あれもこれもの時代
<956文字>
ほぼ完全に『二元論』の罠から脱却しつつあるので、何故あれほどまで「どちらかを選ばなければならなかった」のか、わからなくなりつつあります。
『仕事と家庭』とか『愛と友情』とか『ヒゲとボイン』とか 😊
それを嘆いているわけではなく、もちろん喜んでいます ❣️
古くは1980年代のポストモダン論争で、理屈だけはわかっていました。
闇雲に新規さや先進性を求めるのではなく、歴史の懐かしさを取り入れようというのがポストモダンだったからです。
が、当時のポストモダンは、やはり新しさのバリエーションでしかありませんでした。
「あれもこれも」は、見たことのない景色の一種だったのです。
それが、ここにきて、一気に感覚にまでなじんできました。
たとえば、大谷翔平選手の『二刀流』というのは、文化的なインパクトも本当に大きいなぁ、と思います。
多くのが人が「どちらかを選びなさい」という中で、「いえいえ。あれもこれもでいきます」を貫き、結果を出したからです。
量子力学とか、LGBTとか、副業OKとか・・・
せきを切ったように、両儀的な現象が常識になりつつあります。
わたしは、2010年から2035年の四半世紀は、人類史上もっとも劇的な変化の期間になると思っていますが、それは近代の『あれかこれか』が終わり、『あれもこれも』の時代になるから。
大谷選手は、その象徴と言えるかもしれません。
そして、メタバースにしても、そうなんですね。
メタバースとは、ルネサンス以前の神の視点による『無限性』とルネサンス以降の人間視点による『有限性』の二刀流です。
少し難しい言いまわしになりますが、『無限後退する遠近法的空間』。
それが、メタバースの時代的な特徴です。
一旦ゴール(=消失点)が設定されるけれど、その空間に入って延々と遠のくゴールを追いかける活動。
それが、バーチャル空間の中で暮らすことの意味です。
早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け
みんなで行くには進め方が大切ですね 😊
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
よろしければ、『スキ』ボタンを押していただけると、励みになります。 そして、誰かのお役に立ちそうだったらシェアやオススメをお願いします。
もちろん、コメントも大歓迎 😃
世の中に、笑顔のあふれる人を増やしたい、と思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?