第2回 国民に預貯金させる必要性

明治時代や戦後の日本は、国民に預貯金をさせる必要がありました。
これはマクロ経済を学んだことがある人には、自明の理だと思います。

マクロ経済学には、「三面等価の原則」というものがあります。
三面等価の原則とは、国民所得には生産面、支出面、分配面の三つの側面があり、それぞれが常に等しいという原則のことです。

生産面の国民所得とは、主にGDP(国内総生産)のことです。
支出面の国民所得とは、企業や国民のお金の使い方のことです。
これを数式風にすると、『消費(C)+投資(I)+政府支出(G)+(輸出(X)-輸入(M))』になります。
分配面の国民所得とは、企業や国民へお金が分配された後の使い方です。
これを数式風にすると、『消費(C)+貯蓄(S)+税金(T)』となります。

三面等価ということは、当然、「生産面=分配面」が成り立つはずです。
すると、次の公式が成り立ちます。
消費(C)+投資(I)+政府支出(G)+(輸出(X)-輸入(M))=消費(C)+貯蓄(S)+税金(T)
まず、両辺から消費(C)をマイナスします。
投資(I)+政府支出(G)+(輸出(X)-輸入(M))=貯蓄(S)+税金(T)
次に、政府支出(G)は税金(T)を原資としているので同額のはずですから、消費(C)と同じようにマイナスします。
投資(I)+ (輸出(X)-輸入(M))=貯蓄(S)
最後に、日本の輸出入ですが、日本のGDPが2,000兆円に対して、貿易赤字は20兆円と微々たるものですので無視します。
そうなると、「投資(I)=貯蓄(S)」の等式が成りたつのです。

ただ、ここで言う「貯蓄(S)」は、前回で定義された貯蓄ではなく、分配面の数式風を見ても分かるように、国民が給与として受け取り、税金を天引きされた手取り額のうち、遣わなかった残りの額のことです。
つまり、前回の定義で言えば、国民の「貯蓄+投資」が、マクロ経済学の「貯蓄(S)」になる訳です。

そして、マクロ経済学で言うところの投資とは、主に企業や国が実施する「設備投資」のことです。
将来に大きな利潤を生み出すように、必要な設備を買い入れることをいう訳です。

明治初期や戦後、日本は技術的に欧米列強に大きく後れをとっていたため、「追いつけ、追い越せ」を掛け声に日本を発展させようとしました。
そのため、より効率的に投資を行うためには、国民それぞれ自分勝手に投資先を見つけるのではなく、政府が管理して行った方が良いと考えたわけです。
そこで政府は国民に対して、リスクのある投資をするのではなく、安全な預貯金を勧めるというキャンペーンを張って資金を集めました。
そして、集めた多額の預貯金は、政府主導で投資に回されました。
その結果、明治時代の日本は近代化に成功し、戦後は他国も羨むような復興を成し遂げることができました。

しかし、日本が欧米諸国と肩を並べるような国になった1980年代の終わりに、バブルが崩壊します。
これは、日本の官製経済が崩壊する瞬間でもありました。
日本が後進国であった時は、目標が明確に存在していたために、投資先を探すのも容易でした。
ところが先進国になると、明確な目標が存在しません。
先進国は、自らの力で、未知の世界を開拓し、新しい世界を創造しなければならないのです。

米国が発明した自動車を真似て、改良、発展させることは目標として明確です。
しかし、自動車に代わる新しい乗り物を考えるとなれば、簡単ではありません。
つまりこの頃から、日本政府は新しい投資先を見つけることができなくなった訳です。

新しい投資先が見つからないと、預貯金が余ってきます。
預貯金が余ると、金利を下げて預貯金をさせず、自分で投資をさせようとします。
前回説明した利子率の理論と同じです。
ところが日本政府が打ち出した安全神話とバブル崩壊の痛手で、日本人は自分でリスクを取って投資することを躊躇する国民になってしまいました。
その結果、金利が殆ど「0」になっているにも関わらず、未だに預貯金する人が圧倒的に多いわけです。

政府は今年から、NISAを拡充しました。
国民に対して、預貯金から投資へシフトするように促しています。
タイミングとして非常に遅すぎます。
これは財務省を中心とした既存の金融関係の利権者が、既得権を減らしたくないというエゴの結果です。
今でも問題となっている条件を満たしているのに、ガソリン減税が実施されないのと同じです。
今後も日本国は、このようなしがらみの中で衰退していきます。
自分がその衰退に巻き込まれたくないなら、日本国に頼るのではなく、自分の力で生き抜く術を身に着けるしかありません。

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