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M・Horkheimer「唯物論と形而上学」(1933)試訳

①ヨーロッパにおいて古代から登場していた哲学的直観についての研究からディルタイはとある洞察を得ていた。それは、あらゆる形而上学的な試みはある単一で普遍妥当なシステムを打ち立てることを、この点で歩みがそうした試みにとって前進的に今日までうまくいくこともなく目的としているという洞察である。事実この歩みそれ自体が世界観の型を分離することを企てるが、それゆえこの歩みはまた、それによって適切に表現された区分の主観的な性格をも強調する。あの普遍妥当なシステムの不可能性についての信念は、個々のシステムそれ自体が超えうると仮定する形而上学的な主張でさえ壊滅させてしまう。

②この連関においてディルタイの類型論がまずもって意義深くなる言明は、言うまでもなくその類型論の中で秩序付けられた形而上学的なシステムと同様に、存在の全体を目指している。人間本性の恒常性や世界の同一性についての彼の信念に応じて、ディルタイはそれらが形態を獲得している世界観やシステムを、現存在の判じ絵のどれかへの異なる応答が「生」に由来するものであると見做している。加えて、科学的研究とは区別して哲学は常にこうした「生の判じ絵…、この全体、絡み合い、神秘的なもの」に向けられているように、ディルタイ自身はまた、「私は世界で何をなすべきか」「なんのために私はこの世界にいるのか」「私の生はこの世界の中でどうなっていくのか」といった問題を「私に最も関係がある」ものと見做している。このことによって打ち立てられた三つの特徴、哲学的つまり真理において形而上学的な精神の特徴を以下に挙げよう。一つ目は、自己意識、すなわち主観的客観的所与性に対する首尾一貫したラディカルな問いである。二つ目は、単一の連関におけるあらゆる認識可能なものを分類することである。三つ目は、その最新の法的根拠上での後退による認識の普遍妥当性の基礎づけへの努力である。これらは精神の固有の努力に合致している。精神が、その立ち位置をある形而上学的なシステムの内で実際に知覚することから回避したとしても、世界観の分析は、歴史の理論にとって個々で重要な要素を明らかに強調するための意図を単に追跡することはなく、精神の労働が宗教ないし根源的な形而上学と同様に「全体の意義や意味」へと導かねばならないのだ。あらゆるシステムは、確かにディルタイ以後アンチノミーに巻き込まれてしまっており、いよいよ歴史学的な意識は「哲学と自然研究が引き裂きえない最新の連鎖を壊してしまっている」。しかしこのような解放的な意識は、「同様に、人間にとって底しれぬ景色が広がっている自身の魂の単一性を救い出すが、我々の本質の活発さにとっては、物事の公然たる連関を救い出している。我々はあらゆるこうした世界観の中で真理の一部分を崇拝しても構わない。そして、我々の生の進展が我々にただ底しれぬ連関の固有の側面だけを理解させるのならば、―こうした側面を述べる世界観の真理が我々を生き生きと捕らえるのならば、そのとき我々は静かに次のことに身を任せるだろう。真理は世界観の内に総じて居合わせている、と」。

③ディルタイやヤスパースが企てたように世界観の歴史学的心理学的な類型論の中で、リベラルな市民に固有の思想の絶対性についての彼らの批判は明らかになる。異なる形而上学的理念を同格に扱うこと、そしてこうした理念の一貫した歴史的な条件の意識というのは、根本的に意識それ自身の永遠のカテゴリーから権力に対して完全に解放されていることを意味する。だからといって、そのシステムはその社会的な成立条件や機能の認識によって理解されるわけではなかった。そうではなく、人間・生・人格・創造的発展によって繰り返し具体化された概念の助けそれ自体でもって、独立したものとして理解されていた。過去の決められた内実からのこうした部分的な解放を拠り所にして、その内実の変化における世界観の諸形式だけが、自身を形而上学的なプロセスの栄光を覆っていた。「人間の頭の中にある世界観的な態度・世界像・努力・思考についてのすべてが理解されるものというのは、絶対に無効とはなり得ない。それはかつて力としてそこにあったのであり、大部分は何度も繰り返し典型的な方法に転じている。…そうした思考は偽・無意味・欺きなのかもしれない。人間の魂はそうした思考の内に表れる性質をもつ。そのためにあのような客観化が今も昔も適切な表現として、啓示として、そして自己理解的に承認されている方法で、人間の魂はその中で何かを体験し展開していくのだ」。作り上げられたシステムの無制限の妥当性についての信仰が無いため、文化的諸形態の一連、そのリズム、相互からの独立性、類似点は教育資産に向かってしまった。そして、そうした教育資産として、精神史は支配の中で初期のシステムや学校を剥ぎ取ってしまった。この相違点は本質的には、理念それ自身の決定された内容に対して無頓着である点にあった。現存秩序の枠組みの中での現実性を理性的に、つまり普遍性の欲求を適切に形成するための消えゆく展望でもって、初期のシステムが経験によるシステムの理性的本質として輪郭を描いてきた最高の世界の個々の構造の間にある相違というのは、ますます些細なものとなってしまっていた。現実と理性の間にある超えがたい隔たりは、この溝を哲学的に入り混じって想定するための試みどころか、それをこの課題の概念を通じて相互に関連付ける試みでさえ、その信頼を失墜させてしまった。不屈の調和の思考は、自由主義的な段階と密接につながっている。この思考は独立企業の多数によって明らかにされた国民経済学に対応している。全体の円滑な諸機能への多数の利害関心の調和という図像は、全体社会ないしそこでの異なる社会諸階層に移し替えられてしまう。その上、独占資本の段階は階級の対立を否認する。しかし、そうであるにせよ、数少ない権力集団の間にある世界市場での闘争は、そこから個々の実存の間の一致の代わりに、悲劇・ヒロイズム・運命といった諸概念が中心的な歴史哲学のカテゴリーとして現れる時代の主要テーマになっていく。個々人の物質的利害関心は些細なものとして見做され、克服されうるよりもわずかにしか実現されえない何かとして見做されることになる。しかし、現在の哲学は合理的システムの構想に向けられた過去の骨折りを簡単に非難することがないのが常である。この哲学は、その著者の創造力や偉大さ、著者の功績の「ありのまま」の単一性の美的な質を称揚し、諸システムの間の矛盾にも関わらず、名目上すべてのもののなかで表現している真理を称賛している。さらに、この哲学は過去の状態を前にして尊敬と畏敬の念を奨励し、偉大さや人格性、総統的なものを促進している。そして、こうした生物学的かつ歴史学的な均一化によって言うまでもなく現在の哲学は、内容的に価値がある教育の率直な要求を無に帰せしめてしまうのだ。この哲学は古いシステムを具体的に査定する代わりに献身的な導入や記述を設け、精神史を新たな形而上学へ引き上げることで「魂の単一性」を維持するが、それとともに歴史的な洞察それ自身の重要な諸矛盾への入口を閉ざしてしまう。

④世界観についての教説が形而上学的な利害関心を追い立てることによって、この教説は形而上学的な利害関心によって描かれた思考の形成物の中心を、本質的に真っ直ぐに整備された意図に置くことになる。哲学史を貫く二つの思考に関する行動様式の間の矛盾、我々の歴史的状況から決定的なものとして現れた矛盾、すなわち唯物論と観念論の矛盾は今日の哲学的文献の内からは決して把握されることはない。この矛盾は二つの形而上学的方向性の衝突と見做されており、強大な困難もなしに現代の哲学的な問題性から決定されるのが常である。とりわけこの不均衡は、唯物論的な理論と実践が誤解されることから引き起こされる。仮に唯物論についての私の哲学的な代弁者が形而上学的な問題提起を引き合いに出し、観念論のテーゼに自身の問題提起を対置するとしても、唯物論の代弁者を主として形而上学的な問いへの一つの解答として用いる、このような思考の方向による一つの解明は、自らに対してそうした問いの現在の重要な独自性についての理解を妨げてしまっている。

⑤ディルタイ自身は唯物論の内に形而上学どころか、世界と世界の根拠との関係そして魂と身体との関係についての教説を見ている。彼は唯物論の内で支配的かつ哲学的な見解に従っていただけであった。この見解は主に数世紀以来すでに唯物論のうちに観念論に対する矛盾を見ているのではなく、唯心論に対する矛盾を見ているのである。唯物論と唯心論の両者は、世界の本質に従う問いへの「実在論的」解答として、意識哲学の意味の中で理解される観念論に対置されている。こうした専門用語の社会的な諸根源はフランス市民層の二正面の立場において、封建制とプロレタリアートが対立する19世紀の間ずっと追求されえたのかもしれない。あらゆる現実は物質とその運動である、という言説によって唯物論は単純な主張に還元されている。加えて、当該の哲学者が観念論的もしくは実在論的見地にさえ公然と肩を持つのかどうかという唯物論的なテーゼは、どんな場合でも迅速にはねのけられてしまう。あらゆる精神的なものの素朴な悟性とは対照にこのテーゼがとりわけ意識ないし悟性それ自身に絶えず単なる仮象を明らかにすることを強いている限り、この唯物論的なテーゼは次のことを必要としている。すなわち、作為的な仮説と科学の来たるべき発見を指示することを通じて、あらゆる精神的なものを唯物論的な諸事象から導出することを必要としている。そこから即座に、唯物論史家フリードリヒ・アルベルト・ランゲに従うとすれば「はぐらかすことのできない」きわめて単純な論駁は、唯物論についての詳述に従うのが常である。「意識は物質的な運動からは明らかにされえないのである」。

