あえて今、角田裕毅の2021年振り返り

0.はじめに

本当は元々、私が応援しているF1ドライバー角田裕毅選手の2年目となった2022年シーズンの振り返り、2023年への展望をファン目線で書いてみようと思っていました。
でも書いているうちに、角田選手を語るうえでルーキーシーズンの振り返りは必要じゃないか・・・?と思い、たくさん2021年の話を書いた結果、結局2023年の展望はおろか、2022年の振り返りにもたどりつけませんでした(笑)
しかもとても長くなってしまいましたが、よければ暇つぶしに読んでいってください。

1.2021年はどんな位置づけのシーズンだったか

前年(2020年)、F1直下のFIA F2でルーキーながら年間3位を獲得。2021年は小林可夢偉選手以来、7年ぶりの日本人F1ドライバーとしてデビューして最初に迎えるシーズン。F2での鮮烈な活躍から期待値は非常に高かった。

デビュー当初の角田選手。角刈りでした

2.どんなシーズンになったか

(1)苦戦、その要因

非常に苦戦したと言えるシーズンでした。特にチームメイトのピエール・ガスリー選手に対しては水を空けられる状況が続きました。
とても厳しい結果でしたが、2021年はコロナの影響で下記のように例年との違いがあったことも要因でした。

・シーズン前テストが短縮
 →特にルーキーはマシンの十分な習熟の時間が不足した。

・新レギュレーションの導入が2022年に先送りされ、車体は2020年から限られたアップデートのみ施された発展形
 →前年から同じチームで乗っていたドライバーと移籍したドライバーで序盤戦は習熟に差があった。ルーキーにとってはさらに経験の差が出やすい状況だった

この環境下ではルーキーにとって経験の差を埋めることは非常に難しく、後から考えればこの年はF1に慣れるための年と割り切って経験を積むのでもよかった気はします。しかしいざマシンに乗ってコースに出れば周りのライバルを打ち負かそうとするのがドライバーの本能であり、当然のことです。
結果として特にこの本能が強く、その負けん気を生かしてジュニアカテゴリを瞬く間に駆け上がった角田選手にとっては特性が裏目に出てしまいました。

(2)焦りの序盤戦、失う自信

強力なチームメイトのガスリー選手を打ち負かそうと焦るあまり、第2戦エミリア・ロマーニャGP(イモラ)の予選を皮切りに、フリー走行・予選にて前半戦だけで5回ものクラッシュを喫してしまいました。またイモラのFP3で発した、
 "Guys, it's **** paradise!! like traffic paradise!! What is this one!?" のような激しい無線での言葉も話題になりました。
(※"Traffic Paradise"は今となっては角田選手の代名詞的フレーズになり、F2やF3の実況でもよく使われたり、ボッタス選手(現アルファロメオ)も使用したりなど、おなじみの言葉になりました。私も大好きなワードです笑)

開幕戦でいきなりチャンピオン経験者を次々にオーバーテイクしてポイント獲得、高い前評判に恥じない華々しいデビューを飾りましたがその後は上記の通り苦戦し、チームメイトとの差もなかなか埋まらず。中盤戦に向かう頃にはインタビューでも暗い表情を見せ、自信を失ってしまっていたことがよく分かりました。角田選手本人も当時を振り返って「自信がどん底に落ちてしまった」と言っています。

ただファン目線では、確かにミスも重なった前半戦でしたが一方で初挑戦の難コース・バクー市街地で予選Q3進出・決勝でも7位を獲得したり、得意コースのオーストリアでチームメイトのガスリー選手まで予選で0.1秒差に迫るアタックを見せたり。シルバーストーンでは決勝終盤に中団トップクラスのペースを見せてポイント獲得するなど、持てる速さの片鱗は随所に見られました。

(3)どん底の中盤戦、周囲の支え

だからこそ、自信を失って本来の力から程遠い走りをする角田選手は見ていて辛いものがありました。元来、自信満々にアグレッシブな走りで前の車を圧倒的な速さで追い抜いていくスタイルのレーサーです。ヨーロッパに渡ってからあっという間にF1への階段を駆け上がりましたが、そこで高い壁に当たってしまいました。

