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日曜夜ご飯に完全栄養食を食べる話

 つい最近、ここ二ヶ月ほど一人暮らしをしている。今のところ、両腕の内に収まる程度の、順調というか、無理のない生活を送れている。
 仕事に行く。二日に一度洗濯をして、可能なら毎日軽くクイックルワイパーで床掃除をする。休日にまとめて買い溜めをする。魚が好きなので、安く魚を買える日は幸運な気持ちで帰る。料理をする日は、四食分ほどまとめて作って冷凍する。
 
 食事は大抵そんな風に、纏めて作った冷凍物を朝のうちに冷蔵庫に移動させ、帰ってくると鍋で解凍して食べる、という風に済ませている。レンジで解凍して、上手く火が回らずガッカリするより、鍋で確実に全体を温めた方が手っ取り早いと感じている。市販の、三、四人分の鍋風の料理をまとめて作れるスープを重宝している。それに、キャベツとキノコ類とにんじんと玉ねぎ、冷凍の鶏団子を入れれば大抵うまくいく。苦手なので、ねぎは入れない。四食分の食事が完成する。ジップロックは手放せない。
 
 生来、特定のものを食べ続けても食べ飽きることがない。けれどそんな夕ご飯の、習慣そのものにも飽きが来て、最近ひとつの例外を取り入れた。日曜日の夜に、完全栄養食と名高いパンを食べることである。BASE BREADだ。コンビニで手に入るため、日曜日の引きこもり防止も兼ねて買いに行く。

 本来、あまりお腹いっぱいに食べるのは好きではない。しかし、以前の
記事で少し話題に出した通り、十代の頃に摂食障害に罹ってしまってから、食欲が上手く抑えられなくなってしまった。食べ物がそこにある限りソワソワとし、食べ続けてしまう。実家を出たのも、ストックしてある食べ物に対する警戒心によるストレスから解放されたかったのが一因だ。一人暮らしを始めて、食べ物関連のストレスは随分と改善されたように思う。
 食事は毎日、三食きっちりちゃんとした「料理」を食べなければいけないと思っていた。今は亡き父方の祖母の教育方針である。食に厳しい人だった。今となっては、その教えのおかげで身体的には若干貧血気味ながらも健康に生活できているのかな、と思う。けれど、その厳格な教えが心の奥でずっと煩わしく、反抗するつもりで、私は日曜の夜を便利で手軽なBASE BREADで済ませる。カロリーメイトや他のものでもいいが、今のところはこれに落ち着いている。祖母に対しては永遠の反抗期を貫く気がしてならない。
 普段おかずを温めたり食器を洗う時間を、絵を描いたりタイピングの練習をする時間に費やして、腹六分目程度の夕食を五分程度で終わらせる。この生活の、この時間がとても幸せだ。美味しいけれど、味気なくて、お腹も心もあっさりと軽い。その為か、夕食のためにテーブルに腰を落ち着ける時間が短く済み、次のお風呂に入ったり月曜日である明日に向けた準備をする流れにスムーズに進める。

 食事は一種の「儀式」であると感じる。共に食卓を囲む人との、或いは日常を整える為の自分との、時間を共にするための儀式。
 日曜の夜くらいはその儀式をさっさと切り上げて、胃もたれとは無縁に重要な週明けに備える。この休日の終え方が、今の私の一番性に合った過ごし方である。
 日曜の夜を楽しみに、平日はジップロックの中の料理を鍋で温め、皿に移し、平らげ、食器とシンクを洗う。贅沢をするより手抜きをする方がご褒美になるのだから、我ながら省エネな人間だなあと思っている。