⑥ドイツでの著作においてこうした論証は1854年の唯物論論争以来、飽きることなく繰り返されてきた。「脳の中での物質的な事象の認識を通じて、確かな精神的諸事象や諸傾向が我々に理解されえてきたとき、確かにこの論証はうわべだけの探求によるものに見える。…最も粗悪な思慮は、これが欺瞞であることをわからせてくれる」。事実、デュ・ボア=レモンの有名な「我々はそれを知らず、また知ることもないであろう」という言葉が問題なのだ。「唯物論者にとって心理学的な領域は、かつて理解できていたようにはずっと理解できないままであろう単なる現象にならねばならない」。「言うまでもなくこの現象はだいたい次のことを弁護する。すなわち、我々の意識におけるあらゆる喜び、あらゆる出来事一般によって、この出来事と密接に結び付けられている知覚されえない原子運動の事象が我々の大脳の中で起きているということを弁護する。しかし、喜びこうした運動事象などではない。そうではなく、喜びは任意の方法によって運動事象に結びついているのだ。それゆえ、あらゆる魂の諸事象、例えば感情でさえもが物質的な運動事象であるという唯物論的な教説は偽である」。「我々に物理的現実と心理的現実の間にある根本的な違いをあれこれと無理強いしてくる直接的な経験に対して唯物論的な主張はいつまでもパラドキシカルなままであろう。…しかし、同じくらい推論も不可能であるのだ…」。「というのも、あらゆるこうした(唯物論的)論証というのは、我々によって体験された心理学的諸事象が何かとりわけ完全に異なる物質である事実を何ら改めることはできないからだ」。「実際、こうした理論はすでに最初の歩みにとって役に立たないものになっている。どのように意識プロセスが、単純な感覚内容でさえ生じないような四次元空間の神経プロセスから生じるのかをこの論証では証明できないばかりか、原初的な理解にも及ばない。ある意識プロセスともう片方のそれとの間に、追跡可能な一貫した帯が橋渡しできない完全に「不合理な中断」が横たわっている」。「しかしながら、純粋物質的な運動から本当に僅かな精神的生命さえ生じないということがなにかしらの思考可能性であるあとで、物質性から精神的なもののそうした産出が主張されうるのであるが、理解されうることはない。…また、実際に唯物論は大抵の場合、首尾一貫した一元論では全く無く、任意の覆いもしくは不正の中に単なる物質と並んである二つの原理は取り入れられる。そのときにこれらの原理から精神的な現象は容易に導き出されうるのだ」。ヤスパースはこの原理が実証主義と名付けた唯物論に対して次のことを明らかにした。「私が認識可能な因果関係の中で停滞した自然のような無であるのならば、私がそうした自然を認識することや認識からその自然に入り込むことは不可解なことであるだけでなく、私が自分を正当化するのも不条理なことである」と。したがって、唯物論は形而上学の明白かつ最も簡単に論駁可能な錯誤として現れている。精神的な事象を物質的な事象のように見せる絶え間ない試みは事実、リンゴが「ナシの一種類であり、イヌがネコの一種類である」という主張のごとく無意味であろう。こうした事情のもとでエーリッヒ・アディケスは、単に彼独自の意見を表明するのではなく、現在の哲学的著作の中で唯物論についての情報を得られるあらゆるものの意見を表明した。唯物論は「自身の平坦さと原理的な不十分さが理由でいとも簡単にあっさりと退いてしまうのだ」。

⑦ここ数十年の哲学のあらゆる矛盾と変化を通して変わらずに、かなり弱いテーゼに対する同一の論証を反復することは、嫌われた主張や評価、要求に対して戦い抜かれてきた歴史的な闘争と関係している。唯物論という言葉はなるほど単に現実の総体についての怪しげな言明を表示してはいないが、思考と実践的行動様式の全き連続を示している。この連続は固有の唯物論的諸理論において、そしてそれ以外の哲学的著作の大部分において、世界の全性質についてのあのテーゼの帰結として姿を見せる。もしこの根本テーゼが破壊されてしまうのなら、支配的な意見、少なくとも明確な思考をもつ唯物論者の間では、例えば唯心論といった他の「実在論的な」変種を現在では実存哲学と呼ぶその他の形而上学もしくは紛れもない観念論は、そのテーゼの立場を取らねばならないだろう。たとえ唯物論が世界全体についての他の可能な構想に対してなおも不十分なものとして現れようとも、唯物論の普遍的で世界一般に関係するテーゼもまた、根本的なものとしての世界全体に対する闘争において、決められた実践的構想と見做されるどころか、統一的な世界の姿と見做されると同時に、観念論的形而上学は観念論的な行為様式を意味に即して仮定することと見做されている。そのとき、例えば観察者によって解明された行為の意味と行為それ自体によって支持されている唯物論的テーゼの間にある対立、つまり不十分な統一性は論理的な矛盾として批判されてしまう。それゆえ、観念論について正しいものは、唯物論、つまり「世界像に基づいて世界の意義と意味に応じた問いを決定し、そこから理想や最高神、最高原理が生の導きに向かって引き出される」ことが前提となっている。世界観についてのこうした構造は、その構造が「生の判じ絵を完璧に解くことを示すことを企てている」限り、事実、唯物論的システムの原型の完全な系列に備わっているように思われる。しかし精密な分析によって、唯物論的なテーゼを内容に即して把握することがそのテーゼの統一的構造を破壊してしまうということが現れることになる。いくつもの見解と関係の複合体を独立したものと見做す世界の全構造についての唯物論的なテーゼの反論によるこうした複雑さの批判は、それゆえ、曖昧なままである。事実、反論されたテーゼはその都度詳細な解釈を、それが起きるのは常であるとして体験しているのだ。

⑧形而上学は、現存在の「判じ絵」、世界の「総体」、「生」、「それ自体」もしくはさらに形而上学が常にその問いの方法を描きうるようなものとの(形而上学)自身の取り組みから、行為に対して実証的な責任を取る可能性を期待している。形而上学が突き進む存在は、認識が人間の生活態度にとって決定的であるような構造を保持していなければならず、こうした存在に相応しい態度が存在していなければならない。全部分における存在の個人的な生を最後の原因まで見やることから独立させる努力は、形而上学者のある特徴を明らかにする。すなわち、形而上学者が見做すものが彼に最高で世界観的な活動つまり無感動もしくは禁欲をする気にさせるかどうか、これと同様に、主張があらゆる時間と人間に向けて同一なもの現れるか、異なったり不安定であったりするものとして現れるかどうかでさえ重要ではないという特徴である。

⑨個人の生の形態は剥き出しの存在への生から基礎付けることが可能であるという形而上学的な信仰は、最も明確に直接的な神学のシステムの中に現れている。神は決められた態度を人間に要求することができる。神に反して行為するものは罪に陥るというわけだ。神学的な諸システムはそれ自体でもって固有のものである。人格的な本質だけが要求を据えることができるし、この本質に沿って生の方向を推し量れる意識的な意志だけが一義的でありうるのだ。そうした方向を超えた不明瞭な形而上学の神学との関係は、絶対的なものの要求と個人の生を合致することを服従と見做すことはなく、相応しいこと・純粋さ・本来性もしくは一般に哲学的な英知と見做すのが常である。もしも独断論がカントに由来する観念論的時代思潮と区別し「存在」として認識することを意味する無条件さを、その独断論自身が愚直に同じように「最高善」(summum bonum)と見做すことはないとしても、「最高善」はそのシステムの大部分の中に第一義的なものとしての価値があるものとして現れることは決して無い。それゆえ、固有の存在を維持するもしくは、そこにあるものになるということは倫理的な格率と見做されている。あの観念論的な時代思潮が無条件さを存在としてではなく立法ないし事行(Tathandlung)、もしくはしかし自由な活動の模範として発見する限り、この思潮は同じようにこうした行いの意味を前にした尊敬、つまり哲学がそこまで突き進んでいる人格の超感性的な基礎に経験的な人間を適合することを要求している。しかし、この独立関係の宗教的根源がなおも命令形で維持されているところだけでなく、現存在と形而上学の中で発見されたその基礎とが一致することが価値あるものとして保たれているいかなる場合でも、根底にある現実は規範的なものと見做されている。形而上学者が「現実的なものの強調された名」を与える本質というのは、その名のもとで自己を決定する実存に関する規則を含んでいる。

⑩唯物論的なテーゼは実存の本性に従ってそうした結論を排除する。このような結論を現実的なものと呼ぶ原理は、規範を放棄するのには適していない。物質はそれ自体では意味のないものであり、その質から生活形態に向かう格率が帰結するわけではない。規律の意味でも模範の意味においても無意味なのだ。だからといって、行為のための規律や模範の性格な認識に長所がないというわけではない。つまり、なるほど唯物論者は細部にまで立ち入った彼らの目標に従い、現実的なものの構造を我が物としようとするだろう。しかし、社会の全プロセスにおいてこうした目標が常に現実的なものをその都度科学的に認識することによってともに条件付けられるのと同様に、一般に生産諸力の水準によってでも条件付けられる。にもかかわらず、その目標は科学から帰結することはないのである。常にすでに決められた実践と目標に基づいて得られる認識は、確かに人間の行為と相互に作用し合っているし、外的内的な現実性の形態に関与しているが、そうした形態に純粋な生に向かうための範例や格率、命令を引き渡すのではなく、手段を引き渡す。そして、この認識は飛躍などではなく、理論なのだ。マックス・シェーラーがプラトンに引き続いて「自己自身を自然的で完成した存在として超越し、偶像視し、神と同じようになろうとする人間の試み」として当然の形而上学的態度を描き出したとき、唯物論者が我が物としようと試みた現実性は、神的な現実性の反対物である。そして、唯物論者の努力はほとんど、現実性をそれ自身としての反対物に従って神的な現実性へと向かうことに進んでいるのだ。

