思考垂れ流し文

ラジオを聞きつつ思う事

最近よく聞いているラジオに、ニュースコネクトがある。あんまり書くとこんな弱小ブログでも恐らく野村さんにエゴサでバレてしまうので、ひそひそと書くのだがw ニュースコネクトの日曜版は「ニュース小話」と言って、大体30分~50分の拡大版で、コンサルタントでなにやらとても凄い人のような塩野さんと一緒に一週間の経済ニュースを見ていくというものなのだが。これがとても面白い。と言うか正直「ニュース小話」しか聞いていないのだが、最新版から含めて今二年前のアーカイブまで遡って聞いているところである。

経済ニュースというよりは恐らく塩野さんの得意領域である地政学的な話が多くなるのだが、地政学の話はかなり集団力学的な話にもなる一方、国の代表の思想が色濃く出る所でもあり、まあなにやら面白い。正直言っている事の半分も理解できている気はしないのだが、ふんふんと聞いているだけで面白い。

一年前のアーカイブ、#48にて、良い経営者がやる事として塩野さんが挙げていたのが、①組織として重要な長期的な課題設定を行いそれに対して自分の代で何をするのかを決めて行っていく②後継者候補を五人くらい作っておく、というのがあって、凄く面白いなと思った。

①に関しては、環境問題や昨今の国際情勢に思う事である。皆それをやった方が良い、たとえばCo2は減らした方が良いとか平和な世の中が良いとか、そんなことは分かっているのだが、そのために持っている国同士のバックグラウンドが違い過ぎて(佐藤優氏はこれを「内在化した論理」と表現していた)なかなかうまくいかない、という事を想起させられたし、

②に関しては、自分の所属するゼミで次期代表みたいなのを決めた際に起きたグダグダやその後のちょっとした顛末を思い起こさせた。
私のような凡人は、組織の後継者は"一人"いれば良いと思っていた。が、そうでなく、五人くらいつくっておけ、と塩野さんは言っていた。塩野さんの意味する所と全然違うかもしれないが、組織としてベースをあげろという所を意味するのかなと私は思った。
前述の通り自分のゼミでも代表者が出来たのだが、代表が出来るとその人に情報が集中するという事がよく起こるようになり、組織としての流動性が、特に業務における流動性が悪くなったな~~と感じるようになった。ゼミの教員が代表にのみ情報を流すため、我々下っ端は代表が流してくれる情報を受け取る感じになり、横一列の関係と言うよりは、視覚的に言うと傘のような関係になったのである。まあ、体系化されたと言っても良いかもしれない。

心理学でいうとリーダーシップ理論は色々あるが、結構何か今までに習った理論の中でもどれにあてはまるか難しい考え方だな~~と思った。強いて言うならライフサイクル理論になるんだろうか。ただ課題達成と人間関係の構築の二つを重視するという意味ではどのリーダーシップ理論にもあてはまり、やはり興味深い。

言葉や態度は全てを表すか

最近、言葉というのはその人を表すなと思うようになった。言葉のチョイス一つとっても、その人の生まれ育った文化や経てきた対人関係を表す。ブロンフェンブレンナーの生態学モデルや、あるいはバートレットの系列再生法・反復再生法の実験を学びながらそう思うようになった。

でもその前から私が気になっていたのが、ノン・ヴァーバル情報の受け取り方である。人と向かい合う時、その人が目線をよく合わせる人なのかどうかとか、そういうのである。

しぐさってその時の情動体験を如実に表すのではないかと思う。まあ何か情動に関する理論を述べる間もなく、情動と生理的反応が関連する事は事実である。嫌いな人と向かい合って話す時に心からリラックスできる人は恐らくいないし、それをセルフコントロール、無意識的な身体レベルでコントロールできる人がいたらその人は何かしらのプロフェッショナルではないかと思う。カウンセラーとは言え、そうした身体反応は抑えがたく出るはずだ。教員と話している時も、教員の体の向きや足の組み方、手の合わせ方を見ていると何となくそう思う。

緊張しているかどうかはその人の手元や足元を見れば分かる。困るような質問をされると、人はどうしても目線を上にあげてしまう。電車での座り方にしたってその人の一側面が出るような気がする。それらは、無意識で、個人で制御しがたいからこそ、面白いのである。言葉では人間は幾らでも嘘をつけるし、見方によっては、人間は嘘を日常生活における可愛げのある方略として常日頃使っている。一方、とっさの仕草にはどうしても本音が出てしまうのではないかと、そんなことを考える。

最近聞いている音楽

franz ferdinandに頭からハマっている。何でかは分からない。。。初期のアルバムしか聞けていないので、他のアルバムも聞きたくなったら聞こうと思う。

中村一義先生の最新曲を聞いてみたのだが、あまりにもピュアピュア過ぎて、しかもかなりJ-POP感が凄くて最初はおお…となったのだが、サビの後半での盛り上がり? っていうんですか? 裏声になるところ? が中村一義感を感じて、良いなあ~~と思いました(感想文)。小山田壮平の新アルバムを聞いた時の、何とも言えない、あ、こっちの路線ね…なるほどなるほど…みたいなそういうのを感じたのを思い出したが、中村先生の新譜の方が好きだなと思った。

小山田壮平の新譜に関しては、andymoriのファーストは求められている事に答えている感があった、というインタビューかを前に読んだことがあるのだが、もし新譜みたいな方向性でやりたいと思っていたんなら、そりゃまあ最後のアルバムで棺に入りたくもなるますよねというか…(ジャケ写ね)。

バンドのファンあるある問題として、ボーカルがソロになった時に音楽の方向性が若干変わって、かつボーカルがバンドの時の音楽性を批判しだしたときに改めてバンドの音楽にどう向き合うかってあるじゃないですか。凄い好きな音楽だったけど、本人は望んでなかったのか! みたいな…。まあでもやはり、良い音楽は良い音楽として変わらず享受したくはありますよね、って個人的に思います。


今日はここらでおしまい! また別の記事で会いましょう。