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ことば と リストラーズ

数日前、個人的に 大きな変化があった。
別に 一身上が変わったわけではなく ひとつの心境の変化である。
 
noteを書くのをやめようかとも思ったが アドバイスをいただいた。
変化は誰にでもあること。多面的であるのは ワルいことではないと。
では もう開き直って 心境が変わっても続けてみようと思えた。

 
ずっとリストラーズを通して
もっと言えば ただ 純粋に野村さんへのあこがれだけで リストラーズを見つめてきた。

そのスタンスは そう簡単には変わらないかもしれない。
ただ 彼らを見る角度がほんの少し変わったと感じている。
 
上からでも 下からでもない視線。
野村さんを透かし見て 自分のなかにあったものを発見した。

それに気付いたことで、ある程度 等身大の見方をしていくことになりそうだ。
念のため申し添えるが 野村さんと筆者を重ねているわけではない。
ただ まだ日が浅くすぐには言葉がまとまらないので また時間をおいて書くときも来ると思う。
 
読んでくださるかたにとっては
以前に比べて 多少 リスペクトやあこがれの気持ちが不足していると思われるかもしれない。

が、リストラーズの活動は 今後も見守っていきたいと思っている。
メンバーが今後どういう方向へ進んでいかれるのか  何を大切に活動なさるのか  それも含めて見守っていければと思う。


ここで 景気づけに一曲
べつに 人生が浪花節だと思っているわけではないんですけどね


 
さて
5月になって 世間ではますます荒れ模様の毎日が続いている。

マスコミの煽りもあり「日本は外国人嫌い」と 海の向こうの某大国の責任者らしき人が発言されていたらしい。

この発言が冗談なのかと思えるほど 筆者の周りの日本人は 外国の人に優しい。インバウンドで得をする業界だけではない。

ごくふつうの日本人なら 外国のかたが公共交通機関に大荷物で乗って来られても笑って許すし 日本語が話せなくても道案内をして差し上げる。
チップもなしに 世界最高峰のサービスと技術を提供する日本国民に対して
いったい何を見て言ってるんだろうかという感想しか持てなかった。

 
日本は
移民問題がこれまでは殆どなかったこともあって 外国人に対して優しい人が多い。
もし異分子だと感じても 文化の中に沁みこむように いつの間にか包み込んで吸収し 消化してきたのが日本人の特質だ。
 
ただ現在の世の中を見ると 海外からの移住者が増えすぎ その吸収が追いつかなくなっている。いずれ破綻してしまうのではと ひやひやしながら ニュースを見ている。

ぎりぎりなのかもしれないが それでもまだ 道を歩くときにバッグを強く
抱きかかえることもなく歩ける。
昼間は子どもが一人で電車に乗っているし 終電には寝こけたおじさまが
いらっしゃる。
 
この高い道徳観念と文化を何とか維持していきたいと心底 願う毎日だ。

ところで 
文化の根幹にあるのは 言葉ではないかと考えている。

たとえば
自国の言葉を禁止されると 次の世代へ 受け継いでいけないものは数多い。
侵略を受けて 話す言葉を変えられてしまった国は復活が難しくなる。
 
完全に言葉が変わらなくても 東南アジアなどでは 英語と現地語が入り混じったような「ピジン語」というものがある。

英語を公用語にすると通じず 現地語を使うと日常生活に困る。
そこで 両国語が交じったような言葉が自然発生して 話されるようになる。それが「ピジン語」と呼ばれるものだ。

しかし、ピジン語が主流になってくると 今度は世代間のギャップが深まり
祖父母の文化が伝わらない。
3世代もすると 同じ家族内で話が通じなくなる。

かつて ブラジルへ渡った日本人の孫世代にとっては 日本語が もう外国語になってしまうように。
 
もし リストラーズの歌う昭和歌謡が
英語交じりの日本語で歌われるようになったら 昭和の香りは伝わるだろうか。


澤田さんが歌う「高校三年生」は あの哀愁を帯びるのだろうか。

オノマトペの通じない状態で「鉄人28号」は歌えるだろうか。

「時代」のなかで使われる「ときはめぐる」という言い換えは きちんと受け止められるのだろうか。

 
母音が主体で 虫の声を聴き分けるチカラを持つ数少ない人種が日本人だ。

聞いた話ではあるが 人種が違う海外生まれであっても 赤ん坊のころから
日本で育った場合は 虫の声を聴き分ける能力を持つようになるらしい。
これは 日本語の持つ影響力のおかげという意味ではないかと思う。

世界でも類を見ないこの言葉が 何らかの理由で飲み込まれたなら 日本語の歌の殆どは失われるだろう。

時代としての昭和が遠くなっても 言葉が分かれば こころ は伝わる。

さすがに万葉集や源氏物語ほどの時間が経てば 古文を習う必要はあるが
それでも文化は伝わっている。
 
リストラーズの歌のみならず 絵本で始まる読み書きから 言葉を受け継いでいくことは 本来 何にもまして大切なことではないだろうか。

 
リストラーズが取り上げる歌の響き
歌詞  アカペラアレンジ  そして絶妙にバラバラなダンスも含めて これら
すべてをできるなら守っていきたい。

ひとは 変化する。言葉も 変化していくだろう。
だが 大事なものを守る「気概」だけは 変化してほしくない。

プロではない彼らのチカラに頼るだけでなく 一ファンとしても ひとりの
日本人としても できる努力は しておきたい。


<  昭和歌謡を 歌い継いでくださること
          その姿勢が ひとつの羅針盤だと思います >


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