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連想の楽しさはブロック遊びに似ている

昨晩は、とある大学教授の方と食事をしたのですが、その博覧強記ぶりに舌をまきました。
AIのトレンドが変わりつつある話とか。
ポルトガルのブラギーニャがハワイでウクレレになっていく歴史とか。
ベラスケスが描いたフィリピンの修道女の絵がある話とかとか……

連想につぐ連想は、背景が一変する巨大な舞台装置を見ているようでした 😊


ところで、人がものごとを認識する方法は、2種類あります。
1つは、「あれとこれは違う」という『差』を見る方法。
もう1つは、「あれとこれは同じ(あるいは似ている)」という『和』を見る方法です。

どちらにも利点と弱点がありますが、一般的には『差』を見る方が優位。
というのも、『違い』を察知する方がわかりやすいからです。
そもそもかる』という言葉自体が差分に着目しています。
「わかった!」とは、対象を混沌から「分けられた」ことに他なりません。

一方、似ていることの認識は、常にあいまいさを残します。
どこかに違いが潜んでいるかもしれませんし、そもそも多くの場合、主観的だからです。

とはいえ、違いにばかりフォーカスしていると、人の気持ちは殺伐さつばつとしてしまいます。
『分』という字が「牛の角(八)を刀でさばくこと」を語源とすることは、血の匂いを感じさせます。


逆に、似ていることをつなげる『連想』は、知識の蘇生術です。
分けられた要素の凸と凹が、ブロックのようにはまっていく楽しさ。
分析のまじめさも大切ですが、連想には心を遊ばせる大らかさがありますね 😊

そろっていることは美しく、違っていることはおもしろい



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