そんな中でもチームと共に少しずつ上昇へのきっかけを掴もうと奮闘します。まず、前半戦で相次いだクラッシュの要因になった、FPや予選最初のラップから100%でタイムを出そうとするアプローチの変更を試みます。
週末の最初から速いペースで走れるのは角田選手の強みであり、彼を渡欧から2年でF1まで押し上げた要素でもあるのですが、F1はF2やF3と違い1レースに対する練習走行の時間が長く、その分セッティングやマシンの状態確認などやるべきことが多いのです。そのため最初から全開で走る必要はなく、少しずつペースをビルドアップしながらマシンを仕上げるのが重要でした。
前半戦の途中から少しずつそのアプローチに取り組み、後半戦はしっかりとアプローチを習得した結果、FPや予選でのクラッシュはなくなりました。さらに予選一発アタックのペースも次第に向上し、終盤戦の復調への大きな足掛かりとなりました。

さらに復調の後押しとなった要因として、メンター役についたアレックス・アルボン選手(現ウィリアムズ)の存在がありました。調子を落とした角田選手をサポートするために、親チームのレッドブルが派遣したのがアルボン選手。彼は2019年後半から2020年シーズンの1年半、レッドブルでレギュラードライバーとして走っていましたが、2021年シーズンはリザーブドライバーとしてチームに帯同していました。
圧倒的な速さを持つマックス・フェルスタッペン選手(レッドブル)のチームメイトとして苦戦した経験を持つアルボン選手は、角田選手の大きな支えとなりました。第16戦トルコGP以降、毎戦アルファタウリのピットに帯同し角田選手にアドバイスを送るなどサポートをしてくれました。後述する最終戦アブダビGPではレース後、歓喜に沸くレッドブルピットから角田選手を祝福しに来てくれた姿も見られました。(アルボン、超いい人!!

ウィリアムズ移籍後も角田選手と楽しそうに話している姿がよく目撃される。通称アルボン先生。

(4)取り戻した終盤戦、見えた兆し

アプローチ変更、メンターによるサポート、それ以外にもトルコGPでのシャシー交換など、過去にもレッドブルJr.出身の若手ドライバーを育成してきた経験のあるアルファタウリチームは間違いなく角田選手の支えとなりました。そして彼自身も次第に本来のポテンシャルを発揮し始めます。

前年に引き続き、コロナの影響で鈴鹿での日本GPが中止となり代替開催となったトルコGP。本来鈴鹿で走るはずだった「ありがとう」の文字をリアウイングに載せたホンダラストイヤー特別仕様の車体を駆り、久しぶりの予選Q3進出を果たします。決勝ではあの7度の世界王者ルイス・ハミルトン選手(メルセデス)を難しいウェットコンディションの中8周にわたり抑え込む活躍を見せます。レース後、角田選手は「マックス(フェルスタッペン)にチャンピオンを取ってほしいから、彼のライバルであるハミルトンを抑えようと思った」と話しました。(もっとも、抑えようと思って抑えられる相手じゃない気もしますが。。。)

続くオースティンでのアメリカGPでも予選Q3に進出。決勝ではスタートでチームメイトのガスリー選手を抜くなどアグレッシブな走りでハンガリーGP以来6戦ぶりのポイントとなる9位入賞。徐々に調子が上向きます。
その後の第18戦メキシコGPから、第21戦サウジアラビアGPまで、ポイントには惜しくも届かないもののスプリントレースのあったブラジルGPを除きすべてのレースで予選Q3に進出。サウジアラビアでは自身初となるミディアムタイヤでのQ2突破も果たします。ここで特筆すべきは、トルコGP以降の6戦すべてが角田選手にとっては完全に初走行のサーキットであったこと。異例とも言えるスピード出世でF1に来た角田選手の最大の持ち味である適応力の高さが遺憾なく発揮されました。

