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こころとアタマ @リストラーズ 

のっけからの質問で 恐縮なのですが 誰かを好きになったときって
きゅん♡ としますよね?

からだの どのあたりが きゅん♡ と しますか?
アタマですか? おなかですか?  心臓に近いあたりですか?
よく 思い出してから このあとを読んでいただけると嬉しいです。


きゅん ♡ の 正体 (^^ゞ 


ひさしぶりに 「打ちとける」という言葉を聞いた。
例の世界的騒ぎのあと すっかり影をひそめていたような言葉だ。


相手との間に距離を感じず くつろいで気をゆるすことを言う。

近年は インターネットでの交流が多く、仕事でも プライベートでも 生身の人肌を感じ取れる機会は格段に減ってしまったように思う。

 
連絡は すべてネットを通してだし、電話が鳴ることも減った。
部屋を借りたり 不動産を買うひとでさえ、現地に行かぬまま バーチャル
ツアーとかいうもので済ませてしまう。

 
体感や触感は もう使わずに生きていくのが ひとの未来なのだろうか。

 
初めて 画面越しでひとと話したのは 仕事の打ち合わせだった。
PCの設定は 事務所のかたがして下さっていたので ただ画面の前に座って
「いつもどおりに進めていいですよ」 と言われた。

 
が、それが始まって すぐ 本当に困った気持ちになったことは忘れられない。今も同じように 苦手に感じてしまう。
 

まず、目線が合わない。
相手の目線を見ようとすると 自分の視線が画面の中を追うことになる。
逆に向こうから見ても カメラを意識せずに話すから ズレた感じがする。

自分の顔が 画面の端に 映っていることも 気にかかる。
つまり 相手だけに集中する時間が かき乱される。 

 
またネット環境のせいなのかは分からないが 音声にも ほんの少し微妙な間があく。
その小さな間を埋めるべきなのか 単に相手が考えている一瞬なのか判断できず、絶えず神経を張り詰めていないと充分に読みとれない。

 
画面で言えば カメラはたいていバストショットの画角だから 指先や足元は 全く見えない。貧乏ゆすりとまではいかなくても 手のひらが 向いているか開いているか 閉じているかも 分からない。

さらに 先方の部屋の中で 今の打合せには 関係のないことが起こっているのかどうかが分からない。

たとえば
突然 関係のない別のひとが画角の外の すぐそばで動いたから びくっとしたのか、あるいは 直前の筆者の言葉に 違和感があって動いたのか 説明されるわけではないから 手探りとイヤな想像が延々と続く。
 
結局
カメラ越しでの初めての打合せは 何とかクリアはできたが、先方に気持ちが近づいた気が 全くしないままだった。

感覚で言って申し訳ないが いつもの6割くらいしか つかめない気がした。
向こうからしても 親近感を持つのは 難しかったのではないだろうか。

 
が、世の中は 筆者の違和感とは うらはらに 在宅ワークが一気に進み、感触ぬきの仕事がどんどん増えていった。

 
今 また、在宅だけではなく 出勤を促す企業が戻っていて そこに賛否両論
あるのは分かる。
 
通勤の手間も時間も省けるし 洋服にさほど気を遣う必要もなくなる。
暑さ寒さの気温差に 悩まされたり 満員電車でイヤな目にあったりもない。

さらに言えば ほんの少しの空いた時間で 夕飯の下ごしらえの一部を済ませたり、ペットの様子を見にいくこともできる。

多様なことに時間が使われ、いそがしい毎日を送る現代では 在宅のまま仕事を続けるのは とても便利だとは思う。

 
が、
人と人が 短い時間で「打ちとける」には 何かが足りないと感じてしまう。


生まれてからずっと ネットでしか親の顔を見たことがないとか、画面を通してしか 学校の授業を受けたことがないとか、

あるいは 友だちに叩かれたり 引っかかれたら痛いとか、アタマをぽんぽんされたら安心するとか、

そういうものを一切 感じたことなく育てば 別な感覚を持つようになるのだろうか。

 
それなら いわゆる二次元の世界に生きることと 三次元で体感できる世界に
生きることに どんな違いがあるのか 筆者には分からない。
 
 
三次元で体感したことを元に 二次元を想像したり ゲームやアニメの世界を楽しんだり 喜怒哀楽を感じるなら理解できるのだが。

 
リストラーズの動画も 画面のこちらから見れば二次元に過ぎない。
特に 体感も感触も感じられないから、匂いも 温度も分からない。

 
しかし
その手前のどこかの時点で メンバーや視聴者が似たことを三次元で体験していたからこそ、こまかく説明されなくても 思いが通じていて こころに響くのではないか。
 
 
完全完璧な実装には まだ 埋めなくてはいけない課題が技術上に残っているようだが、今後 匂いや温度、触れる感触も体感できる世界が ネットを通して実現し それが ごく当たり前の世界になっていくのだろう。


そこに ホンモノがあるのか、ひとの息遣いが感じられるのか、
満足できる空間になるのか アタマの中の電気回路のようなものだけで


ひとの心が いったい「打ちとける」のか。

 
時代を 誰がつくるのかは 筆者は知らない。
が、アタマの電気回路ではなく

心こそが きゅん♡ とするんだと感じる筆者には 欲しいと思えない世界では
ある。


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