⑪唯物論者たちがあらゆる現実的なものは物質であるというような閉鎖的な諸命題を述べてきた限り、この諸命題はそれゆえこの教えの中で彼らの反対者たちによるものとは異なる機能を果たしている。これら諸命題は唯物論者たちの最高に普遍的かつ空虚な抽出物を含んでいるのであって、彼らの行為の法則は決して含んでいない。大多数の非唯物論的な諸傾向に向かってこの洞察が普遍的で包括的、完結的で原理的であればあるほど、こうした洞察はますます重要かつ重大な影響を持つようになる。確かにこの全く反対―これは極端な唯名論によるものにすぎないのだが、それゆえこの状態の形而上学的唯名論ですらある―は唯物論者たちには当てはまらないが、普遍的な視点が行為に決定的な影響を与える度合いはその都度諸行為の具体的な情況からは独立しているのである。それゆえ、唯物論的な行動様式を左右するテーゼとしてのある普遍的な哲学的テーゼを克服しようと努力することは、唯物論的思考の特色を追い抜いてしまっている。例えばとりわけ啓蒙の有力な唯物論者たち、とりわけディドロは、その実践的態度の性格をこれっぽっちも変えようとしなかったことから、このテーゼの普遍的な状態について生涯ずっと決定しかねていた。このテーゼはこうした内容に関する諸決定に対して少しも有力に作用しない。唯物論者たちによると、確かに認識は実践において排他的な諸傾向をもつ現代についてと同様に個々の事物の認識についてもすばらしく真であると証明しうる。それどころかこうした諸傾向は、科学が「諸事実」を単に確認することにおいて汲み尽くされているというテーゼにかなり批判的に対峙している。しかし、あのあらゆるものを総じて包含している諸判断はこの諸事実に応じて常に疑わしく、ほとんど重要ではない。というのも、その諸判断は自身が得てきた実践から遠く隔たっているからである。形而上学的なシステムにおいてその力点はあべこべに分割されるのが常である。しかし、特定の認識は普遍的な認識の例として平凡かつ単純に理解されている。唯物論者たちにとって誤謬が許容できるように思えるようになればなるほど、それだけこの誤謬が彼らのその都度実践的に重要な諸状態から遠く離れていくとき、彼らの反対者は平凡にある強大な重要性を広めていくが、それだけますます原理的なものが問題になっていくのである。この原理的なものも、すでに述べたように、唯物論者たちにとっては最高に意義深いものになりうるが、そうしたことのためにこの基礎はそのような基礎としての原理的なものの本性から導き出すことはない。基礎は理論の中にあるだけではなく、当該の時代において理論によって克服された課題から結果として生じるのだ。例えば宗教的教義の批判は規定された時間への唯物論的な見方の複合体の中で動き回りうるし、ある決められた地点について決定的な問題がある。それに対してこうした批判は特定の状況下ではそこまで重要ではない。そして、現実の中で全社会的な運動の諸傾向が唯物論的な理論に向けた構成的な意義を備えているのに対して、18世紀において社会的な全体についての問題は、なおも認識理論的、自然科学的、純粋政治的な問題の背後に隠れてしまっていた。「こうした単一のもの、つまり解答不可能なものそして高度なもの、つまり未知のものの連関、形而上学が普段から念頭に置いている連関」というのを、唯物論的な理論は、言うまでもなく結果としても目標としても扱わないのが常である。

⑫事実、唯物論を形而上学的な問いに対応させるように扱うことが誤っているとしても、唯物論の形而上学との関係は一般的にどうでもよいことと見做される必要は絶対にない。唯物論的な見方が絶対的な要求の思考と相容れないということは、広く今日まで言われてきたことの結果として生じている。無論、唯物論的な見方は意味深く絶対的な意識の思考を通じてのみ基礎づけられうる。この見方は新たな形而上学の中で、決められた存在構造(スピノザ)や思考の諸根源(ドイツ観念論)、「人間の本質」(宗教社会主義)ないしその他の諸原理の一連を引き合いに出すことによって高められている。それどころかこの見方は、自身から明言されている社会的情況に従って全く異なる反動的もしくは進歩的な内容を取り囲んでいる。常にこうした唯物論的な見方は、人間・社会・部分的な目的を永遠性の仮象で覆い隠すための機能、それらを社会的変化に服従しないもの、それゆえ条件付けられないものに適用するための機能を果たしている。この見方を必然的に絶対的な意識の仮定と結びつけることは、確かに現在、研究の性格を記述的に現象それ自体の深化において示す哲学的な試みによって覆い隠されている。しかしあらゆる思考の方向性は、絶対的にあらゆる個々のものに対して下される主張が唯物論的な見方の中で動機づけの役割を果たす限り、これらの結合のために観念的な性格を持つ。唯物論と形而上学の闘争は今日でも、こうした問題性が故にとりわけ唯物論と観念論の対立として現れている。

⑬これまでの歴史の中で何らかの主張を宗教的形而上学的に基礎づけることは、社会集団の闘争によって条件付けられてきた。支配階級と同様に被支配階級も彼らの要求を、単にその特別な需要の表現として保持しているだけでなく、同じようにすべての人々を拘束し超越論的な裁き手の中で固定されている要請として、そして世界と人間の永遠の本質に相応しい諸原則が告げるものとして保持している。支配されているものの立場は、言うまでもなく、少なくとも革命の時代において、彼らが自身の立場の主張を直接絶対視することを当然必要とするのではなく、彼らが手許にある現実を有効なものとしての支配それ自身によって主張された諸原理への異議申し立てとして見せることを当然必要としている。支配されているものたちは、現存秩序を基礎づけた道徳的諸原理の全世界での展開を要求することによって、彼らは同様にこうした諸原理の意義付けを、その新たな形而上学的基礎づけが必然的なものになることなしに変えていく。キリスト教を使用したドイツ農民戦争においてこうした要求は、キリスト教の当時の内容に直面して変化した意味を含んでいた。同様に、市民的正義の理念を普遍的に感知することの要求は、この理念が根本からその内容を勝ち得ていた、自由交換の社会を批判し止揚することへと到達せねばならない。市民社会の原理とそうした社会の現存在の間にある矛盾の証明は、自由による正義と意識における単なる否定を通じたその正義の一面的な規定を生み出し、理性的社会の見取り図によって実証的に正義を定義する。正義の概念がこれほどまでにひっくり返ることによって、このことは根本的にその社会的な発生の中で永遠に主張されてきた原理として認識されており、階級社会の諸関係によって条件付けられ、特定の人間によって生み出された思考として理解されている。それゆえ、実際、より良い秩序を巡る闘争は、超自然的な正当化から解放されている。闘争の一部をなす理論は唯物論的である。

⑭しかし未だに支配層の観念論と支配に対して戦いを挑む層の間には異なる違いがある。絶対的な要求の指示は、人間の行為が彼らの世界内の利害関心に従って訂正か少なくとも正当化かのどちらかを必要としている限り、とある意味を持つ。この指示によって抑圧されたものが、生産諸力の状態によってのみ制限された、普遍性の欲求の充足への権利を基礎づけようとしてきた一方で、支配にとっては、こうした権利の制約の動機づけをすることが問題であったのだ。全く確実にこうした制約は歴史の展開の中で、その制約が進歩にとって邪魔であるのではなく、それが人間諸力の増大にとって総じて必然的で実り豊かなものであったところで、宗教的形而上学的な論証でもって養護されてきた。非合理な基礎づけの振る舞いは、未だにこうした基礎づけの合理化に対して何ら意味をなしていない。いずれにせよ唯物論は、行為を正当化することの位置に諸行為の歴史的理解による説明を置くことを試みている。唯物論はこうした正当化の中にいつも幻影を見ている。大部分の人間が今までそれに従ってとても強い欲求でさえ抱いていたとしても、そして彼らが重要な決定をしているときに怒り・共苦・愛・連帯の感情を単に引き合いに出すのではありえず、彼らの原動力をその力が絶対的な世界秩序を「道徳的」だと明らかにすることによってそうした世界秩序に適用するとしても、それによってこうした欲求の理性的な実現可能性はそれでも示されることは決してない。多くの人間の生はたいそう惨めであり、不自由と屈辱にまみれた生は無数にあり、努力とその成果はたいてい、この現世の秩序はそれ自身で実在している秩序ではないのかもしれないという希望だけが納得のゆく階級の不均衡の内にある。観念論がこの希望をそれが存在するものとして明らかにするのではなく、そうした希望を合理化しようと努力することによって、観念論は自然と社会的な関係によって強要された欲求の断念を輝かしいものにするための手段になってしまう。哲学者はカントほど深く、超越論的な秩序の仮説が人間の希望だけに基づいて基礎づけられうるということを理解していない。「(最後の可能的な目標を決める)何かあるものは存在する。というのもその何かあるものが生じるのは自明の理であるからである」という結論はカントに従えば不可避の帰結である。しかしカントは、幸福な出来事に向けられているこうした希望を(「というのも、あらゆる希望は幸福な出来事に向けられているからである」)単に確認するだけではなく、哲学的にこの希望の基盤を築くことによって、彼の根本から啓蒙的な理性分析は、彼が独断的な形而上学と闘っているシステムにかなり接近してしまっている。現実の生から死に至るまで失望させられる幸福の欲求から最終的に単なる希望が結果として生じるのならば、不幸を条件づけている諸関係を変化させることは、唯物論的な思考の目標になりえたのであった。それどころか、社会的な条件に従って、この目標は他の形態を得てしまうのだった。古代の生産諸力の発展を目の前にして唯物論哲学もまた苦しみに対して、内的な諸実践を形成することに頼らざるを得なかった。魂の平穏は、外的な手段が拒絶する苦境の中における情報である。それに対して、初期市民階級の唯物論は、自然の認識の増大や自然と人間を支配するための新たな力の産出に狙いを定めていた。しかし、現在の悲惨は社会構造に結び付けられている。それゆえ、社会理論は今日の唯物論の内容を形成しているのだ。