(5)最終戦アブダビ、ピエール・ガスリーという壁

次第に調子を取り戻す角田選手。そしてあの「伝説」の最終戦アブダビGPを迎えます。(おそらくF1ファンの中ではあの最終ラップを「伝説」と呼ぶのでしょうが、私は角田裕毅が見せた週末全体を「伝説」と呼んでいます。ほかにそう呼ぶ人がいるかは知りません)

ここまで、色々な壁を乗り越えながら少しずつ調子を上げてきた角田選手。ただ、まだもう一つ越えていない壁がありました。
それがチームメイトのガスリー選手に「予選で勝つ」という壁です。21レースを終え、予選での対戦成績はガスリー選手の21勝0敗。まだ、たった一度も上回ることができていませんでした。
この2021年シーズン、ガスリー選手はチームと共にキャリアベストと言える一年を過ごしていました。
予選成績だけでも、Q3進出18回、うちトップ6が16回。年間を通してガスリー選手のパフォーマンスには付け入る隙がなく、ルーキーイヤーに組むチームメイトとしては非常に強力でした。

コース上ではライバルですが、コース外では良き兄貴分だったガスリー選手。ツノガスしか勝たん。

(6)アブダビ予選、迎えたその瞬間

上でも書いた通り、角田選手は序盤ガスリー選手に迫ろうと焦りからクラッシュを重ねてしまいました。しかし途中からはガスリー選手を見てF1ドライバーとしての仕事の仕方を盗み、取り入れる方向に転換し、持ち前の柔軟性で自らの力に変えていきました。この変化が功を奏し終盤戦に入りガスリー選手とのギャップは徐々に縮まります。アブダビの一戦前、サウジアラビアの予選ではQ2までガスリー選手を上回るも、Q3で惜しくも下回るというところまで来ました。

そして迎えた最終戦アブダビ。コースはこの年に一部改修があったものの、角田選手が前年にテストでF1マシンを走行させた経験のある数少ないサーキットでした。初走行のコースでも速い角田選手が経験のあるコースを走るとどうなるか?答えは明確でした。このシーズンで初めてFP1からFP3まですべてのセッションでガスリー選手を上回る走りを見せます。「ついにガスリーに勝てるか・・・?」という期待を持って臨んだ予選。その時は来ました。
Q2ラストアタック、ガスリー選手がP12で敗退する中、角田選手は見事P8でQ3へ進出。F1デビューから初めて、チームメイトを予選で上回った瞬間でした。(私はこのとき喜びのあまり絶叫しました)
ちなみにこのQ2ではレッドブルの2台がソフトタイヤでの突破を選択したためミディアムタイヤで突破したのはメルセデスと角田選手の計3台だけ。とんでもない仕事をしました。
Q3ではトラックリミットで好タイムが抹消される不運もありましたがP8を獲得。角田選手本人も「今シーズン最高の予選だった」と振り返りました。

(7)アブダビ決勝、そして伝説へ・・・

シーズンベストのパフォーマンスを見せた予選から一夜、角田選手はついにルーキーイヤー最後の決勝レースを迎えます。このレースでは全世界がタイトル争いに注目。熾烈な争いの末に同点で最終戦を迎えた、若き天才フェルスタッペンvs絶対王者ハミルトンのバトルの結末に熱い視線が注がれていました。

そんな中、角田選手はP8からスタート。1周目にボッタス選手(当時メルセデス)を交わしP7に浮上します。その後も順調なペースで走行し、第一スティントはボッタス選手を抑えきります。タイヤ交換の間にボッタス選手には先行を許しますが、ハードタイヤに履き替えた後も堅調なレース運びを見せました。

しかし途中でVSCが導入され、スタートからハードタイヤで走りピットを伸ばしていたアロンソ選手(アルピーヌ)、そしてチームメイトのガスリー選手がチャンスを生かし後ろに迫ります。アロンソ選手はバトルの末に退けましたが、新しいタイヤを履く手強いチームメイトは次第にギャップを縮めてきます。ここから、この一年後塵を拝し続けたチームメイトとの熱いタイムの削り合いを展開。ガスリー選手が自己ベストを出せば角田選手も自己ベストで応戦。タイヤの差を考えると角田選手はガスリー選手と互角以上のペースを見せます。

