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永遠と儚さと リストラーズ

タイトル負けしないものを書けるのか 不安はあるが これもチャレンジ。

BGMは あえて譜面で ご用意させていただいた。
譜面というのも また 今回のタイトルに かかわると思っている。



「永遠」という言葉。
どんなイメージをお持ちだろうか。

 
最近は 延々(えんえん)という言葉が なぜか「永遠(えいえん)」と混ぜこぜに使われているのを見かける。
 

延々(えんえん)は
会議や話が長く続き、どこで終わるかも分からない様子をあらわす。
うんざりした気持ちが入っているように思う。
 
「永遠(えいえん)」は
果てしなく永く はるか遠い時間。時間そのものも超越している。
一切の終わりが見えないさまは 神秘性を含むように思う。
 

意味も 音も 似ている部分があるので 誤解が生じるのだろうが、明確に違うのは ひとのイメージを拒むほどに 天空を超えていく言葉か どうかではないだろうか。

 
さて、
ひとが「永遠」という言葉を持つ以上、生きる上で何らかの必要性があったと思われる。
 
暮らしに直結することで言えば  結婚式で「永遠」の愛を誓う。

また 子どもを産み育てることにも
自分の分身あるいは遺伝子が「永遠」につながることを願って この世に残したいという気持ちが 多少なりともあるのではないか。
 
最近 流行りの持続可能な ○△◇も  考えてみれば「永遠」性を求めているのではないだろうか。
 
最近に限らない。

建築家が 教会や橋、大きな建物を残そうとすること。
画家や彫刻家が 我が身の枯れ果てたのちにも 作品を残すこと。

小説や 理系の発明 医学研究 経済や政治でさえ、ひとが「永遠」というものに あこがれて創造された結果ではないかと思う。

もちろん そこには善悪があり 求めてもよい「永遠」と、 ひとが手出ししては いけない「永遠」に似たもの がある。
近頃は 何でもありになっているように見えるが それはまた別の機会に。  
 

そして 音楽も そうだ。

クラシックに限らず 作曲家 演奏者 歌をうたうひと 楽器を作るひとなど、
形に残るかどうかは違えども、多くのひとの心に残そうとすることで
「永遠」を求めている。
 
だが、ひとの世に たしかな「永遠」は存在できない。

それは 時間を 超越できないからだ。
時間は残酷な一面を持っていて、なにもかもを「無」の方向へ押し流す。
 
紅顔の美少年は やがて杖をつき 火の前に座り込み 掠れた声で昔を語る。
ミスコンの優勝者は どれほど 美顔術を施しても 鏡の前で事実に気付く。
 
そして そこに「儚さ」がある。

ひとの夢と書いて 「儚い」
まるで 「永遠」の真反対にある言葉のようだ。
 
リストラーズの歌にも 「儚さ」に抗い、「永遠」を求める響きがある。

誰もが 時間には抵抗できない。
しかし 今 できること、今しか できないことを叶えるために ひととして
せいいっぱいの夢を追う。
 
聴くひとのこころに残り、くりかえし 聴きたくなる歌をうたう。
「儚さ」を知りながら 時間を超えようと ひとに夢を贈りつづける。
 
だから 好きなんだ。
ずっと聴いていたくなるんだ。
自分も また 「儚さ」のなかで生きているから。
 
「永遠」は この世では つかめない。
リストラーズにも 「永遠」はない。
 
同じひとの世で ひととして夢を追い、ほかのひとの夢を見つめる。


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