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【ジャンププラス原作大賞 連載部門 応募作】「メカニック・ファイバー」第3話 野望(3,999字)

「父さん…も、申し訳ございません。作戦は失敗しました。例の部屋で、想定外の男と遭って、その…拘束されてしまいました。名乗るよう言われ、『虹坂 天』だと告げると、『ここでは殺さないから出て行け』と…」
「あん?それでのこのこ逃げ帰ってきたって言うのか?たわけが!!!」

染爾の奥深い声が、再び社長室に鳴り響く。テンは後頭部でそれを受け止め、更に身体を小さくした。

「テン、お前のバカは本当にどうしようもないな。だが、黒澤はワシらが攻めたからと言って動じるようなタマでない。今回の件に関しては、反撃を恐れる必要はないだろう」

染爾の言葉に、テンはもちろん、他の子ども達の後ろ姿も明らかに安堵していた。

「しかしだ、状況は変わった!一刻も早くアイツの手の内を暴かねばならぬ!もうこれ以上、悠長なことはしてられんのだ!!」

安堵できたのも一寸だけだった。打って変わって、染爾が本日1番の大声を張り上げたので、その場にいた全員が思わず顔を上げた。

「今日の役員会で、黒澤繊維がKNSケミカルと合併することを発表した!新しい社名は『黒澤ケミカル』!事実上の吸収合併だ!!!」

染爾の口から放たれた情報は、一同を仰天させた。特にコットンは、開いた口が塞がらない様子で、跪いたまま頭を抱えていた。

「と、父様…それは、つまり…」
「黒澤は繊維産業に見切りをつけた…ワシらを裏切ったんだよ!黒澤の野郎は昔からいけ好かねぇが、アイツらなしの繊維産業なんぞ泥船だ!それを分かってて、アイツは他の船を選んだんだ!!!」


黒澤繊維は、創業時より繊維業界のNo.1企業として成長してきた。2000年代には「環境配慮型繊維」や「資源循環型繊維」の開発が業界全体の宿命となり、それを黒澤繊維の牽引の元、一丸となって取り組んできた歴史があった。今ではアパレル・アウトドア製品は石油由来から植物由来原料へと完全にシフトし、業界としてカーボンニュートラルを達成したことで、国から多額の助成金を受け取るほどに評価されたのだった。しかし、繊維そのものの消費量低下や生産コストの安い国からの輸入など、以前から苦しい時代が続いており、その実態は助成金なしでは産業として成り立たなくなっていた。

そんな中、黒澤繊維が「繊維」の名を下げ、主に化学工業製品や電気機械の製造を行っているKNSケミカルと合併すると言うのだ。役員会では、染爾を筆頭に各社のトップが猛反発したようだった。

「黒澤さん!合併とは、一体どういうことです?!」
「どういうことも何も、合併するのです。弊社とKNSケミカル社は。既に取締役会、株主総会でも決議したことです」
「違う、そんなことは分かってらぁ!これから繊維産業はどうすんだ?化学工業に舵を切るってのか?」
「うむ、それは早合点ですね。弊社はこれからも繊維メーカーとして成長を続けますし、私はフリーデン繊維産業連盟の会長を退くつもりはありません。元来、化学繊維の開発は、我々の業界だけの話ではないでしょう」

黒澤繊維の社長であり、フリーデン繊維産業連盟の会長でもある黒澤 智栄ちえいがそう説くと、その場は一度静まり返った。智栄はその沈黙を破り、役員会を締めた。

「本日、私からお話できることは以上です。ここでの発表に合わせて、プレスリリースも配信しましたので。納得できるもできないも一企業の経営方針ですから、その必要があるとは思えませんが…追々、説明できればと考えております。では、これにて」


染爾から役員会の様子を聞かされ、コットンは再び癇癪を起こしていた。ウールは肩に留まっているカラスのエメに、赤ちゃん言葉で今聞いたことを繰り返している。シルクは合点がいったようで、ボソボソと呟いていた。

「そうよ、そうだわ…だから黄野瀬 人絹は執事なんかをやっているのよ…経営権は黒澤が持つのだから…」

テンは驚きの余り、放心状態だった。

(業界の事情や黒澤社長の動きが怪しいことを聞いてはいたけど…まさか繊維産業からの離脱を考えていたなんて…いや、まだ完全にそうと決まった訳ではないけど…でも…)

コットンが床に寝そべり、泣き叫び始めた頃、染爾は両拳でデスクの机を叩いた。

ドンッ

「静まれ!」

シルクとウールとテンは、再び染爾に注目する。コットンは、ひっくり返ったままだったが、一応声を出すのは止めたようだ。

「ところで、ワシはお前達に命じたはずだな。黒澤繊維の機密情報を掴め、と。黒澤の動きがどうも臭う、と…。それが3ヶ月かけて収穫ゼロ…況してやその間に『吸収合併』という先手を打たれるとは…」

染爾に睨まれ、テンはゴクリと唾を飲んだ。

「ワシにとって、この会社は宝だ。お前達にとってもそのはずだろう。今の生活ができているのは、この会社がうまく回っているからだ。だが…黒澤繊維が他所を向くなら話は違う。悔しいが、黒澤あっての業界だからなぁ。そして何より、長年ともに闘ってきた我々を裏切るような行為は、断じて許さん!これからは、ワシら虹坂テキスタイルズが繊維産業を牽引するのだ!」

