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商業化された食べ物を食べたくなる時~日本の経済構造について考えてみた~【タイ移住日記2024/05/15-19】 


スモールビジネスが多い

チェンマイに来て思うのは、個人商店、個人経営の店の多さ。これは見方によっては、ビッグビジネスが育っていないとも言えるだろうし、逆にスモールビジネスが生き残っているともいえる。

私はスモールビジネスがたくさんあるほうが豊かだと思う。そこにはお金だけでつながれていない、人のつながりがある。

例えばエアコン掃除を頼むとき。私は最近引っ越したのだが、引っ越した先のエアコンがめちゃめちゃカビ臭い。カバーを外して中を確認してみると、掃除はされているようだが、その作業をしただけでずっとくしゃみをしている。私はカビアレルギーなのだ。タイの4月・5月は夏なので(学生は5月・6月から学校が始まるが、それまでの間は「夏休み」といっていた)、外を歩けば火炎放射されているかのような暑さ。スマホで気温を調べると余裕で40度を超えている。ただ、雨が降った後でなければ湿度は低いので、日本のあのじとーっとした気持ち悪い暑さではない。火であぶられているような感じ。タイ名物のガイヤーンになってしまいそうだ。チキンな私にはぴったり。

そんな暑さなので、エアコンは欠かせないのだが、つけるとカビが放出され続けるので、私はもうたまったもんじゃない。しかし忙しすぎて業者を呼ぶ時間もないので、我慢して鼻炎薬を飲んで過ごしていた。しかし、薬を飲みすぎるのもよくないのでオーナーに連絡して手配してもらった。そういう時日本なら企業に依頼して、そこに所属している作業員がくることが多いと思うが、チェンマイでは個人業者。オーナーが当日の連絡用にLINEを送ってきた。バンコクのような大都市では違うかもしれない。

でも大衆化された商業化されたものも

でもそんな社会でもしっかり、マクドナルド、KFC、スターバックス、バーガーキング、もろもろある。

値段が個人経営のレストラン(ここでは大チェーンを想定してこういう言い方をします)などで食べるより少し高い。そのため、ファランといわれる、欧米系の人々のお客さんが多い。でもそこまで店内はにぎわっていない。

日本では真逆の現象が起こっているだろう。個人経営店にいくより安くて、どこも混みあっている。日本にいた時、ランチ時間に行くと多くのスーツを着た人たちがバーガーにかぶりつきながら、視線を携帯に向けている。休日に行けば、子供連れの家族がハッピーセットを頼んでワイワイと楽しんでいる。そういった個人経営ではないお店が日本ではズラッと並んでいることが多い。(地方はそもそも店が少なく、駅前などでも個人経営の店より何かしらのチェーン店が入っている)

ジャパニーズカルチャー

ある種、これは日本の文化、社会風景を映している。海外によく行く(今も海外に住んでいるが)私だが、あまり見たことのない光景である。そしてスモールビジネスができると、みんなイベントのように非日常として、そのお店に行く。(海外のチェーン店が東京にできるときもそうだが)

何が言いたいかというと、スモールビジネスが日本では日常的に使われるものではなく、珍しいモノとして非日常体験を生み出す社会的装置になっているということだ。それは単純に数の少なさから来ている。チェンマイに来て思うが、身の回りに個人店ばかりだと、もちろん個人店ばかり行くし、基本的にスタッフは毎回同じなので、自然と顔なじみになる。私のつたないタイ語でも会話をすることで、お互いを認識し、知ることが出来る。ゆるい人間関係ができる。

日本ではどれだけ近くのチェーン店に通っても(個人経営の店がほぼない)、顔なじみになることはない。ああ、あの人前もいたな、という感じだけど、そこには決まった話のながれ(注文)しかなく、人間関係が生まれない。核家族が進み、それをもとに日本社会を形成してきたので、その方が楽だということで、スタンダードはそうなったのだろう。

経済構造は働き方にも影響する

タイ人の話を聞いていると、仕事がなくなったとしても絶望までは到達しない感じがする。それは生活支援制度の気軽さ(オンラインで申請できる気軽さ。もちろん多くはないが、生活する上では必要最低限支援してくれる。期間があるため、いつか仕事を見つけなくてはならないが。)というのもあるし、仕事を自分で作りやすいという働くことへのハードルが低いからだと思う。日本では、「雇われる」というのがスタンダードで、「仕事を作る・人を雇う」側になるのは特権的な人々か、「すごい」人なのだろう。だからこそ、雇われなくなったときは絶望し、それだけで路頭に迷ってしまう。人生が嫌になる。そして労働することすら嫌になる。負のスパイラルだ。

労働に対する敷居をもっと低くしてほしい。
雇われる、つまり、誰かに能力を認められないと働けない今の経済構造だといつかきつくなる。みんな求めすぎだ。いわゆるハードルが高いと思われる企業で働いてみる(働くことができたのはただのラッキー)と、全然すごい人ばかりというわけでもないことが分かる。なんか、経験重視に振り切りすぎている感じ、完全にアメリカに影響を受けているのだろう。そしてグローバル化の影響をもろに受けているが、海外からは日本で働くことに関心が低くなっているので、構造自体が破綻に追い込まれるだろう。働く意欲さえ認められれば経験なんてすぐにカバーできる。ただ、経験だけあっても意欲なんてなければ、会社の悪いところを見つけてしまいその人はすぐに辞めていくだろう。

人のつながりがあれば、ここで働いてみる?というような話になるだろう。人間関係を企業という大きな母体に収斂させてしまったからこそ、最近では「コミュニティ」を求める人々が多くなっているのだろう。日本ではコミュニティは作るものであって、コミュニティができるものではない。人とのゆるめのつながり、しかも多方面でのつながりがあった方が、人間楽に感じるのだろう。


このエッセイをいつもながら個人経営のカフェで書いている。でも今日は初めて来たカフェだ。いつも近くを通っているのに来たことがなかった。とても居心地がいい。また今度も来よう。あと何回通うとあいさつする関係になるだろうか。






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