#372 気合いだー!
こんにちは、鏑木澪です。
「復活ー!」と言った直後に、「休みます」と意味不明な状態になっておりますが(こちらの記事を参照あれ)、無理押しはよろしくないだろうと、歌は一息つくことにしました。
”歌ってみた”を週2の頻度で投稿していました。
(できなかった時もあったけど)
2ヶ月で20本……!
今年は始めることが目標だったから、こんなに高頻度で取り組む予定ではありませんでした。
もしかして、もしかしたら、もう少しできれば、、、
やはり私は、自分の書いた曲を自分で歌いたくて、ひとまず最低限の必要な道具は揃ったから、自分さえやれば……やってしまえばいい状態ではあります。
やりたいことなんだったら、すぐにでもやるべき!
わかってる、わかっておるわよ。
しかし、道具の使い方すらわからないですわよ。
少しでも時期を早めたくて、狂ったように歌ってみたに挑戦しておりました。
(世間一般的にどうかはわからないけれど、私にはわりとタイトなスケジュールでした)
せっかくだから、歌い手として、鏑木ではリーチできない層の人たちにも届いたらいいなと欲をかき始めたりして、無茶な行動もしたり(1日で曲を覚えるとか←再生数には全く繋がらなかったがな)……
その、私は本当に良くない人間なので、心のどこかで「歌っているだけの人は楽でいいよな(声質さえ良ければどうにでもなるじゃないか)」と思っていました。
私が他者に対して「才能」という言葉向ける場合は、”身体的な有利性”(例えば、楽器を弾くのに指が長くて届きやすいなど)といった本人の意思や努力に関係なく特定のことをするのに適した状態であることを指すものとして使いたいと思っています。
……いやぁ、そこまで考えずに「ス、すげぇ!(才能だよ!=可能性を秘めている)」と言うこともあるので、なんとも、曖昧なものではありますが、真剣な文脈で丁寧に言葉を選んで、なお「才能」と口にする際は、そういった意味で使うことが多いです。
持って生まれたものだよね、と。
(時に、相手の努力を否定する意味で伝わってしまうことがあるからね。そのつもりでなくとも……そのつもりの時はそれでいいのだけど←)
磨かなきゃただの石ころですよ、どんな原石も。
ただの石ころだって、磨けば少しは光るんですよッ
話が逸れて、何を言おうとしていたのか忘れてしまった。。。
そうだ!
自分が歌い始めて、1番の収穫は「歌っている人の凄さ(魅力)」を一段と感じられるようになったことです。
個人的な好みも含めてではありますが、「上手下手」「良し悪し」「優劣」「正誤」など、なくそうと思っても、どうしても聞いた瞬間に頭に浮かんでしまって、
この人の良さがわからない、、、
例え、多くの人に高く評価されている相手であっても理解できず、「何をもって良いとされているんだ?(私は惹かれないんだが、何故)」と思うことがあったのに、
うわぁ!ッ
この人って、こんなことしてたんだ
これは……これは、素晴らしいわ
(私には到底できやせん、できるようになりたい)
そんなふうに、わかる・感じられる範囲が増えました。
これは、とても嬉しいことだと私は思います。
ボカロだけに歌ってもらっていたら、もうしばらく、もしかしたらずっと気がつかなかったかもしれない。
これだけでも、始めた意味がありました。
「歌うだけの人は楽でいい」なんて、二度と言えない。
(「とりあえず歌う」はすぐにできなくはないけど、「とりあえず曲を作る」はできないもので、私にとっては歌のほうが難易度が低いイメージだった。よく考えたら、曲を作り始めてから4年もやりたい気持ちはあったのに、歌わずにきたのだ。簡単なわけがない)
そもそも、比べるものではないですね。。。
私は麺類が好きなもので、うどんやらスパゲティやら中華麺やら、家で打っていた時期がありました。基本の材料は似ているし、”麺類”という括りでは同じであり、共通点はあるけれど、うどんの作り方を研究したところで、中華麺が上手く作れるようにはならないわけで……別物なんですよ!(当たり前だろ。何の話だよ)
対極のエピソードに、お菓子作りで材料を入れる順番・混ぜ方の重要性に気がついてから、「あれ、もしかしてDAWのエフェクターを挿す順番って大事なの?(どうせ、全部かかった音が出てくるから同じじゃないの)」となって、ようやっと挿す意味を考えるようになったってのがありますが。笑
……素人っておそろしい。
(ちゃんと勉強しなさい←未だにわからない)
思わぬところからヒントが舞い込むこともあれば、近くてもイコールではないから、ある程度応用できても即役には立たなかったりもして、腑に落ちるタイミングは様々です。
総合力だわね、
いろいろやってみれば、いいと思うよ。
(「笑えばいいと思うよ」碇シンジ風)
あと、ご飯は大事!←
話が変わりますが、おそらく同世代(ちょっと年下だと思う)のアーティストで、作詞作曲編曲歌唱に、ピアノの演奏、小説・脚本の執筆に、朗読劇の演者もしている人がいます。
その人の書いた小説を、昨日、読みました。
前編を読み終えてから約1年が経ち、後編が読めるようになるのをずっと楽しみにしていました。
途中まで、「んー、ベタな展開だな(ちょっと期待外れだ)」と感じてしまったのだけど、最終章を読みながら、しっぽりと泣きました。
予想外の展開なんて、ひとつもありませんでした。
(貶したいわけではないけど、本当にそうだったの)
予定調和の物語。
面白さを感じられず「ハイハイ」と言いたくなるはずが、しっかりと胸を抉られました。
物語のパターン(大まかな構成や根底にある構造)は、出尽くしてしまったと言われています。
筋の通った物語の体を保っている以上、既に私が知っている型に当てはまるものになっていると言いますか、私自身が”型にはめて解釈してしまう”ため、「ありきたりである」と感じるわけですが、そうではなく、大事なのは
詳細の描き方なんだな、と
身に染みました。
奇を衒う必要はないんだ。
……私は、何でもいいから、まず書かないと、お話になりませんね、はは。←
(あ、数日前、熱に浮かされている間に短編を書きました。なんか、なんというか、なんでもないです、、、Xでシェアするのは躊躇われる内容になりました)
長編を書きたいのだ、私は。
書くぞー!
ではでは〜
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