見出し画像

ああ、豊かな読書時間

よく、読書は豊かなものだと言われる。
それはもう言われすぎて、もはや紋切り型の常套句のようなものになってしまっており、私なんかはその言説に反発すら覚えるようになってしまったのだが、それでもやはり読書というものは豊かだなあ、と思うときがたびたびある。
最近、特にそれを感じた読書体験が2つ続いたので、この文章を書いている。

1冊目は『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』。
仕事がほとほと嫌になってしまった記者が、パリの有名書店「シェイクスピア&カンパニー書店」で過ごした日々を綴った、ノンフィクションの青春物語である。
私は普段、海外文学をあまり読まない。
独特な言い回しや、文化の違いなどから、なかなか物語に入り込めないからだ。
この本も例外ではなく、厚くもない文庫本にも関わらず、読むのに2週間ほどかかってしまった。

それでも、少しずつこの本のページをめくっていく時間は、私にとってとても豊かなものだった。
行ったことのないパリに思いを馳せ、主人公と友人のやりとりに心が熱くなり、86歳の書店主の恋のゆくえにハラハラした。
約20年前、カナダ人の著者がパリの書店について書いたものを、2024年に日本人の私が日本で読む。
時代や場所や文化に違いがあって読みづらいかもしれないが、だからこそ通じる部分には感動を覚える。
海外文学しかり、古典しかり、「違いがある」ということが、豊かさの土台なのかもしれない。

『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』の後に読んだのが、『長い読書』。
「夏葉社」という出版社の代表、島田潤一郎さんが本を読むことについて書いた本である。
私は夏葉社の本が好きだし、島田潤一郎さんが書いた本も『古くてあたらしい仕事』『あしたから出版社』と読んできており、新しく出るこの本を楽しみにしていた。
そしていよいよ『長い読書』を手に入れた私は、何日かかけて少しずつ読んでいったのだが、その間は決まって夜の22時くらいにページを開いた。
町が寝静まったような時間にラジオをかけながらこの本を読むのは、一日のごほうびのようだった。

本の内容はそれこそ「豊かな読書」について書かれたもので、このエッセイよりもむしろ『長い読書』の方を読んでほしいくらいなのだが、私の読書体験をより豊かにしていたのは本の装丁であった。
みすず書房の白地の表紙、手になじむハードカバーの固さ、電灯の下で単行本の広いページの中に浮かぶ文字たち。
そんな本を手に持って読書をしていると、心がじんわりと充足感で満たされていった。

「読書は豊かなものだ」という言葉が常套句になるほど、読書と豊かさの結びつきは強いのだろう。
ただ、あまりにも簡単に読み進められてしまう本では、豊かさを感じるのは難しいのかもしれない。
それよりも、自分がちょっと背伸びをする必要があるような本を読んでいるときの方が豊かさを感じられ、心に残る読書体験になるのだと思う。

せっかくなので最後に、『長い読書』の一文を紹介したい。

朝、目覚めてパンを食べ、歯磨きをし、それから仕事に出かける。いろんなひとに挨拶をし、立ち話をし、打ち合わせをする。メールをチェックし、折り返しの電話をかけ、書類をととのえる。そうした時間のずっと奥のほうには、昨日読んだ本の思い出がある。

『長い読書』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?