染爾の熱の篭った宣言に、一同は魅せられていた。

「しかし、今のままでは黒澤の代わりになどなれん!だから今、お前達に改めて命ずる!黒澤繊維、いや、黒澤ケミカルの機密情報を掴め!ヤツらを完全に叩きのめし、繊維業界のトップに立つのだ!」

染爾は一呼吸置き、子ども達に最も重要なことを伝える。

「1ヶ月だ。あと1ヶ月で黒澤の手の内を暴け!暴くことができた者を、正式に虹坂テキスタイルズの35代社長に任命する!!!」

「「「「な、なんだって!?!?!?」」」」

子ども達は一斉に驚嘆の声を上げた。これまで、後継者について染爾が明言したことはなかったからだ。コットンは突然床に放ったケースからバイオリンを取り出し、演奏を始めた。コットンにとって、音楽はクールダウンをしたり考えごとをしたりする時に必須の手段だった。

「父様、本当ですか?その、黒澤の機密データを入手すれば、後継者にすると…?」
「父ちゃぁん、それってそれってぇ…羊ちゃんを全部買い占めても良いんだよねぇ〜?」
「そうだ。今の黒澤を潰し、越えることがワシの本望だ。叶えた者にはそれくらい、当然だろう」

シルクとウールがもう一度染爾に確認すると、染爾はしたり顔で認めた。テンはそのやり取りを見ながら、心拍数が急激に上がるのを感じていた。

(もしかして、これはチャンスじゃないか?兄さん・姉さんより先に情報を掴んで社長になれば、俺だって…)

「父さん!」

テンは再び跪くと、勢いのままに言い切った。

「必ず、俺が黒澤ケミカルの秘密を暴いてみせます!そして俺が、この会社を継ぎます!!!」
(俺だって、父さんに、兄さん•姉さんに、認めてもらえるかも知れない!)

突然のテンの決意表明に、ウールは大声で笑い、シルクは鼻で笑って応えた。

「あはははは~、テンちゃん、格好良い~!」
「ふん、その威勢が良いところは嫌いじゃないよ」
「テン、お前に何か出来るか知らんが…その言葉、しかと聞いたからな」

染爾は相変わらず鋭い目つきをしていたが、その口元は緩んでいるように見えた。

「それにしても、テン。僕達の力を借りた挙句、渾身の知恵を絞った作戦を失敗したばかりじゃないか。どうやって機密データを見つけるって言うんだい?」

一頻りバイオリンを弾いたコットンが、顎当てに顎を乗せたまま、テンに問いかける。

「そ、それは……今から、考え、ます…」




植木帯の生垣の傍らに座り込み、テンは溜息をついていた。社長室では次期社長になると豪語していたものの、次の策は皆無だった。

(うううう…俺はコットン兄さんみたいに画期的な策を思いついたり科学に頼ったり出来ないし、シルク姉さんみたいにIT技術も無ければ潜入調査も出来ないし、ウール姉さんみたいに自分の思い通りに動いてくれる相棒達もいない…。皆、次期社長になることを夢見てここまで来てるから、完全に個人戦になっちゃったな…。結局俺に出来ることなんて、22世紀になったってこんな原始的な方法だけか…)

テンの言う原始的な方法とは「足で稼ぐこと」だった。テンはあの日以来、毎日のように黒澤邸を訪れ、ひたすら観察を続けている。黒澤邸はテンが侵入して以来、警備が厳しくなったようで、外壁の上に電気柵が設けられ、監視用のドローンが4台ほど飛んでいた。テンは、ドローンに見つからないよう、生垣の陰や街路樹に登り、生い茂る枝葉に隠れるので必死だった。しかし、それも何日か通うと、使用人や渦中の黒澤社長など、黒澤邸を出入りする人物の行動パターンが、少しずつ見えてきた。

(ええっと、もう9時過ぎてるから社長は既に出社してるはずで、使用人達が10時頃から買い物に…と、うん?)

本来ならこの時間帯は穏やかな時が流れているはずだ。しかし今、テンの目の前では、黒澤邸の鉄の柵の門が開き、地面に散った桜の花弁が、再び風で巻き上げられて舞っている。出てきたのは、初めて見る女性だった。長い黒髪を靡かせながら、颯爽と歩き出す。サラサラの黒髪から覗いた瞳は、熟したブラックオリーブのようにツヤツヤしていた。その女性のすぐ後ろには、執事の黄野瀬が付いており、丘を下る方向へと2人で向かっていた。女性の背丈は160cmほどに見え、その服装は…

(う、うちの高校の制服!?!?)

黒澤夫妻には子どもがいないことで有名だった。だから、テンの「侵入した時に子ども部屋を見た」という証言は、兄姉達に全く聞き入れてもらえなかったのだ。

(あの子が何者なのか分からないけど…これは大手柄では?あの子に近づけば…何か分かるかも知れない!!)

テンは生垣の陰で、静かにガッツポーズをした。

(早速、追いかけよう!でも、なんで制服?……って、今日、始業式だった!!!)

テンは走りたい気持ちを抑え、自分も制服を取りにひっそりと帰路に就いた。

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