⑮実践的な要求は唯物論的な理論の内容と形式に反作用を及ぼす。観念論的な教説はそれらの異なるシステムを永遠に同一な問い、つまり永遠に同一な判じ絵に対して試みられた解答として理解しており、数千年を超えて哲学者たちの語らいについて論じることを好んできた。というのも、哲学者たちは常にこれと同一のテーマを保持しているからである。その一方で、観念論的な教説が本質的にその都度克服している諸課題によって規定されているということは、唯物論的な見方の一部をなしている。「哲学の大きな意義は次の点にある。すなわち、我々が自身の利益を見通す諸影響を利用し、我々の諸力と有用性の尺度に従った認識に基づいてそうした影響を人間の生を促進することへともたらすことである。というのも、諸困難を単に克服することもしくは隠された真理を発見することは、哲学の大きな意義が哲学によって消費されうるような大変な苦労には値しないからである。そして、全く誰も自身の英知を他の英知に伝えることを必要としない。誰かがそれとともに広く何ものにも到達することを望んでいない限りではあるが。…結局、あらゆる思弁は行為もしくは業績を目指しているのである」。17世紀における物理学的唯物論のこうしたテーマはなおも、現実と身体との完結した同一化作用を認めていた。社会プロセスの分析は人間と自然の間を分析することへと向かっており、文化現象(文化的諸関係)に向けて決定するこのテーマの役割を具体的に示している。それに関連して、現実と身体との同一化作用は無効を宣言されることは決して無く、その作用の由来と形態に従って、初期市民階層の諸課題から独立したものとして認識されている。経済諸関係の基礎的歴史的役割についての教説は今や唯物論的な見方の目印と見做されており、この新たな内容とともにそのような原理としてのある極めて優れた原理に完結した形態を与えることもまた、不可能となってしまった。人間が自然とともに自己自身やあらゆる人間と自然の関係をも変えてしまうのならば、そのとき哲学的存在論ないし哲学的人間学の立場に沿って「人間の歴史学的発展の考察から抽象化された普遍的諸成果の統合」は進んでいく。直接の現在を超えて指示を出している発展の傾向をこうした諸成果の助けでもって認識する可能性に、あの統合を簡単に未来に転用するような権利はない。あらゆる形而上学は、本質的なものの中で未来の核心でさえ先取りされている統一性(これを表現するものは過去の根底にあるのではなく、常に同時に未来の根底にある)をこうした意味における本質的なものの中で得ようと努力している。その一方で、現在の唯物論は一段と高くそびえる概念の構造物を通じて時間的次元の相違を度外視することはない。過去の人間の考察から規定された普遍的な衝動を得る可能性でさえ、超歴史的な契機としてのその衝動の実体化に行き着くことはない。人間の存在が同時に独立している社会は、絶え間なく自身の構造を変革し比較不可能な全体である。そして、今日の歴史時代における人間の衝動の類似点は、なるほど確かに現在の社会的な運動の理解にとって決定的である概念形成を可能にする。しかし、この類似点はそうした概念形成を全歴史の基礎として解釈することを決して許さない。現在についての理解が観念論的であればあるほど、それだけいっそうこの理解は、物質的貧困の経済的な原因に沿う代わりに、いわゆる人間存在の根本要素を、確かな心理学的認識を意識的に度外視して配置することに沿ってしまうことになる。

⑯唯物論的な理論が、人間の諸関係を改善するための努力の一側面であるのならば、それと同時にこの理論は、いとも簡単に、社会的な諸問題を従属したものとして出現させる矛盾の中であらゆる試みの側に立つ。個人をモナド的に魅了し同時に経済的な基盤の形態を無価値にする、直近で現れた唯心論だけでなく、現存秩序の洞察の重みを弱めるあらゆる熱心な試みは、視線を表向きには本質をなす秩序に向けることによって、常に繰り返し唯物論的な批判を生じさせる。とりわけ唯物論は、根拠づけできない希望を正当化する、もしくはわずかなその希望の根拠づけの不可能性でさえ覆い隠すことを試みる哲学のあらゆる方法の中に、人間に対する欺瞞を見る。それゆえ、この欺瞞が諸関係の変化を顧慮して広めるかもしれないあらゆるオプティミズム、もしくはその変化の結果や連帯から発する幸福をすべて評価することによって、唯物論はペシミスティックなこの一連それ自体を引き受けるのだ。過去の不正は償い得ない。流れ去った世代の苦しみは精算できない。しかし、観念論的な流れの中でペシミズムが今日現世の現在と未来、すなわち普遍性の来たるべき幸福の不可能性に関係があり、没落の運命論と流れという形で現れるのが常である一方で、唯物論に本来備わっている悲しみというのは、過去の出来事を適切に表現している。「全体としての地球の住民が今日の諸原則の下で、技術・科学・経済の進歩一般を通じて起こり得る食料スペースの拡大に相応しくない増大の傾向に到達するか否か」という一般的な推察、技術的生産性それ自体を大幅に超えている最高の状態についての考え、人類ないし「彼らの全生活と高齢化の転回点」のデカダンスについてのペシミスティックなイメージ、これらは唯物論にとっては程遠いものだ。これらは諸力を抑制している社会形式の窮状を人類の無力として反映している。

⑰絶対的秩序や絶対的要求のテーゼはいつも全体や全体性、無限なるものについての知の要請を前提としている。しかし、我々の知が完結しておらず、概念と存在の間の止揚し得ない緊張があるのならば、命題は完全な認識の尊厳を利用する必要はない。無限なるものの知はそれ自身、完結してはならない。自身を未完成であると見做している認識など、絶対的なものの認識ではない。形而上学には、完全な世界を理性の産物と見做す傾向がある。というのも、理性でさえ自分自身を不完全にしか認識していないからである。ドイツ観念論を支配し、すでに『純粋理性批判』序言の中で述べられた内的な動機、すなわち「認識においてア・プリオリに、思考する主体がそれ自身から手に入れてくるものとしての客観に何も与えられえないもの」、換言すれば、理性だけが自分自身から絶対的な認識を得ることができるもの、これこそ形而上学一般の秘密である。また、この点で経験批判主義は形而上学に帰結する。経験批判主義は真であり自己理解的であり、無条件である存在として諸感覚を主張している。というのも、諸感覚についての知は直接的な、つまり自分自身に関連付けられている知であるからだ。事実、現代の形而上学でさえはっきりと「存在についての最終的な知の堅固さ」を問いの内に立てているが、この形而上学は絶対的な意識を、実存の最奥の波乱に富む反照として保持している。知ることと知られることは純粋形而上学の内では観念的である。純粋形而上学が口にする現存在は「開示性(Erschlossenheit)すなわち了解(Verstehen)によって構成されているのである」。ひとえにこのようにして古い形而上学に比べて最新の形而上学の可能性というのは、用心深くあの(純粋)形而上学が主観と客観の同一性でさえ捉えんとしているように、甘んじて基礎づけられているのである。

⑱それに対して唯物論は、概念と対象の間を止揚しうる緊張についての認識の中で、精神の無限性についての信仰からの批判的自己防衛を備えている。この緊張はどこでも同様の緊張のままではいない。科学は全く異なる方法で自身を乗り越える試みの総体である。科学が概念形成への主体の関与を同時に考慮する時点から、科学は自己の内にある概念形成の弁証法の意識を始めるのだ。弁証法のプロセスは、それが個々の同一性を保った諸要因からの作用として把握されうることによって特徴づけられる。そして、こうした諸契機はおよそ絶え間なく相互に弁証法のプロセスの内部で変わっていき、その結果、その諸契機は一度もラディカルに互いから区別されえないものとなる。したがって、確かに人間的性格の発展は経済的状況や規定された個体の個人的な諸力によって条件付けられているが、両契機は自己を絶え間なく規定する。その結果、全発展の中で他なるものを同時にこうした表現の中へもたらすことなしに、規定された個体は活動する要因として両契機によって描き出されえないのである。同じことが現実のプロセスとしての科学にも当てはまる。科学の諸概念は確かに客体によって条件付けられているが、同時にまた、研究の主観的要因さらに理論的関心の方法や方向性によっても条件付けられている。主体的関与を絶え間なく規定し、それを通じて差異を超えていくことが科学にとって必要であるにも関わらず、主観は客体から明確に区別されうることは決してない。つまり、知識と対象がラディカルに一致するということである。すなわち、両者が直接的に同一である概念なき知覚においてそうであるのだ。人間の理論的な活動は実践的な活動と同様に、固定した対象から独立した認識などではなく、変化する現実の産物である。それどころか、自由に自己を規定している社会において、仮にもゆるやかに変化している自然は同一性に逆らっている要因のままでい続けねばならないのかもしれない。物理学は行為している人間の抽象の産物であり、自然史の表面上の本質を反映することとしてでは決してなく、ただ幾重にも条件付けられた仮説として来たるべき経験に関連付けられうるのだ。