そして53周目、あまりにも有名な「あの瞬間」が訪れます。ラティフィ選手(ウィリアムズ)がセクター3でクラッシュ、SCが導入されました。後続と差のあったアルファタウリ勢は2台ともピットイン、ソフトタイヤに交換しそれぞれP5,P6で隊列に戻ります。そして後にFIAのルール変更にまで及ぶ物議を醸した最終周でのSC終了、レース再開。前方ではフェルスタッペンvsハミルトンの歴史に残るバトルが繰り広げられる中、角田選手も「伝説」の走りを見せます。

53周目、ラティフィ選手のクラッシュ。すべての運命がここで変わりました



古いハードタイヤで走るボッタス選手に対し、角田選手の十八番であるレイトブレーキングでオーバーテイク。P4に浮上します。さらにP3のサインツ選手(フェラーリ)に迫らんとするところで痛いシフトミス。直線でスピードを失い、逆に後ろから同じくボッタス選手を交わしたガスリー選手が迫ります。ターン9でアウト側から抜きにかかるガスリー選手に対し、前にいた角田選手は意地でもポジションを守るべく、ガスリー選手をコース外へ弾き出す様にして順位を守ります。そしてそのままフィニッシュし、自身最高順位となるP4をルーキーイヤー最終戦で勝ち取って見せました。

一年間、手の届かなかったチームメイトを全セッションで上回った最終戦。これは角田選手にとって、翌年に繋がる非常に大きな意味のあるレースとなりました。

3.シーズンを振り返って

ルーキーイヤーは終わってみれば対チームメイト成績で予選が1勝21敗、ポイントは32対110。「完敗」と言える成績でした。
その中でも、チームメイトから多くのことを学び、どん底に落ちた自信を取り戻し、前に進み続けた経験は間違いなく角田選手を一段上のレーサーに押し上げる財産となったと思われます。シーズン中は度重なったミスや無線での激しい口調など多くの批判を浴びることもありましたが、一度失った自信を、周囲の力を借りながら前に進み続けたことで最後に取り戻し、彼が持つ本当のポテンシャルを見せることができました。終わってみれば「良いシーズンだった」と言えるのではないでしょうか。

この前年にF2での鮮烈な活躍を見て角田選手を応援し始めた私も、ただの一ファンながら多くのことを学びました。これまでもF1は見ていましたが、特定のチームやドライバーを熱烈に応援するというよりはレースが好きで純粋にただ楽しんでいただけでした。

しかし角田選手をひたすら追いかけて見ていると、F1というスポーツの奥深さ、厳しさ、楽しさを改めて知ることができました。例えば、ルーキーにとってテストやFPの走行時間がとても重要であること。レースウィークの週末の組み立てが全てに影響すること。チームメイトとの戦績が評価において重要視されること。

応援しているドライバーに結果が出ないとき、どれほど苦しいか。どれほど悔しいか。そして苦労が報われたとき、悔しさの何倍も、何十倍も、その嬉しさが大きいこと

角田選手のおかげで自分にこれほどまでに喜怒哀楽があったのかと知るきっかけにもなりました(笑)
また、SNS上で多くの人と知り合うきっかけにもなりました。ありきたりな表現をするならば、角田選手の走りで人生に彩りを与えてもらったと思いました。多くのことを感じられた2021年シーズンでした。

4.おわりに

いかがだったでしょうか?(って書かないといけないんですか?笑)
2022年を振り返ろうと思ったのに、なぜか2021年を振り返り始めて、しかもこの文章量・・・。自分でも引いてますが、でも初めてのnote、楽しかったです。これを読む方の暇つぶし程度にでもなっていればいいなと思います。
次回こそは2022年の振り返りと2023年の展望を書きます!笑

最後までお読みいただきありがとうございました!


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