ロジカル思考のライターこそ、「自己表現」を磨くべき理由
たまには、本業のライターにも触れた記事を書いてみようか。
というわけで。
僕は、ランキングやおすすめ記事なんかをメインに取り扱う、SEOライターをしています。
平たく言えば、ググって上に表示されるような記事を書いてて。
なんか、固いよね~。わかる。
◇◇◇
最近、noteとおすすめ記事の執筆って、対局だなーって思うことが多くて。ちなみに僕は普段、かなりザックリ、こんなイメージで文章を書いています。
・note
→ 主人公は、自分の経験
・SEO
→ 主人公は、紹介するモノや人
とはいえ、noteも自分語りばかりだと全く読まれないから、この表現が適切かは微妙なんだけど。(細かいことは、いったんスルーで。)
SEOのライティングで「自己表現」が求められることって、ほとんどないのでは?と個人的には思っています。
じゃあ、SEOライターはロジック的な書き方だけ練習すべきかと聞かれれば。
そんなこともないと思う。
「自己表現」が求められないSEOライターだからこそ、自己表現を磨くことに意味があるはずだと、最近は思ってます。というのも、noteを書き始めてからSEO記事を書くときの思考がクリアになった感覚があるんですよね。
たぶんだけど。
感情と情報の線引きが少しずつハッキリしはじめているからかな。noteをここまで続けてみて、読者の感じ方への理解が少しだけ、深まった気がしていて。
こういう要素の輪郭が、イメージ的に前よりハッキリした気がする。SEO記事の執筆でピンとこなかった、「共感」や「意外性」への理解が一気に深まったような感じ。
◇◇◇
例えば、中華料理って、「日本人好みにアレンジされた中国の料理」のことらしくて。
厳密には、中国の料理を「中国料理」と呼ぶそう。
今、「中国料理作って!」なんて言われたら。
…ちょっと、戸惑いません?笑
「中華料理」と「中国料理」の境目って、曖昧じゃないですか。
でも、違いをハッキリ知っていれば「中華料理」と「中国料理」も、迷わず作りはじめられるようになるはずなんです。
SEO記事にも、読者を引き込むための「共感」や「意外性」は少なからず求められるから。
「共感」や「意外性」を取り入れるときの迷いが消えて、SEO記事を書くときの思考がクリアになったのだろうと、考察してみた。
共感や意外性がないシンプルな記事でも、省くべき内容がハッキリしてくる。
◇◇◇
と、まぁ、ここまでは読み進めてもらうためのお膳立て。
正味、言いたいことはコレに尽きる。
みんな、自由に表現するメディアを持とう。
SEOライターはとくに、普段自分を押さえ込んで(?)文章書いてる分、自己表現がストレス発散になって。
さらに、SEO記事を書くときの思考がクリアになる。
やらない手は、ない。
やりたいことを、自由に表現できるって、素敵。
小説とかエッセイとか、自由に書こうぜ。
noteは、いいぞ。
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