⑲終わりなき使命のカント的な概念において、あるものとはこうした認識によって包含されているが、この概念は他の概念の下で弁証法的に把握することから次の点で区別される。すなわち、こうした終わりなき使命の実現として純粋に知的で直線的な進歩は姿を現すという点である。この進歩は確かに目的を除去することに打ち勝つことは決してないが、その代わりに目標すなわち全体性を、「我々が全体性を熱望し要請することが許されている限り」、すでに真理の内で仮定してしまっているのだ。しかし、主観-客観関係はこうした教説とは対照的に、第二の恒常的にそして概念的に完全に解明された、自身を重ね合わせながら揺れ動く偉大なものの図像によってでは描かれえない。―むしろ、詳しく言うならば、主観と客観は、我々によって客観的と名付けられた主観的要因といわゆる主観的でさえある客観的要因の中に、我々が規定された理論の歴史学的な理解のために人間的と超人間的という両方の、そして階級に合致し方法論的であり、物体的な諸要因の入り混じった戯れを描き出さねばならないということを、こうした諸要因の戯れをその効力の中で他の諸要因から隔離しうることなしに、差し込んでいる。個々の諸理論によって考慮されることはない諸力の協働のための普遍的な形式が存在しているわけではないし、普遍的な形式はいかなる場合であってもそれ自身で究明されえない。理論的な統一化と技術における市民社会の進展の中で事実として現れている自然の研究でさえ、全く当然なことながら、現実についての科学に接近するものとして記述されるのかもしれないが、他方で、こうした記述やこの記述の中で利用される諸カテゴリーも現代の人間の労働ないし利害関心の方向と関連している意識は確かに、かの確認の真理を損なうことはないだろう。そうであるがしかし、例えば諸概念が全歴史よりも高尚な図式への接近や現実にとって必要とされ、終わりなき進歩もしくは退歩の思想のために永遠のものとなることを妨げることになるだろう。カント自信によってこの考えは、いまだ主に批判的なものとして捉えられており、さしあたり、相互に密接に連関し合っている諸条件を究明するためのある規定された領域が欠けていることを意味する。しかし、カントにおける直観的な悟性の理念は、この悟性が「問題」であるにもかかわらず、必然的にあの直線的な認識プロセスの表象に行き着く。というのもこの認識プロセスが、そうした「根源的知性」(intellectus archetypes)に「自然に対して我々にとって認識不可能で超感性的な実体の基礎」が与えられるであろうもの、そうした実体の基礎が「システムとしての自然全体」であろうもの、したがって、修正がもはや不可能であり、それゆえ直接すぐには修正されることがないもの、これらを思考することだけが可能であるのならば、そのとき言うまでもなく基準に従って並んでいる科学は自身の道の上に立ち続けることができ、また、かつて唯一であった歩みは後から後退することができる。しかし、この歩みが認識しようとしたものは、こうした歩み自身が同時に耳を傾けてきた人間的な出来事によって変わることはなく、時間などというものに従属させられることもない。カント以後、我々人間のために存在している必然性、我々が時間的に、すなわち次々と知覚することの必然性はいくつもの物自体それ自身において基礎づけられているのではなく、いわば未完結の主観の脆弱性において基礎づけられている。「時間というのは、…単に我々(人間)のものの見方を主観的に条件づけているものにすぎない。…主観の外部にある即自体などなにもないのだ」。加えて、カントによれば私自身というのは、本当は時間の中にいないのである。というのも、「私自身ないしそれ以外の存在が感覚の条件なしに自己を眺めることができるのならば、我々が自己を今まさに変化として表象している一様に同じ諸規定というのは、時間つまり変化の表象が全く見出さない認識をもたらすであろう。…それゆえ時間はなにかそれ自体ではなく、物体に客観的に結びついている規定でもない」。こうしたカントの教説は、単なる社会的ダイナミズムの連関の中で規定されつつある、独立していないプロセスとしての認識の弁証法的概念と矛盾している。言うまでもなく理論や認識のような諸概念はその都度明らかな意義を保持しておらねばならず、仮にも大雑把な提示もしくは定義に基づくことによってしか理解されえず、使用されえない。ただ、弁証法的唯物論はそうした意義を、現在の状況の連関とともに過去の物質から形成された抽象化として把握するのであって、不動不変で未来を底に据えている諸要因として把握するのではない。人間の科学的思考ならびに科学によって認識され、認識されつつある自然は、確かに歴史学的なダイナミズムとして今後、役割を果たすだろう。しかし、思考や自然がこうした全プロセスを生産諸力として規定し変化させているのと同じ程度にこれらはこのプロセスから規定され変化しているのだから、現在の状況との連関とともに形成された定義、すなわちこれら諸概念の現在の意義は今一度意味を失いうる。そして、単純な偉大さの認識や対象によって構成された終わりなきプロセスの図像は、それゆえ、抽象的な意義の絶対化として姿を現す。絶対化は科学の過度の相対化の他の側面として、おおかたカント的でその他多くは観念論的な思潮を通じて現れる。認識する主体もしくは実存の根本における時間性を遮断することは、科学から、主体それ自身を歴史に取り込まれた主体として認識する可能性を奪い取ってしまう。もしくは、この遮断は歴史学的な認識を「単なる」経験的な認識として引き下げ、事物それ自体をその当の認識として決して引き下げることはない。加えてこのような認識一般に真理の尊厳を付与するためにカントは、このような単に「現象」に限定した科学を、終わりなき使命の思考を通じて、全体性もしくは諸物「自-体」に適用したのだった。

⑳しかしそれが必然であるにせよ、事実、批判的分析は科学的な業績だけでなく哲学的な業績も目指している。そのとき、この分析は確かに現象と物自体の教条的な相違を排し、同様に科学的哲学的な諸概念も排している。しかし、そのために認識は歴史的現象としての自己から登場してくる。それゆえ、批判主義の大いに世界観的な推論とは対照に、カント的な批判の徹底的な使用は弁証法的方法を形成することに向かう。ヘーゲルはこうしたカント的な批判の使用を具体的に示したが、同時にその使用をカント固有のシステムの内で完結したものと見做してしまった。それゆえ、こうしたカント的な批判の徹底的な使用はヘーゲルによって現実の知に適用されることはなく、ただ過去の諸理論に実際に適用されただけである。ヘーゲルは自身のシステムを絶対的に据えている点で観念論者である。しかし、彼はこうした誤りを乗り越えるための思考に関する道具を創り出した。この方法の正しい使用は単に、ヘーゲル的システムもしくはとりわけ現在支配的である物の見方が、ヘーゲルが過去の物の見方を取り扱ったように、厳密に取り扱われうるということを意味しない。むしろヘーゲル的システムないしとりわけ現在支配的である物の見方というのは、弁証法がヘーゲルによるこれらの完結を得たという彼の信仰に関する初期の教説でさえなおも自身に引き受けている、絶対的なものへ向かう段階的な性格を失っている。フォイエルバッハやマルクス、エンゲルスが彼らの観念論的な形態から弁証法を引き離すことによって唯物論は、絶え間なく変化しつつも唯物論に固有の現実への思考の弁証法的な緊張の意識を得てきたし、それとともに唯物論に固有の認識の概念を得てきた。言うまでもなく、唯物論はこうした思考を否定することはない。17・18世紀の唯物論者たちにとってこの思考は遠くにあった。しかし、唯物論はこの思考をいつでも観念論とは対照的に、特定の時代における特定の人間の思考として把握していた。唯物論は自身の自律性を疑っているのだ。

㉑唯物論が今しがた示された抽象的な弁証法の表象を発展させ、とりわけこうした普遍的な問いへの唯物論の関係を意識するのならば、この関係は唯物論自身に備わっているダイナミズムよりも、形而上学が自身の社会的機能を通じて生じさせる批判の要求の方から由来している。この関係にとって問題なのは、世界観でも人間の魂でもない。問題なのは、その下で人間が苦しまねばならず、言うまでもなく人間の魂が消耗せねばならない一定の関係を変化させることである。この関心それ自体は確かに歴史学的心理学的に把握されうるが、普遍的には基礎づけられえない。唯物論にとってきわめて重要である射程の長い定式化が存在する。それに対して、観念論的な主題設定が唯物論に批判的な動機を与えるあの抽象的な言明は、単に直接的な意義を持つ。形而上学はあらゆる普遍的なもの、例えばあらゆる時代・空間・社会階層の人間、それどころか場合によってはあらゆる現存在に固有である諸要因を「具体的なもの」へと高める。形而上学は、常に新たな教説や構想を生み出していく中で、こうした極限・根源・具体的なものを描きそれらを参照するために力を発揮する。唯物論はそうした諸構想の中では比較的、非生産的である。というのも、唯物論はわずかにしか自分の課題をそうした諸構想に期待していないからである。諸構想に対する精神的なものが所有している独立した意義のために観念論は、それ独自の前提を恒常的に改めて問いの内に立てることに取り組んでいる。対して唯物論において固有の前提を吟味することは現実の困難を通じて動機づけられる。こうした困難の中へ、そうした困難から独立した理論は迷い込んでしまう。唯物論はこうした問いの中においては、およそ観念論哲学ほど「ラディカル」ではない。

