は……。
「3日後⁉」
 原稿用紙に手書きして郵送かテキストファイルでネット応募することが出来るらしいことも併記してあった。さくらはネットに疎いので手書きで良いのはありがたいが、〆切が3日後というのはさすがに……。
「でもこんなおあつらえむきな機会、そうそうないよね」
 やるっきゃない。とにかく今日は母さんに用意してもらった雑誌を読み込んで、明日一日使って書き上げる。明後日郵便局に持っていけば〆切にギリギリ間に合うはずだ。
「よーし、やったるかぁ!」
 束になった雑誌の一冊目をひっつかみ、さくらはかじりつくように文字を追った。

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 西條さくらがコラムニストになることを決意した、あの日から早1か月。寝食の時間を削り、追い込みに追い込んで書き上げた処女作を郵便ポストに投函してからさくらは落ち着きのない日々を送っていた。
 『受賞作は誌上にて発表。最優秀賞にはアマゾンギフト券1万円分を進呈』とあったので、どうあがいても結果が分かるのは1か月後となる。分かってはいても、「もしかしたら事前連絡があるのではないか?」との思いが捨てきれなかった。日課のお日様の運行観察もせずに朝一番に起きだしてそわそわと部屋のなかをうろつき、柄にもなく掃除をしてみたり、朝ごはんを作って母さんを驚かせたりした。もしかしたら通知を見逃していたかのしれない、とスマホの履歴は10分おきに確認していたが当然誰からも連絡は来なかった。
 来る運命の日、さくらは久しぶりにメイクをして服もお気に入りのやつを引っ張り出して完全武装をすると近くの書店に繰り出した。
 車は持っていないので自転車を使った。ニートの身の上で浪費を抑えていたさくらにとって隣町の書店へ足を延ばすだけでも随分と久しぶりだった。晩秋の風が頬を撫でる。ひと漕ぎするたびに息が乱れ心臓が早鐘を打つ。数年の引きこもり生活はさくらの体力をごっそり削ぎ落していたらしい。
 ほうほうの体で書店に辿り着き自転車を駐輪場に停めた。念入りにセットした髪はぼさぼさ、お気にいりの薄いピンクのコートは暑さのあまり着て居られなくなって小脇に抱えた。
 ふらふらと誘われるように自動ドアを抜け、『趣味・文芸』と書かれたラックを目指して進む。平日の書店に客はまばらで『趣味・文芸』の棚は専業主婦らしい30代くらいの女性が1人、育児本を立ち読みをしているだけだった。
 立ち読みの婦人はよろよろと覚束ない足取りで近づく目を血走らせた女に気付くとぎょっとした顔をして数歩後ずさりした。
 さくらはそんなことには一切気付かず、陳列された雑誌に目を走らせる。今日が発売日だというのに目当ての情報誌は棚のはじっこに押し込まれて肩身狭そうに縮こまっていた。さくらは震える手で情報誌を棚から引き抜く、緊張のあまり手は震え口はカラカラに渇いている。
 呼吸が乱れているのは慣れない運動のせいだけではないだろう。ぷるぷると全身を小刻みに揺らしながらさくらはページを一枚一枚とめくっていく。
「はぁ……はぁ……」
 立ち読みの婦人が慌てた様子で離れていくのが視界の端に映ったがそんなことを気にしている余裕はない。
 コラム。コラム。コラム。念仏のように唱えながらページをめくり、ついにそれに行き当たった。
『秋のコラム。結果発表』
 ひゅいっと喉から変な音が漏れる。秋らしいオレンジのフォントで受賞作がでかでかと載っていた。
『母さんのコーヒーは秋の味 西條さくら』

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 早朝6時、夜と朝のはざまで青色に彩られたリビングはしんと静まり返っていた。西條さくらはキッチンで不審に蠢いていた。物音を立てないように包装紙を破り、目的のものを取り出す。思っていたより大きくて重たいのでキッチンの空きスペースにセットするのも苦労した。
「はぁ」
 これで良かったのかとさくらはまだ悶々としている。1万円分のギフト券は雑誌の発刊日から数日して自宅に届いた。コラムニストとして初めて得た収入にさくらは狂喜乱舞して何を買うか指折り数えて考えた。欲しかったブランドの小物入れくらいなら買えるし、小物入れを諦めれば服を何着か新調出来る。アマゾンのサイトを巡りながらあれこれ考えていたけれど、気づいたら全然違うものを注文していた。
 朝陽が昇る。窓のスリガラスを通してそれ、母の欲しがっていた国産のコーヒーメーカーが照らし出された。
「わたし、コーヒー飲めないのになぁ」
 くそっと悪態をつきつつ、さくらは付箋に汚い字で殴り書きをしてコーヒーメーカーに張り付けた。
『Happy Birthday!!』
 踵を返すと未練を振り切るようにリビングを後にする。今日はゆっくり惰眠を貪ろう。お日様の運行をたっぷり観察して、お昼くらいにベッドから脱出したら、またコラムを書くのだ。
 西條さくらはコラムニストになったのだから。



 


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