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虫の知らせ

 夕暮時に道を歩いていたら、前方の地面に何か黒いものが落ちているように感じられた。
 歩を進めていくと、それが大柄な「蝶」であることがわかった。
 大きな黒い蝶。クロアゲハなのかな?昆虫には疎いので正確にはわからない。
 蝶は、もう自力で飛ぶことは出来ないのか、アスファルトの地面を這いつくばって、時折力のない羽ばたきを試みている。力尽きて、この場所で落下してしまったのだろう。
 風は強く、歩道の脇は大きな幹線道路であり、車の出入り口にも近い場所であるため、このままなら無残にも車に踏み潰されてしまう運命が間近に迫ってくることが、容易に想像できた。
 さて、どうしよう。
 私は、この蝶に出会うほんの直前に、目前に広がる夕暮れの空の中でうっすらと浮かび上がっていた珍しい「彩雲(さいうん)」を見つけ、それを撮影しようと歩みを急いでいたところであった。彩雲はそう長く光っていてはくれない。早く撮影しないと消えて無くなってしまう。
 これも、自然の摂理だろう。
 かわいそうかもしれないけれど、目の前の弱っている蝶に、何らかの人の手を加えてあげることは、自然の原則に反しているものなのかも知れない。
 私は、自分にそう言い聞かせて納得しようと努め、彩雲を撮影するにベストなポジションを獲得しようと先の道を急いだ。

 カシャ!カシャ!!
 おかげで綺麗な写真を手に入れることができた。
 そして、撮影の出来具合に満足するも束の間、私の胸中は、あの黒い蝶が今どうなっているだろうか、という想いで一気に染め上げられていってしまう。
 すぐに、蝶がいる場所へ小走りで駆けつけた。
「あ、またいた!」
 蝶は、まだ危険地帯と化している歩道の上にいた。私はもう意を決していた。
 ハンカチを取り出し、弱っている蝶をつかんでハンカチで包み込み、車にひかれるリスクのない田畑のエリアまで移動し、放してあげた。
「元気でね」
 そう一言発して、夕暮れの道を振り返らずに引き返した。

 私のこの行動は、もしかしたらひとりよがりの自己満足であり、もっと突っ込んだ見解を示せばそれはエゴなのかも知れない。
 自然の摂理の流れを意図的に手を加えた行為。そのような見方として捉えられるものでもあるだろう。
 それでもいい。しかし、別の見方だってあっていいだろう。
 あの場面が目に触れてしまい手を差し伸べてしまった自分の人間としての行動は、摂理の外のものと断言できるものではないと、私はそう自分の行動に結論付けておくようにしている。
 それは、私が人間だから。人間も、この地球では自然の一部だから。
 むしろ、あの場面遭遇の中で、我関せずにそのまま通り過ぎてしまうことは、自分にとって大きな不自然であると断言できる。
 そのような想いが巡った、不思議な時間でもあった。

 帰宅後、あの大きな黒い蝶が目の前に現れてくれたシーンが、忘れられずにいた。
早速いろいろ調べてみると、自分があまり得意ではないスピリチュアルの世界では、この「黒い蝶」はいろんな意味を持っていることを初めて知ることになった。
 
・黒い蝶は、あの世からの使いである。
・もしも、神社で見かけたら、墓地で見かけたら、家の中に入ってきたら、夢で見たらなど、それぞれのシチュエーションで異なったサイン、メッセージがあるという。
・身近に自分を想っている人がいるサインである(オランダに伝わる迷信)。
・仕事でよい出会いがある暗示。
 
 このように吉兆様々な言い伝えがあるようだ。このような意味付け作業が伝承されているというのは、それもまた人間らしい表れなのだろう。
 普段あまり見かけないものを目にした時、何らかのメッセージであるような気は確かに自分の中にもある。古来から、「虫の知らせ」という言葉があるように。
 黒い蝶は、私にとってどのような虫の知らせであったというのだろう。そんな想いをひとつ授かれただけでもよしとしよう。
 ただ一つ、ここで大切なことを挙げておこう。
 それは、「救いの手」を差し伸べたかのような己のあり方に自己陶酔することが一義では決してない行動であること。譲れぬ信念として、このことを最後に記しておきたい。

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