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リストラーズ何者?と喜怒哀楽

もしかすると ご想像が付いていらっしゃるかたも おられるかもしれないが 筆者は泣き虫な一面がある。
が、不思議なことに 哀しいときや悔しいとき、痛いときやツライときには 全く泣かない。
 
自分のためには泣かないというとカッコ良さげだが 少し違う気がする。
相談を聞いたときや 共感があって貰い泣きのようなときのことは別として
自分自身の負の感情のときには涙が出ないのだ。
どういう構造になっているのか 自分でも分からない。
 
小学生のころ、ホームルーム時間にクラス内の役割決めがあった。
何の役割を希望したのか忘れてしまっているが、筆者の希望とクラスメイトの女の子の希望が重なり、どちらか一人に決める必要があった。

当時の担任は 年輩の女性教師で 「話し合って決めましょう」と 全員に向かっておっしゃった。
と、直後に 筆者のライバル?が突然 突っ伏すようにして わんわん泣き出した。

担任は その勢いに押されたのか このあと慰めるのが大変だと思われたのか、「今回は お友達に譲ってあげましょう」と筆者に勧めてこられた。
子ども心に 泣いたら勝ちなのかという理不尽な気持ちになったが、結局
ほかの係に筆者が移ることにして その場は収まった。
 
その後 成長するにしたがって 学校や家庭内、職場でも 理不尽と感じることは 人並みにあったが そういうときには 本当に 一滴の涙も出なくて(今の時代この発言はリスキーだが)女の子っぽくないのかなと 思うときがある。
 
しかし、感動したり 喜んだり 嬉しいときには ボロボロになってしまう。
 
同じく小学校時代に、運動会の入場行進練習というものがあった。
行進曲に合わせて 入場口から足並みを揃えて綺麗に歩けるようになるまで
何度も練習させられた。

筆者も 周りの友人たちも うんざりしながらもサボるような知恵はない。
そして 運動会当日を迎え、晴れ渡った空の下で 全員が規則正しく歩いて
入場する。
 
と、ここで涙が ぐぐっと こみ上げる。

小学生でも 友達に泣いているところを見られるのは恥ずかしい。
しかも なぜ泣いているかと言えば、「みんなの足並みが揃っている!いま 心がひとつになっているんだ!」と泣いているわけだ。

見回しても ほかにそういう人はいない。特殊なというか 我ながら 困った
構造を持っていると困惑している。
 
大人になってから ネズミの国に行った時も 似たことがあった。
「イッツ・ ア・ スモールワールド」という ボートで館内を巡回するものに
乗ったとき 「♪ せかいは ひっとつー♪」という歌が いくつもの言語で歌われる。
それを聞いて 大の大人が感動する。
同乗の友人達に見つかる前に なんとか抑えたが かなり危なかった。
 
なぜこの告白をしたかというと リストラーズの歌声に 同じ症状が現れている。

家で聴くだけでは足らず 当然 曲を持ち歩く。
電車に乗っていても 歩いている時にも 音量には注意しながらだが、聞き
ほれる。動画再生は 脳内でなされるので問題はない。

しかし 随所 随所で こみ上げてしまい、あの「ス・キ・ヤ・キ」の歌のように たびたび 上を向いて歩くことになる。
聴くのをやめればいいのだが それは したくない。ゆえに 葛藤の毎日を送っている。
 
特に困るのは、「待つわ」の野村さんの声。
画面つきで聴いているより 思いが強く迫ってくるのか、今すぐ回れ右して
帰ってしまおうかと思うほど 毎度 揺さぶられる。


この動画の概要欄には
「なお、今回は効率重視で以前収録したCD音源を再利用しています。
 ※リストラーズはサラリーマンのため年度末・年度頭は本業がバタバタ
 しておりご容赦ください。」 とある。

 
CDの制作年は 昭和84年。平均年齢が26歳と記されている。
 
この年齢で しかも男性で どう解釈なさったら その感情を歌に盛りこめるのですか?と詰め寄りたい。

あきらめて もう澄んだ心を取り戻しているのに なお思い切れない気持ちが残る。見つめているだけでもいいと歌いながら 待つことはやめない。
ほんの ひとかけらだけ と執着なく願う。 
おとなの女が 少女のような恋をしたのだ。それほど執着がない。

まったく 男性が どういう恋を経験したら こんな歌を歌えるのかと訊きたくなる。
筆者の勝手な思いこみとお断りしたうえで、モテただろうと想像はしている。が 恋愛経験がとびきり豊富だったとは思っていない。もちろんファンとしての希望ではなく。

野村さんのイメージ力、想像から生まれた女性。
野村さんが男性だから創造できた女。かもしれないと思っている。

話を戻すが、
以前 書いたかどうか 筆者は 子どもの頃から 高い声や高い音が好きではない。
落ち着いた音、静かな曲、低めの音がいい。楽器で言えば コントラバスくらいの低めが落ちつく。

高い音は 頭に響きすぎるというか 実際に頭痛がするのだ。
しかし リストラーズの曲は高くても 大丈夫で 拒否反応が起こったことは
一度もない。
 
ここで更に疑問を持つ。
高い音や高い声を好きではないのに ことさらに トップコーラスの野村さんファンって おかしくはないか?
前出の「待つわ」に限らないが、道端で感動してこみ上げるほどって 不思議すぎないだろうか?
 
男声だから? うーん それは考えてみた。
が、男声でも 女声でも 受けいれられない高い声もある。
リストラーズの場合 野村さん以外のメンバーの声で 高い音程をハモっていらっしゃることもあるが 気持ちよく聴けている。
 
ファンだから、好きだから? いや、それは逆な気がする。
高い声がイヤという前提があるのだから 女声と変わらぬ高さで歌われる
「フレンズ」では 最初に つかまっていないはずだ。
 
大島さんの手腕? それは あるかもしれない。
ミキシングに何の知識もないのに大胆な発言なのだが、技術だけではなく
彼らの声を知り尽くし、かつ 愛情こめた仕事ぶりのおかげは大いにありそうだ。
 
音や声という実質的というか物理的というか、そういうこと以外に何かあるのだろうか。
もっと本質的なこと。
音では聞こえないものとか 譜面では見えないこととか そういう類に近い
こと?
 
こう考えると少し当たっているような気もするのだが これだ! と指し示す
ほどのものを探し当てられていない。

強いて言えば
誰にも強制されず これといった巨額の対価がなくても 音楽への気持ちが
強くあること。長年の仲間同士の絆だったり 歌えることへの感謝だったり
喜びのようなものに 満ちている歌だから ということかもしれない。

だが すっきりしない。
ほかの音楽グループや プロの歌手は?
似た思いで 歌い続けられているのではないのか?
そのなかには 高い声でも 安心して聴ける歌も、まったく受け付けられない歌もあるのだから 一概には言えない。

リストラーズって いったい 何者? 
 
結論の出ない考察が 果たして考察になるのかどうかは怪しすぎるが、一先ずは ここで終えておくしかない。

何かもう少し もうちょっとだけ ほんの一段だけ 段差を昇れて 見えるものがあるといいのだが。

 
 
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