㉒このことはまた、観念論哲学それ自体とは対照的に現れる。唯物論は全体としてのシステムを攻撃するのではなく、出来事の根源的な意味を主張することを攻撃するのだ。この主張は詳説された意味解釈のもとにあるのではなく、人間ないし世界の根源的で権威ある構造が対象ないしあらゆる具体性に先行している活動の絡み合いと見做されるか否かはどうでもいい弁明が、こうした構造に由来するようなあらゆるところにある。そうした性質を持つ人間学は必然的に次のことを度外視せねばならない。すなわち、抽象的なものないし明らかになっている方法の方向性、自身を手段にして根底にある諸構造の認識が獲得されている方向性は一定の歴史的状況にさえ属しているということ、すなわち、弁証法的であるが潔白で分離された主観的かつ客観的な諸要素の中で決して崩壊していくことがないプロセスの生産が存在するということ、である。これを度外視しないと、人間学の成果など、こうした緊張関係の性格を意識している理論の代わりに、実存の根への直接的な洞察として自分自身を理解することなどできないであろう。諸認識をこうして実体化することに縛られており、これまでもこれからも満たされる意味と存在についてのテーゼや、意味と存在から独立しているシステムの一連、これらは唯物論とは対極に位置している。多くのいわゆる唯物論的な教説は、そうした一連、特に物質の根源性を主張することでもって自然もしくは、いわばあたかも根源的なものないし独立したものが自己について特に優れた尊敬に値するかのようなものとしての自然的なものの尊敬と結びつけるあの一連を自身に引き受けるのである。

㉓他方で多くの観念論的システムは、このシステムの創始者の世界観的な物の見方にもかかわらず科学的進歩の重要な諸要素を描き出すのに大いに役立つ物質的な認識を含んでいる。弁証法自身は観念論に起源がある。現代形而上学の少なからぬ諸構想は、現在の人間の価値判断への雛形、ディルタイ自身が過去のシステムの特徴を述べたような「仮説」よりも最高に高次な意義を持つ。著作の観念論的な道はしばしばうわべだけの取るに足らないものを明らかにしている。つまり、自律的な認識の理念に分類されたパトスにおける何か、はるか昔の哲学とその課題が論じられてきた現実における何か、現在の貧困とその原因が論じられてきたいい加減さにおける何か、これらを明らかにしているのだ。こうした思想の僅かな違いを強調すること、それどころか唯物論と観念論の違い一般を保持する意義は、システマティックに基礎づけられえない。そうではなく、この意義は現在のこうした思潮の役割との連関で、はじめて結果として生じるのである。観念論が誤って精神を未完の状態にすることではなく、観念論が精神とともに人間の実存の条件を変化させることになにか副次的なものの烙印を押す、このような知的な差異が力強く歩み出てくるのだ。

㉔唯物論は哲学と科学の統合を必要としている。唯物論は確かに研究と叙述の間にある相違と同様に、普遍的な哲学の課題と個別科学の課題の間にある相違を正当と認めているが、科学一般と科学としての哲学の間にある相違は正当と認めていない。これは、個々の現代諸科学それどころか諸科学固有の自己意識つまり諸科学の学問的な理論が、洞察についての今日最高の尺度として受け入れられるのかもしれないということを意味しているわけでは決してない。むしろ現存する諸関係の結果として、学問経営は意味深い洞察によって切断され、古めかしい形式を保持しているのだ。どれだけ実現可能な認識の個別諸科学の全構造と性質がふさわしいかという価値判断は、それ自体で複雑で理論的な問題である。この問題は断固として明らかになり得ない。17・18世紀に全科学が機械的な物理学に基づき、ほとんどその中で汲み尽くされていたことが理由で、当時の唯物論は数学的-機械的自然科学を現実についての唯一の知と見做していた。当時の唯物論の認識-方法論的教説はこうした信条と一致していた。しかし、19世紀にはすでにフォクトとヘッケルの物理学的唯物論が哲学と実証科学との一体化の試みを実践的に断念している。というのも彼らの時代に機械的物理学は、もはや科学の内容と重なることは決してなく、社会科学に対して激しくその現実的意義を喪失していたからであった。この物理学はもはや方法論に対してのみ決定的なものとなっていった。ヘッケル的なもの、純粋自然科学的な一元論はそれゆえ、その世界観的かつ歴史的実践によって逸らされた機能の中においてでさえ現れている偽-唯物論である。しかし、マックス・シェーラーは1926年になおも唯物論を「機械的な物理学の認識価値を高く評価する解釈の一連」に数え入れ、唯物論は「形式上機械的な自然-魂の考察の七重の関係を見落とし、それと引き換えに自然-魂のメカニズムを「物自体」にしてしまった」と主張した。そのときシェーラーは明らかに科学と哲学を一体化する唯物論的な主張の意味を完全に誤解してしまっていた。この唯物論的な主張は、特定の知の内実を絶対視することの完全な反対であり、次のことを要求する。つまり、確かにあらゆる認識は単なる恣意的な産物として用いられはしないが、一定の歴史的瞬間における一定の人間の表象、言うまでもなく生産物によって生産力にさせられうる表象として用いられることを要求するのである。唯物論は決して物質によって一定の解釈に縛られるものではない。むしろ前進的な自然科学自身にほかならない部局がそのことについての決定を下すのだ。自然科学の産物はその来たるべき歩みに内在する訂正を顧慮して関係しているのではなく、次の場合に限って関係している。すなわち、なるほど物理学は空間-時間的な事象について特定の社会の経験に向かう普遍的な諸形式を得ているが、自身の主観的起源を余す所なく解読しつつあるわけがない特徴を引き受ける場合に限って関係している。

㉕科学のこうした概念によって唯物論は19世紀の実証主義そして経験批判主義と区別される。実証主義が、それがチュルゴーとダランベールによる啓蒙の中で発生して以来、「自然法則の普遍性の一般的教義」を包括しており、確かに自然的秩序のその都度の認識からの行為の独立性を助長していたが、意識における人間の活動からの自然的秩序やその認識の独立性を助長することはなかったという状況は、実証主義を必然的に次の事態にもたらすしかなかった。つまり、科学それ自体をその進歩についてのあらゆる信仰の下で非歴史学的に把握する事態にもたらすしかなかった。特に経験批判主義の中で形成されはしたが全実証主義の中で有力な、最終的に「暫定的なもの」と知覚が見做す諸要素からの世界の組み立て可能性についての信仰が、仮になにか現代的な信仰によって剥ぎ取られねばならなかったとしても。エルンスト・マッハの洞察では、彼の広範にプラグマティックな科学解釈にかかわらず認識の非歴史性を顧慮し、わずかにしかカント的な認識と区別されていない。また、彼に従えば「あらゆる時間の推移は我々の感覚の諸条件としか関係していない」のである。確かにそこからでは多くの唯物論著作家が考えるような事態は導かれない。つまり、人間を前にして自然など存在しない、つまり自然史に対する矛盾が存在するという事態は導かれないのだ。主観的に描かれた時間図式において、種属的な人間は決して最高の地位を占めてはいけないのであって、確かに限りなく長い有史以前の後で種族的な人間は分類されうる。しかし、そのとき時間の主体性についての主張は、未完成の人間と認識する主体を同一視することを妨げてしまう。また、経験批判主義は、自身が時間から独立した主体を前提とする限り、自身を観念論的な形而上学で覆い隠してしまう。それゆえ、唯物論的な批判は観念論的な形而上学の助言でもって、こうした教説の決定的な弱点を踏み越えるのである。

㉖しかし、未だにあらゆる唯物論的見解と実証主義的見解には大きな隔たりがある。この隔たりは確かに、マッハの著作の中で率直にわかりやすい登場はほとんどない。というのも彼は個人的に、言うまでもなく自身の主観的見地がその隔たりへの必然性を含むことなしに、思弁を前にした科学者の新たな慎ましさから自由になっているからである。すなわち、実証主義は次のことを自負している。つまり、実証主義は物事の「本質」に注意を向けているのではなく、その諸現象に「だけ」、すなわち諸現象から我々に与えられているものにしか注意を向けていない、ということを。「…今日、われわれの真の研究は、現象の有効な法則、つまり連続性や類似性の絶え間ない関係を発見するための現象の分析に厳密に限定されるものであり、その本質的な性質や、一次的であれ最終的であれその原因や、本質的な生産様式に関わるものでは決してないことを、すべての優れた頭脳は認識している」。また、ジョン・スチュアート・ミルは自身の『論理学』の中で身体を「我々が自身の諸感覚を適用する、隠された外見上の原因」と定義づけている。彼に従えば、我々は身体と精神の本性から、最も都合よく今まさに存在している教説によれば、初めに身体が刺激し終わりに精神が経験する感情にほかならないものを知ることになる。「身体とは、精神に知覚する気を起こさせる神秘的な何かであり、精神とは、知覚し思考する謎めいた何かである」。科学を必然的に現象に制限することについてのこうした教説、正確に言うならば、認識された世界がただ外的なものに過小評価されることを通じて、実証主義は根本的にその平穏をあらゆる迷信の方式でもって完結する。実証主義は、生の実践の中で真であると実証されている理論の重要性を奪ってしまう。事実、否定-実証的形而上学が意味に即して自身の自律性を主張せねばならないことで、この形而上学はそれ固有の認識の理念を過剰に高めてしまうが、そのとき実証主義は、自身の物の見方に従ってのみ可能である認識を外的なデータの収集にまで引き下げる。おまけに、一方で現象や外的なものとして認識されている現実の形而上学的な性格描写、他方であの非弁証法的な分離が言うまでもなくすでに含意している実証主義の表向きの物の見方、これらの矛盾を実証主義は見落としているのが常だ。「真なるものを知らず、時間的偶然的なものの仮象だけを―無価値なものだけを認識することは、哲学の中でふんぞり返り、なおも我々の時代の中でふんぞり返り、偉大な言葉を用いる、この自惚れである」。今日とりわけ、ヘーゲルが啓蒙に対する反論として挙げるものは、無論、啓蒙の中で生じた実証的な哲学に向けられている。彼自身、啓蒙への反論として挙げるものがこの定式化の中で現れうるように、時間的なものについての真理と知を互いに分離することは決してなく、逆に―その中に時間性の深みがある―時間性としての時間性の知を哲学の本来的な内容に作り変えた。彼の観念論は言うまでもなく次の点についての信仰の中にある。すなわち、「まさに有限のものないし制限されたものとしての何かをこのように特徴づけることは、無限のもの、つまり無制限のものの実際の現実(wirklichen Gegenwart)についての証明を含んでいること、局限されていないものが意識のこちら側(diesseits)で存在している限り、全体の知は存在しうるということ」、この点についての信仰の中にある。しかし啓蒙に対して反対を表明していたにもかかわらずヘーゲルは、根本的に人間の意識に到達不能な領域を単なる予感のために解放しないことによって、実証主義よりも現実の啓蒙に似かよっている。それに対して実証主義は、この見方における自身の寛大さを十分に自覚している。そして、実証主義はきっぱりと「否定」との対立、すなわちそうした(ヘーゲルの)予感の否定に対して理解されている対立として自身の名の意味するところを知ろうとしてきた。コントが述べる健康な哲学とやらは、確かに必然的に解答不能の問いを排除するが、この哲学はそれを拠り所にして自身の敵よりも中立かつ寛容であろうとし、過去の信仰システムの持続と没落の条件を調べているらしい。「このように、現在私たちの間で消滅しつつある一神教以外のさまざまな一神教の体系だけでなく、多神教的、あるいはフェティシズム的な信仰に対しても、常に基本的な進化の対応する段階に関連づけながら、細心の注意を払って正義を貫いている」。この点であの諸表象の歴史学的な関係は、同時に次のような領域の承認を意味している。すなわち、知に原則的に到達不可能で、史的弁証法の中から取り出されない領域、あの諸表象が関連している領域の承認を意味している。

