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その瞬間と、未来と過去と

その瞬間にしか感じられないこと


タイミング、というものは、わたしが思っているよりもずっと大切なものらしい。

ある年ある月ある日のわたし、その瞬間にだけに共鳴するものがある。

わたしはずっとピアノを習ってきたから、こういうことはピアノ作品で考えることが多い。

去年は「きれいな曲だな」という程度に思っていた曲が、今年聴くと胸がえぐられて暫く立ち直れないくらいのショックを与えてくることがある。

逆に、去年は深く感銘を受けて涙が出たほどの曲を、どうしてか今年はうまく受け取れないな、ということもある。

そうして、受け止めたり、受け止められなかったりを何度も繰り返しながら、ひとつの音楽作品はわたしの人生に深く根を下ろすことになる。

深く感じ入ったときには、どうにかこの感覚を忘れないようにしたい、と思って、一生懸命言葉に残すことがある。だけど、そのときの感情を生のまま残すことは、どう足掻いても不可能だ。

ソナタ形式と、未来と過去

クラシック音楽には、「ソナタ形式」というものがある。ごく簡単に言うと、最初に主題(メロディのようなもの)が出てくる。次に、その主題が展開(ぱっと広がったり、影がさしたり、荒々しくうねったり)していく。最後に、最初の主題が戻ってくる、という構成だ。

最初のテーマと最後のテーマはほとんど同じものなのだけど、最後にテーマが再現されたときには、遠い懐かしさのようなものを感じたり、興奮のあまりぶわっと鳥肌がたったりする。

なぜこんなことが起こるのかというと、最後に再現されたテーマを聴いているわたしはもう最初のわたしとは違う自分になっているから、だと思う。

平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」に、こんなパッセージがあるのを思い出したので、最後に記しておく。

展開を通じて、そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。そうすると、もうそのテーマ(注:主題)は、最初と同じようには聞こえない。花の姿を知らないまま眺めた蕾は、知ってからは、振り返った記憶の中で、もう同じ蕾じゃない。音楽は、未来に向かって一直線に前進するだけじゃなくて、絶えずこんなふうに、過去に向かっても広がっていく。
(中略)
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

平野啓一郎「マチネの終わりに」より

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