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作品集(ポートフォリオ)としてnoteを利用する

本日の千世さんの記事より。

今年に入ってから私の投稿数がやや減少気味にあるのは、千世さんの述べられていることとも若干関係があります。

基本的には、noteでどのようなことを書こうが、書き手の自由だとは思います。
ただし、自分のnoteを「コンテンツ」として発信・利用していくならば、話は変わってきます。

私の場合、長文(概ね3000字以上)になる場合は、OneNoteで下書きを作ってから投稿することも珍しくないですし、時にはAIツールも使って、SEO記事っぽく仕上げることもあります。

この3つは、実はAIツールの助けを借りて構成を考えながら、まとめたもの。
読まれる・読まれないは別にして、ちゃんと「幕末の知識を知りたい」人の要望には、答えられる内容にはなっていると思います。
→リサーチ内容そのものは、Web上の情報では到底足りず、国立国会図書館デジタルコレクションなども当たっていますが……。

何でこんな面倒なことをしているかと言うと、自分自身がライターとして成長するためには、この「構成力」を上げる必要があるから。
SEO記事などで構成作りからやったことのある人はお分かりかと思いますが、実は、リサーチ&文章を作るよりも、ユーザーの検索意図、顕在ニーズ、潜在ニーズを読み取り、そしてそこに自己のオリジナリティを加味していかないと、現在は評価されません。そちらの方が、文章そのものを書くよりも余程難しいです。
「オリジナリティ」だけで勝負しようとすると、あまりにも事実からかけ離れた記事や、独りよがりの記事になってしまう。


素人が「ブログ」として楽しむ分ならば、適当に書く。それでもいいでしょう。ですが、ライター同士、そしてディレクター&ライターの関係では、このようなSNSの情報でも相互にチェックされていると思っていい。
そのときに、あまりにも偏った思想や誹謗中傷記事ばかりだったら、どう思われるか。

当然、仕事の発注は見送ります。その辺りは、一般の勤め人と変わりません。
勤め人でも、「SNSに会社の内情を書くのは禁止」とされるのは、よくありますよね。

そして、ライターとしてやっていくには、ある程度「どんな素材でも記事に出来る」だけの力量が問われるわけです。
私自身も、最近のnoteではもっぱら文芸作品や歴史ネタばかりあつかっていますが、実際には、BtoB案件や法律・会計系の案件を受注しており、過去には教育系や生活系の記事も書いていました。

その辺りになると、むしろ問われるのは

・文章を正確に読み取る力(読解力)
・丁寧な考察力
・データなどを読み取る力

になるわけです。一般の方々に読んでもらえ、納得してもらえなかったら、意味がないわけですよ。

また、「プロ」としての文章であれば、1見出し当たりの文字数、文末の重複、リズム、バランス……等々もチェックされます。

実際、私も営業を掛ける際には、最近はnoteの記事をポートフォリオとして出します。
これは、過去に法律系の視点から述べた記事が今でもGoogleトップ10に入っているためで、数字の上でも「ちゃんと書けますよ」という立証材料になるんです。
無名記事と違って、noteであれば確実に「書き手の名義」として、そして「ノンディレクションでもこれだけ書けます」という意味で、公表できますし。


何か、やたらと愚痴や誹謗中傷ばかりを並べて満足する人もいますが、noteも、使い方によってはこういう風に利用できるんです。
実際、私もクライアントから「参考記事」として、他のnoterの記事を提示されることもあります。

その可能性まで考慮したら、絶対に「愚痴ばかり」「誹謗中傷記事ばかり」のnoteは書けないと思うのですが……。

#エッセイ
#noteの続け方



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