㉗唯物論もあらゆる歴史的諸形態を歴史学的に把握しようと努めている。しかし、無限の本質は存在し得ないという唯物論の洞察から、そうした諸形態にとって、それでも存在し得ない有限な本質のその都度の主張に対する中立性は推論されない。思考を制限することを認識することによって、思考が適用されうる領域は想定されない。すなわち、我々が何も知らないということは、断じて次のことを意味しない。我々が知るものは非本質的なものだし、我々が知らないものは本質的なものであるということを。実証主義が意識的に迷信と和解し唯物論と不和を引き起こす誤った判断は、ベルクソンによる理論的思考の軽蔑ないし現代の直覚説的な形而上学の発生を実証的な哲学の系列として現れさせる。実証主義は実際、直覚の形而上学の方が、このような誤った判断が誤って直覚の形而上学と関連付けるのが常である唯物論よりも似通っている。仮に世紀の変わり目以来、実証主義が支配的な形而上学に対して十分に「具体的なもの」つまり真理の中で唯心論的なものとして現れないとしても、自然的認識を無価値にする哲学と抽象的で概念的な構造を実体化する哲学という二つの異なる段階がこの両者にとって問題なのだ。しかし、生の哲学を主張したようにベルクソンは、直接与えられ内省によって立証しつつある所与についての教説に向けて、彼の「持続」(durée)の形而上学を基礎づけているらしい。ただし、ベルクソンによれば、この形而上学が互いから際立たせられている諸要素から成るのではなく、生き生きと直覚によって把握されつつある生の流れの中に存せねばならないのなら別だが。諸要素の形而上学、根源的に隔離された所与の模範としての現実の直覚、自然法則の恒常性というドグマ、完結した体系の可能性についての信仰、これらは実証主義特有の形而上学的テーゼである。実証主義は真なる現実としての直接的で根源的かつ理論のない所与を主観的に主張することを直覚主義と共同で持っている。しかも形容詞が「のみ」(nur)を、合理的な予測に向けられた理論とその予測によって言うまでもなく機械的に誤解された理論の両方によって制限しうることと同じように。それゆえ、唯物論との闘いの中でこの両理論は相互に完全な統一を果たす。なるほどあらゆる超自然的な思潮以前の哲学の無力さは、とりわけ唯心論と心霊主義を前にした哲学の無能力、そしてこれらの迷信の粗暴な諸形式の中で甚だしく明らかになるとしても、ベルクソンはなおもその中でコントより優れた長所を持っている。それどころか内容に関する形而上学はこうした諸形式に固有の思弁で超越的な領域を覆い隠してしまう。その結果、コントが非難したような形而上学は、彼岸についての支配的な教説に対して「批判的でしかなかった」。それゆえ、第一にベルクソンは次のことをはっきりと断言する。「そのため、立証責任は主張する側ではなく、否定する側にある、という可能性が高い」という意識の超越的なものは存在し、哲学は我々を「少しずつ、事実上確実な状態に近づいている」状態へともたらしているということを。それに対してコントは、いくつかの主観的な所与、単なる諸表象と現実を同一視することに基づいて、はじめからずっと主張されてきた超感性的なものの体験や経験に対して基本的に無力である。現在、心霊主義の徹底によって明らかにされた哲学のいや増す実証的直覚的な変種は未だにほとんど区別されていない。ハンス・ドリッシュによれば、心霊主義の教説は「全く「オカルト的なもの」と矛盾しないばかりか、厚かましくそれに道を開いてしまっている」。ベルクソンは自身の新たな著作の中で次のような断言をするのを恐れなかった。すなわち、「例えば、何千もの証言が集まっているにもかかわらず、もし私たちが「幻聴」の実在性に疑念を抱くなら、科学の目には人間の証言は存在しないことになる。この物語はどうなるのだろうか?」と。加えて、彼は次のことを全く不可能でないと見做していた。すなわち、「この未知の世界の片鱗が、肉体の目に見える形で私たちにもたらされる」ということを。実際、彼は他の世界からのそのような知らせが、人類の完全な変革につながるかもしれないと真剣に考えている。単なる直接的な所与にとって有利になるような理論的なものをおろそかにすることは、科学に備わるその啓蒙的な作用を完全に奪い取ってしまう。「感覚が名目上の独立性の中で現実の標識と見做されているところで、自然と妖怪の間にある相違はぐらつきうるのである」。

㉘コントの後継者、特に経験批判論者や論理学派は、科学が取り組まねばならない単なる諸現象と本質的なものとの間にある相違がその中でほとんど生じないような彼の神学を純化した。しかし、この理論を無価値にすることは、異なる方法によって効力が現れる。事実、ウィトゲンシュタインは彼の余す所なく支配的である『論理哲学論考』の中で次のことを明らかにしている。すなわち、「あらゆる可能的で科学的な問いが解かれたところで、我々の生の問題にはなおも全く関係がない。そして、言うまでもなく問いはほとんど残らず、この問の答えなども存在しないのだ…。無論、表現不可能なものは存在する。表現不可能なものは、神秘的なものが存在することを示してくれる」と。また、唯物論は上記で詳説したように、生の問題が純粋に理論的に解答可能だとは決して信じていないが、唯物論によれば、他の方法によって「生の意味が長い疑念の後で明らかになりうる」こともまた、考えられないのだ。―このように実体化すると―「神秘的なもの」も「生の意味」も存在しないのである。

㉙唯物論が実証主義の教義と共通しているのは、感覚的経験においてそれ自身を証明するものだけを実在と認めるということである。唯物論の発生以来、唯物論は感覚論を自己の内に含んでいる。「我々が精神の中に見るものは、あらゆるその結果を感覚的な知覚から手に入れる」とエピクロスは述べた。「もし汝があらゆる感覚的な知覚を拒むのならば、もはや汝がそういった知覚が偽であるという主張をするまさにそのことについての判断を拠り所にして関係するものをもまた、何も持ち得ることはない」。

㉚唯物論は、こうした認識理論的な教説を自身の歴史の間ずっと維持してきた。この教説は教条的な諸概念に反対する批判的論拠として唯物論に仕えている。あらゆる主張は感覚的経験の中で証明されねばならない。しかし唯物論は感覚論を絶対視しない。感覚的なものを通じてあらゆる実存の証拠を主張することは、この主張それ自身が歴史学的プロセスの中で変化することがないこと、もしくはますますこの主張の諸要素が世界の確固たる土台として見做されうるということを意味しない。感覚的な経験を通じて得た証拠が、その都度必然的に同時に実存論的判断を基礎付けることの一部になるのならば、感覚的経験は世界の恒常的な諸要素との一致には程遠いことになる。ただし、理論が常に単なる感覚的なものよりも豊富であり、完全に知覚に還元されえないのなら、話は別である。心理学の最新の発展以後、世界ないし心理的生でさえ、それらの原始の構成要素が存在しているというつもりは全く無いが、諸知覚はむしろ最初でさえ複雑な抽象的プロセスによってその都度、派生物としての形態的心理的な形象の破壊から獲得されうるということは、決して我々の感覚的なものの性質を永遠のものとしてはならない。この性質は「主観」の関係と同様にいくつかの「所与」にもたらされるし、変化しうる。すでに現実の内部には個々の主観を確定することの間にある衝突が存在し、この衝突は単なる多数決によって調停されることは決してなく、理論の助けでもって調停されるのだ。感覚的な諸体験は認識の基盤を作り出し、至るところで我々はそうした基盤に指示されているが、認識を発生させ条件付けることは同時に世界を発生させ条件付けることではない。

㉛事実、実証主義的思潮は唯物論に反対するほとんどすべての異なる哲学的思潮と調和しているのだが、この実証主義的思潮は言うまでもなく、今しがた議論された相違と関連しているだけでなく、欲望についての唯物論的な教説とも関連している。唯物論に従った行為が必然的に究極の絶対的なテーゼから決して導かれないということを示そうとした。確かに唯物論者は、自身の決断を根拠あるものにするためにその都度、多かれ少なかれ普遍的な事態を指し示そうとしているが、次のことを見逃してはいない。つまり、唯物論者によって先導された規則の根拠を我々が前提条件として仮定することでさえ、心理学的な決定と同じように心理学的な状況のもとでのみ期待されねばならないということを見逃していないのである。この状況はそれ自身、こうした状況の社会的個人的諸条件を保持しており、歴史的なものとなっていた。加えて、それゆえに必然的なものとしての一定の行為は、実際の心理的構造を考慮することなく規定された認識の妥当性から導き出されては決してならない。このような唯物論的な物の見方というのは、形而上学的に基礎づけられつつある道徳を拒絶するための否定的な条件を単に保持しているのではなく、人間の死が自身の幸福の後で自然的かつ正当化を必要としない事実として認められねばならないと述べる唯物論者たちによって常に理解されてきた。愚直で経済的な心理学だけがどの程度まで卓越して幸福の後の死を、大雑把な物質的欲求を保護するという意味の中で理解できていたのかということは、エーリッヒ・フロムの著作によって立ち入った説明がなされている。個人と同様に固有の社会的集団による異なった社会諸形式における欲求の構造は変わりうるし、この構造は特定の時代と具体的状況を顧慮してのみ描かれうる。唯物論的なものの見方がもたらす既知と未知との闘争、しかし数千年来異なる目標が故に大抵は苦しむ人間・自由・生とともに連帯から失われてしまった闘争は、次のことを示している。すなわち、自分の身体の健康についての不安が、あらゆる他の思考の方向性よりかはこのような(唯物論的な)思考の方向性と密接に結びついていない、ということである。観念論的な形而上学の幻影を拒絶することによって、この闘争は永遠性における個人の賃金のあらゆる見込み、すなわち、いつもは有効である重要でエゴイスティックな衝動を奪われてしまった。人類の諸利害関心に沿った闘争の純粋な献身から、あの衝動によって露わにされた唯物論的な信条との矛盾をでっちあげようと、常に繰り返される試みはあらゆる哲学的な道理を欠いている。そうした誤解を招く単純な心理学、たいてい絶対的な道徳を憂慮している教説を根底に置く心理学が理由で、今日、唯物論はあらゆる人間が幸福の後に死ぬことを正しく述べ、彼らが欲望の後に死ぬことを述べていない。また、あらゆる人間は自身に欲望をもたらすものよりもわずかにしか自身の欲望を念頭に置いていない。そして、あらゆる心理学は、ヘーゲルがいわゆる精神的な物について述べたように「快楽のためではなく、つまり個人としての自分との関係の絶え間ない反映でもって、事象としての自分」を気に掛けるための単純な諸物にさえ慣れてしまっている。しかし唯物論は、幸福と欲望の間の相違を作り出すのは、欲望の静寂が「より高尚な」動機とは対照に、基礎づけや弁明もしくは正当化を必要としていたからということを拒絶する。最後の欲望の静寂は特定の社会において特定の諸行為にとって目的にかないうるのであるが、それは、それ自身で仮定されいつでも手許にある権威を顧慮してのみであって、無条件の秩序の基盤を顧慮してではない。人間が「基本的な欲望と非欲望の反応」によって決定されるということは、場合によってはそれほど的を射た心理的描写ではないのかもしれないが、観念論的な精神の在りようとは対照的に唯物論は憤慨していない、あの事態への良き暗示ではある。また、ヘーゲルといった単独かつ観念論的な哲学者がその点で唯物論と完全に一致しているにもかかわらず、この点は次のことへの動機よりもより良く作用し、世界の意味解釈の誤りと結びついている。すなわち、上下に完全に対置された見解は、唯物論を常に繰り返し物質の完結した現実についての見るからに弱い形而上学的テーゼに移し替え、次いでその唯物論を容易い苦労でもって論駁することへの動機である。

㉜現在の唯物論はとりわけ、観念論的な形而上学の向こう側で際立たせられうる形式的な諸系列によって特徴づけられるのではなく、唯物論(そのものの)内容、つまり社会の経済的理論によって特徴づけられる。こうした内容からあらゆる諸形式を抽象することによってはじめて、あの諸系列は今日重要な符号としての過去の見方にそって歩み出てくる。それゆえ、異なった唯物論的な教説は、強固な理念の一例ではない。社会と歴史についての経済的理論は純粋に理論的な動因から理解されるのではなく、現在の社会を把握する必要性から理解されるのだ。というのも、こうした社会というのは、常に多数の人間を普遍的な富に基づいて経済的諸力についての起こり得る幸福から遮断することへと達しているからである。そのこととの連関において、今日支配的な現実に由来するより良き現実の表象も生じてくるし、こうした推移は現在の理論と実践の理論になる。それゆえ、唯物論にはいくつかの理念的なものが欠けているというわけではない。これら理念的なものは普遍性の要求に由来しているものを決定し、明白な未来の中で手許にある人間の諸力でもって可能せしめるものに沿って測られる。しかし唯物論は、歴史のいくつかの理念的なもの、したがって現在のいくつもの理念的なものを人間から独立した理念として根底に置くことを断念する。観念論の努力は理念よりも歴史に名誉を与えるのである。つまり、人間がいくつかの理念的なものを、単なる仮に基礎づけられた諸表象から現実にもたらすことに取り組む限り、理念的なものは動力になる。しかし、歴史それ自身は今まで諸闘争の模範が存在することの追求を止めたことがない。理念的なものが実現するかもしれないということを顧慮したとしても唯物論は次のことを断念している。つまり、「これまで起き、現在起きていること、つまり二度とないもの、偶然のものそして一時的なもの…これらを大いに役立ち有意味な連関に」再び適用すること、そして同様に精神史をも断念している。それゆえ、唯物論は形而上学一般と同様にこのような精神史によっても理解されうることは殆ど無いだろう。



ディルタイ全集8, 1931.

Ibid.

Ibid.

Ibid.

カール・ヤスパース『世界観の心理学』1919.

ディルタイ, ibid.

Cf. ルードヴィヒ・ブフナー『世紀末について』1898; ラオール・リヒター『哲学入門』1920; ヘルマン・コーエン『哲学・現代史論文集』1928; u. v. a.

フリードリヒ・アルベルト・ランゲ『唯物論の歴史』1877.

デュ・ボア=レモンの言葉, 1886.

オズワルド・クェルッペ『現実化』1923.

エーリッヒ・ベッヒャー「認識理論と形而上学」『固有の領域における哲学』1925.

ヴィルヘルム・ヴィンデルバンド『哲学入門』1923.

ヴィルヘルム・イェルサレム『哲学入門』1923.

ニコライ・ハルトマン『認識形而上学の根本特性』1921.

マックス・アルバー『唯物論的歴史解釈の手引き』1930.

カール・ヤスパース『哲学』1932.

ヴィルヘルム・ヴィンデルバンド, ibid.

エーリッヒ・アディケス『自己表現における現在のドイツ哲学』1921, 所収.

ディルタイ, ibid.

Ibid.

ヘーゲル『哲学的科学のエンチクロペディー 第三版』1830, §6.

マックス・シェーラー『人間における永遠なるもの』1921.

ディルタイ, ibid.

カント『純粋理性批判』「純粋理性のカノン(基準)」B. 834.

Ibid. B. 833.

トマス・ホッブズ『哲学の根本特徴 身体に関する教説』1915.

マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』1932.

マックス・シェーラー『知識形態と社会』1926.

Ibid.

カント『純粋理性批判』第二版.

ヤスパース『哲学』Bd. Ⅱ, 1932.

マルティン・ハイデッガー『存在と時間』1927.

Cf. ヘルマン・コーエン『純粋認識の論理』1914.

カント『純粋理性批判』A版.

カント『判断力批判』アカデミー版.

カント『純粋理性批判』A. 35.

Ibid., B. 54. ;脚注

言うまでもなく、この汎神論はしばしば切り離しやすい形として現れる。勇敢なヴァニーニが››Natura, quae Deus est‹‹と書き、括弧書きで››enim principium motus‹‹と付け加えたように(De admirandis naturae reginae deaque mortalium arcanis, 1616)。

ディルタイ, ibid.

マックス・シェーラー『知識形態と社会』, ibid.

ゲオルグ・ミッシュの論文参照; 「フランス実証主義の発生によせて」『哲学史論叢』

オーギュスト・コント『実証精神講義』1909, パリ.

Cf. エルンスト・マッハ『知覚の分析』1922; 『認識と錯誤』1920.

エルンスト・マッハ『知覚の分析』ibid.

略.

オーギュスト・コント『実証哲学講義』1893.

ジョン・スチュアート・ミル『演繹的論理と帰納的論理の体系』J. Schiel訳, 1862.

ヘーゲルが1818年10月22日にベルリンでの講演の冒頭で語った言葉: 『全集』bd. 8, 1929.

ヘーゲル『哲学的科学のエンチクロペディー 第三版』1830, §60.

オーギュスト・コント『実証精神講義』ibid.

オーギュスト・コント『実証的精神講義』ibid.

アンリ・ベルクソン「魂と身体」『現代の唯物論』.

ハンス・ドリッシュ『有機物の哲学』1921.

アンリ・ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』1932.

ヘルマン・コーエン『純粋認識の論理』1914.

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』1922.

Ibid.

エピクロス『ソクラテス以後』Nestle訳, 1923.

Ibid.

略.

ヘーゲル『歴史哲学講義』1941.

ディルタイ『全集』bd. 7, 1927.

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